#205 : お帰りなさい。
ビールはすでに腹の中に消えちまった。
陽射しが高い昼下がり、そのまま山下公園までプラプラする。
俺のクセなのか、歩く時は左側に女性を並べて歩く。車とか往来を考えるとその方が都合が良い。その左側から力強く輝く太陽を反射する海、それを一身に受けて更に眩い君。色々な意味で直視できない。
「ナニを見ちょるんや?」
鮮やかな色彩に溶け込むように、それでいてアクセントのような君。この景色を記憶にしてしまうのが哀しいくらい。
「……眩しいなぁ、って」
相変わらずテレ臭さが残っている。リンや元泉くらい素直に言えたらな。
「そらあ太陽かよ?莉ったんがかよ?」
「両方とも」
「ズっちゃんは口がウマいのう♪」
満更でも無いご様子。嘘ではないしオダテでもない。同じ太陽なのに沙埜ちゃんとは違う輝き。眩しい君を網膜に焼き付けたくてもう一度見つめる。はにかむ彼女。この時間が永遠に続くようにと願いを込める。
「ズっちゃんは言葉が足りんくて損をするタイプや。やからと言うてお喋りなんもちと違う。顔のせいでソンするんかのう?」
「か……顔のせい⁉︎」
「この歳でこのスタイル、外見も中身も良えオトコじゃ。しゃっち鳩がポッポポッポ言うて近づいてきよる!アカン!ズっちゃんに群がってはアカン!」
集まり出した鳩に威嚇をする。普段の彼女から想像がつかない行動だ。こんなギャップも魅力の一つ。微笑ましく思う。
「ズっちゃんが何もせんくても鳩は寄ってきよる。やから莉ったんが追い払うのじゃ!」
ふぬぬっ、と唸り声で鳩にオーラを放つ。小さな子供とお散歩をしている感じ。そっか。お子さんは息子さんだ。こんな彼女に育てられたのならさぞかしヤンチャしてるんだろう。
「息子は超がつくインテリぞね。理数系が得意じゃ。文系の母親の血を引いとるのに!」
オーバーリアクションで訴えてくる。確かに彼女も彼女の祖父も文系だ。突然変異?
「文字を読むのは好きなようなんじゃが、教科書が好きって育て方を間違えたんかのう……?」
「ある意味、一番の親孝行だと思うけどな?」
俺なんざ教科書を読んだ記憶がない。数学どころか算数で躓いている。確か私立の中学って言ってたな?
「中高一貫で、大学までほぼストレートじゃ。自分で言うのも何やけろ、まっこと頭の良いコで助かるがじゃ」
「日本で会社員をやるなら大学出ていないとね。それだけで給料が違う」
「ズっちゃんは大学には行かんかったのか?」
「当時は行く気も金も無かったからね。早く働いて自由になりたかった。今思うと借金してでも出るべきだったと後悔してるよ」
行けるだけの金は無かったが、本当に行きたいのなら浪人してでも行っただろう。当時はその貴重な金と時間をパチスロに突っ込んでは嘆いてばかりいた。今はギャンブルが酒に代わっただけで、当の本人は大して変化していない。
「ズっちゃんはソッチの世界やったらエリートやなあ」
「それは褒めてくれているのかな?」
「もちろん!褒め言葉ながや!」
彼女が言う”ソッチ”の世界がナニを意味するのかは理解しているが、喜んで良いモノやら……。
そのままマリンタワーを遠巻きに見て、中華街へ。
「この前のジャズバーはここを抜けた通りだよ」
「こんな中華街のところにあったがか⁉︎」
「港町っぽいだろ?」
「土佐もそらあ有名な港町やけろ、こないにオシャレやない。もっと荒々しくていなたい感じや」
「いなたい?」
「なんちゅうか……、田舎なんやけろソレが良え。みたいな感じかのう?」
アゲてんのかディスってんのか良くわからないが、関東人が勇ましく使用して関西人が?マークをつけるタイプの言葉なんだろう。ニュアンスはわかったが本質を知らずに”スラング”を多用すると大体は痛い目を見る。
「まだ開いとらんのう?」
「流石にこの時間からは、ねぇ」
ジャズバーは今はひっそりとしている。昼からジャズを聴きたいのなら野毛だ。タバコとコーヒーと競馬新聞の匂いがする喫茶店で聴くジャズほど渋いモノは無い。
「あっこは飲み屋街なんか?」
「場外馬券場が近くに二つもあるからね。今は綺麗になっちまったけど、昔はもっと荒んでたんだ」
「アレでもキレイになった方かよ⁉︎」
みなとみらい側しか知らないとそうなるよな。
地元民?としては野毛は綺麗になっちまった。バイオレンスさは残ってはいるものの、女子供は来るんじゃねぇ!って言う”オトコ臭さ”が無くなった。若いモンも気軽に飲みに行ける街になった。俺達がガキの時分にゃ”海賊の街”みたいな街並みに圧倒されてた。憧れはなかったけど。
「この前行ったお店の方は綺麗になっちゃったんだ。今でも昼から競馬中継を観ながら飲める店は沢山あるけどね」
「横浜と似ても似つかわしく無いのう……」
多分、地元民以外は不思議な街なんだろうな。東京だって渋谷も新宿も六本木も似たようなモンだ。あ、池袋の方が近いカモ?
「池袋は言うたち埼玉やないか!」
んー、あながち間違ってないから恐ろしい。客観的に物事を見る目を養わないとな。そんな港町を背にして早くも都内へと戻る時間だ。
「ズっちやんと一緒に居ると時間が経つのが早いのう!」
離れたくないのか、ぎゅーっとしがみついてくる。か、可愛ええなぁ!肉まんを潰さないように、ビールをこぼさないように抱き返す。何でもない時間が大切な時間へと変わっていく。
「カラダは離れていても、ってヤツだろ?」
「そうじゃ!ココロはいつも一つやのや♡」
ぐりぐりと頭を俺の胸に押し付ける。柔らかな香りが俺達を包み込む。このまま、もうちょっとだけ、幸せに浸っていたい。そうだ……。
「どいたよ?海に戻るんか?」
肉まんをハフハフしながらビールを煽っていた俺に、微かな記憶が蘇る。アレを使えば横浜駅まで行けるハズ。
「……ジャスト!」
出港前にチケットが買えた。海を走るバス、シーバス。豪華客船とはいかないが、手軽なクルージングを楽しめる。
「風が冷いのう!」
先ほど引き剥がされた温もりが蘇る。潮風を受けながら強く彼女を抱き寄せた。夕陽を受けた海がより寂しさを募らせる。我慢できずに彼女の唇を奪う。
「……ズっちゃんはほんにわりことしなんやから♡」
周りの目は確かめたさ。防犯カメラは知らんけど。
夢見心地も早々に、船は終点へと着く。そごうの中を抜け、地下を通って改札まで。上りの長いエスカレーターで彼女を護るように後ろから抱きしめる。
「ずっと、一緒なのや!」
小さな手で俺の手を握り返してくる。思わず力を込める。
改札に上がると無情にもベルが鳴り響く。グリーン車に乗り込んだ俺達は、発車と同時に眠りこけた。




