#21 : 君だけに花束を。
「戻りましたー」
『お帰りなさーい』
外回り等で帰社した者の挨拶に、これまた誰も顔を見ないで反応だけする。ありがとうございましたーと叫びたくなる。やらんけど。
今日はちゃんと誰が帰ってきたか判る様に、耳を傾けていた。待ち望んでいた声が社内に響く。
「ただいま戻りました!」
「あっと…四ツ谷さん、ちょっと良いかな?」
帰社したばかりの四ツ谷をとっ捕まえて、せっかく入って来たドアを開け、自動販売機が並ぶ給湯室の近くに呼びつける。
「はい、なんでしょうか?」
暑かったのかジャケットを脱ぎ、ネイビーのスカートに合わせたピンクのフリル・ブラウスは、第二ボタンまでキチっと閉じられている。閉じられたモノは窮屈そうに不満をはち切れんばりに訴えている。ここまでとは思わなんだ。
最近の若いコは発育が良いと言うか、あどけない顔に暴力とも言えそうな、一部の方達から『天使』と呼ばれているのも頷ける。ごくり。
「?」
彼女が首を傾げる。おっと、コレはいかん。
「あぁ、今って販促イベント出てる?」
新卒は現場から。体育会系の事業部は現場とは何たるかを知るために、土日に販売応援と称して販促イベントに出される。
「いえ、夏の商戦期以降はラウンダーとして店舗を回ってます!」
今日も今日とて清々しいほど純粋な受け答えに、毒された大人は自然と癒されてしまう。
ラウンダーとは営業の代わりに担当店舗に赴き、細々とした事を担う職務の一つだ。たまに売り場責任者と商談をし、別枠でイベントを取ってきたりもする。営業とは切っても切れない重要なポジションだ。
「じゃあ平日に代休は取ってないんだ?」
「はい!冬の商戦期迄までは販促イベントは無いので土日はお休みです!」
この一部分だけ切り取って聞かれたら、オッさんが箱入り娘をデートに誘ってるみたいだな。
「良かった。じゃあ火曜日の午後は空いてるかな?」
「え?火曜日ですか?ラウンドする店舗を調整すれば空けられますが…」
土日のお誘いじゃないのか、と言いたげな返答だな。んなワケあるか。俺の妄想でした。
「二課の麻生さんの研修に、一緒に参加してみないかい?」
「?…あの不思議な方!麻生さん!良いんですか?私が参加しても?」
「むしろ実務で教えられない事とかをメインでやって行きたいから、可能であれば是非」
麻生って不思議ちゃんなのか?確かにミステリアスと言えば隠な部分がある、か。陽のミステリアスな江口と比べると対照的だな。
花で例えるなら麻生は薄紫のラベンダー、江口が真紅の薔薇、四ツ谷はピンクのガーベラって感じだな。
「もちろんです!ゼヒ参加させてさい!」
ブラウスに似たピンクのガーベラが笑顔で答える。
「じゃあ早速だけど、来週の火曜から宜しく!」
「こちらこそ、宜しくお願いします!」
背中と首を真っ直ぐにして、腰から頭を下げる。コレは美しい…。上半身に重力があると言う事は…いやいやいや、ブレーキ役に対して暴走するな。
「ほら、大した事じゃ無いからそんな事しないで…」
「私、嬉しいんです!覚える事やる事、沢山あって大変ですけど早く会社の力になりたくて。そんな時に特別研修に参加させてもらえるなんて!」
「だからそんなに大した事じゃないってば」
参ったな。麻生との研修には俺のブレーキ役が必要だ、と本能が脊髄反射を超えて咄嗟に出た案です、なんて股が裂けても言えない。いや、口か。
肩からトートバッグを下げその手には脱いだジャケット、反対の手には販促物が入った紙袋を下げている四ツ谷と社内に戻る。センサーに首から下げたIDカードをかざし、ドアを引いて先にと促す。
「いつも紳士的にありがとうございます!」
いやいやいや、荷物大変でしょ?これくらいは当たり前の事だよ。
しかも紳士的なんかじゃ無くて、俺は常に自分より他人を優先させるクセが染みついている。中には嫌がる人もいるから人を見て行動はしているが。
何か座り心地が悪くなった様な椅子に腰掛けて来週のプランを構想する。お題は何にしようか…。
---小畠に呼び止められ、休みの確認をされた。
話せただけでも美希は胸が弾む思いだった。弾むだけのものは持ち合わせている。
『デートのお誘い』だと思って、今はラウンダーとして従事しているので土日は空いていると返答をしたが、デートでは無く平日の研修参加だった。
少し気落ちしたが、どんな形であれ小畠と居られるなら何でも良い、美希はそう思って参加すると答えたが、ラウンドする店舗の調整をし直す作業と、調整後の対応を考えると両手を挙げて喜べ…無くも無いと考え直した。
(麻生さんと二人きり、なのが何かイヤなのだわ)
コレが美希の本音だろう。職場で一番若いとは言え23になる。もう子供では無い。一般的にも精神的にも大人なのだ。
麻生への別格扱いに嫉妬する所はまだ未成熟なのか、それとも。
(自覚はしても、経験は無い。けどね…)
自分のデスクに戻るまでの道のりがやけに遠く、足取りも重く感じた美希だった。