番外:ため息の数だけ
「……アメリカーノ」
「……珍しいね」
「そう?」
勝手知ったるカウンターに気怠げに腰をかける。
「……はいよ。レモンは少な目?」
「うん」
返事より早く、オールド・ファッションド・グラスにレモンピールを振りかける。
「おまたせ」
カラン―
注文者の代わりにグラスが礼を告げる。
喉を駆け下りる薬草酒と炭酸。込み上げてくる気持ちを押し込めるように飲む。背を向けながらグラスを拭き上げるマスターの優しさが辛い。
「……グラッパをお願い」
「……はいよ」
ガラガラと冷凍庫の中でビンが当たる音、キュっと氷が軋む音、パリパリとビンに着いた氷を剥がす音。
ポンッとコルクが抜かれ、フリーザーの中で眠っていたリキュール・グラスにトポトポと注ぐ。
はぁっ、と軽いため息がグラスの上を行きすぎる。やるせなさから出た哀しみが、グラスについた霜をゆっくりと溶かしていく。
店内には二人だけ。古ぼけたスピーカーからは女性シンガーが
『What's new?』
と問いかけている。
「私、辞めるかも」
「そうか。あんなに楽しそうに仕事してるの、初めてだったのにな」
「だったんだけど、ね」
「……」
彼は何も言わず、空になったグラスに凍らない酒を注ぐ。
はぁっ、ともう一つため息がグラスに注がれる。
「いい人だったんだろう?」
「だったんだけど、ね」
リキュール・グラスに霜を付けていたグラッパは、後一口しか残っていない。ため息の分だけグラスを重ねる。
「いつものをお願い」
「はいよ」
アニスとバニラの芳香が鼻腔をくすぐる。
あの日のことが鮮明に思い出される。
『っと、ぶ、ぶおん・こんぷれあの・あ・て?』
哀しみに濡れた笑顔で気持ちを飲み干す。
恋人のように甘く、兄のように優しく、弟のように謙虚で、父のような慈愛で私を包み込んだ彼は、もういない。
私の可愛いツバメは旅立った。生涯、忘れることのない気持ちとサヨナラのキスを残して。
少佐は要塞を護った。私は何を護るの?
私は、何を、護れたんだろう?
せめて、貴方の思い出の中だけでも。
「Non ti scordar di me……」
夢見がちな女王は、ラピスラズリを彷彿とさせる涙をため息に乗せた。




