#20 : 麻生の部屋
「夏目漱石は木曜日にお弟子さん達を集め議論を交わされました。その会は”木曜会”と呼ばれました。芥川龍之介はこの会を通して漱石の影響があったとも」
心の中のエセ関西弁を聞かれまいと必死な俺に、清流が淀みなく流れて行く事を体現している様にサラサラと麻生が語り出した。
「木曜会に影響された人物は数知れません。私もこの”火曜会”で小畠さんを『先生』として影響を受けております。今後もお時間を頂戴できるのならば、引き続き私にご教示いただけますでしょうか…」
「か、火曜会に先生だなんて!そんな大した事はしておりません。最低限までの事です」
狼狽えながら体裁を繕う。その瞳で見つめないでくれ。俺は弱い人間なんだ。負けてしまう。
「ですから、もっと教えて頂きたいのです。二課には一課で実施されている定期ミーティングが無いので相談先にも困っておりまして」
「た、田口には相談されたのですか?」
「森さんのお話しを伺った後に」
「何と申してました?」
「無用な時間、だと。そんな暇があるなら早くパソコン業務を覚えて新規開拓に勤しんで欲しいとも」
心の中でため息をつく。派遣さんにそこまで言わなくてもいいだろうに。
俺のせいなのか、田口のせいなのか、麻生との研修はまだ続きそうだ。冬の商戦期までは俺も手が空くので対応出来ると思うが…。
「小畠さんのご都合もあると思われますし無理にとは申しません」
麻生にも、俺にも、駄々を捏ねる子供を諭すかの様にゆっくりと、かつしっかりと言葉を紡ぐ。
「私は派遣なので見えない壁を感じているのです。どうしたら打ち解け合えるのか、話し合う事が出来るのか。二課の皆様は良い方ばかりですが、何かに追われているかの様な言動に不安になる時もあるのです」
それは、田口のせいだろう。森から勘が良いと言われていたのだ、麻生も内心気がついているだろう。
皆んなの前でネチネチと責め立て、ぐうの音も出ないほどに組み伏せ、プライドを圧し折り、服従を強いる田口の言動のせいで、皆が言いたい事を言えない空気を出して同調している、それが二課の実態だ。
「心中お察し致します。私も転職してこの会社に入った時は苦労しました。一からやり直す事ばかりで…」
「小畠さんが…。ご苦労なさったのですね」
なんか麻生の部屋に呼ばれてる様な気分になる。目の前にいるのは大きな玉ねぎではなく、大きな瞳の持ち主だが。
「私の我儘で心労を増やしてはなりませんね」
「はい。麻生さんがご納得行くまでやりましょう」
「私もいい歳して駄々を申して…、へ?」
「火曜会、続けましょう。田口には私から申しておきます。あんな事があったばかりです。文句は無いでしょう」
「あ、ありがとうございます!助かります!なんとお礼を申したら良いのか!」
俺には貴女といれる時間を、大腕振って得られた事の方がありがたい。砂漠に湧き出たオアシスよ。女神よ。
「っと、麻生さんが問題無ければ、おいおい参加者を募っても宜しいでしょうか?」
万が一の時のブレーキ役を投入しておかないと、本当に手を出しそうだ。本能が脊髄反射に優った瞬間だった。
「それは勿論、願っても無い事ですが、一課に私と同程度の方が居られるのですか?」
「今年の新卒入社、四ツ谷です。以前会議に同席した」
「あ、あの方ですね!それは願っても無い事ですのでぜひに!」
アレ?俺と二人っきりが良かったとかそう言うのは無いんだ…?
肩すかしを喰らったような気分だ。本能的に口から出た四ツ谷だが、彼女に確認もせずにまたダシに使ってしまった。申し訳ない。
しっかりブレーキ役をこなしてくれるかどうか。心配とは裏腹に俺の脳内はお花畑モードだった。
可愛い子ちゃんに挟まれながらのお仕事はさぞ楽しいだろうな。あ、その時だけいつものカフェでやるのもアリだな。社内で言えない事もあるだろう。うん、きっとある。二人とも物分かりが良いから、森みたいにマキアートてんこ盛りトッピングなんて頼まないだろう。




