#206 : 帰るまでが遠足
「……帰りたくない!」
「そうは言ってもさぁ……」
終電には幾分早い時間、ダダっ子タイムが始まった。
「そりゃ俺だって帰りたくないよ。けどさ?莉ったんは明日お仕事だろう?」
「そんなんわかっちょる!」
むぎゅー。と抱きつかれる。理由なき反抗。か、可愛ええなぁ。
「前にも言うたが恋愛は”意志”や。やから莉ったんの”こころざし”で行動しとる」
「アナタの”意志”は抱きつくことなんですか?」
「そうじゃ?」
悪びれもなく当たり前だと言わんばかりの口ぶりに破顔する。
「大好きなズっちゃんに大好きやとお伝えしておるんじゃ」
愛情表現の一つなんだろう。実際にはその言葉は伝わってこないが、行動がそれを示している。体温が確認できるほど抱き合っていると、彼女の”大好き”と言う情熱が注がれている気分になる。
二人の乗り換え駅、連絡通路の端っこでかれこれ三十分はこうしているんじゃないか?バカップル。そう言われても何も怖くないし何も感じない。あまりにも不快な思いをさせたくないのは二人の無言の共通認識。弁えてはいるつもり。
前の俺なら絶対やらなかった。せいぜいお見送りまで。基本的にドライなタイプなんだ。ビールも態度も。そんな枯草みたいな俺に大輪を咲かせてくれた。忘れていた思いを復元してくれた。護りたいって本気で思った。
だから、彼女のダダっ子にもつき合いたい。
彼女の言葉が、表情が、香りが、温もりが、この一瞬が記憶となってしまう前に、一緒に居たと言う事実を噛み締めたい。
「ズっちゃんはほんに変わったのう?あれほどしわかったんに」
「いい意味で吹っ切れたんだ。もう好きって気持ちにウソをつきたくない」
今度は俺が抱きしめる力を込める。折れてしまいそうな背骨が庇護欲を駆り立てる。
そう。好きって気持ちにウソはつかない。
色んな好きが存在する。理由が無い好きもある。人間は起こった事象に名前をつけたがる生き物。ソレに囚われるのが怖かった。ソレが無いと生きていけない気がして。
でも、もう君が俺に教えてくれた。与えてくれた。俺は迷わない。
「これ以上はズっちゃんも帰れんくなるな?」
大きな瞳には満点の星空。うるうると瞬く星達に魅了される。
「明日もメッセしたりモシモシしような?」
「勿論だよ。待っている」
どうせ俺の連休は仕事で消えていくだけ。アテも予定ももう無い。
何度も振り向く彼女に手を振る。儚げな後ろ姿は雑踏に消えていく。何だかこのままいなくなっちゃうような気がして、不意に涙が込み上げる。歳を取ると涙腺が弱くなる。理解できるモノが増えてきたんだろうな。
『ヴヴッ……』
見なくてもわかる。彼女からだと。以心伝心、愛が俺を覚醒させる。切ない痛みが胸を締め付ける。
『連休のご予定は?』
切ない痛みのはずがナイフとなって俺を切り刻む。瑠海からだった。