#191 : ジャム・イット・ウィズ・ユー
十九時に会社を出て直帰する。大切な相棒を取りに帰宅するためだ。
リンは先に上がった。今日も今日とてマリさんに会いに行くのだろう。若いって良いな……。
恋愛らしい恋愛をトンとしていない。瑠海や莉ったんに似たような感覚を持ったが、まだ火種にもなっていない。
帰宅してスーツをハンガーにかける。ギターは同じクローゼットにしまってある。前回は酔っ払い過ぎて記憶から所在が不明確になってしまったが、今日は一滴も飲まないぞ。帰宅する際も駅に向かう際もましろと鉢合わせないように別のルートを使う。
ガット・ギターでちょこちょこ練習したが、エレキはネック・弦の太さが違うため弾いた時に若干ニュアンスが変わる。よく言えば伸びるトーン、悪く言えば薄っぺらい。そこをカバーするのがテクニックなのだが、生憎と俺はその域まで達していない。
前回、二時間で予約したのに三十分で出て行った俺を訝しげに見つめる店員。今日はちゃんと時間までいますから。
莉ったんは二十時半に仕事が終わり着替えてから来るとのこと。早くて二十一時半くらいかな?丁度セッティングと準備運動が終わったくらいだな。
スタジオとは不思議なもので、残り数分の時間になると神が降りてくる時がある。カラオケでも似たようなことがあるけど、バンドで演っている時はことさら強く感じる。
ジャム、セッション、グルーブ……。色々な表現があるが、今風に言うなら”ゾーン”と言うヤツかな?あれほど気持ちのいい瞬間は無い。ライブも佳境に入ったころが楽しいのはソレなんだろうな。
今日は迷ったあげく幾分、安い方のギターにした。高校時代から使用しているもう一本の愛機。テネシーのギターでも良かったが、音的にビッグバンドで本領を発揮するような前面に出る音なので、莉ったんの耳障りになるかもと思いコチラにした。
コイツは前期型の欠点を克服した後期型があり、そちらの方が万人受けしている。ウッドストックで強烈なパフォーマンスをした左利きプレイヤーも後期型を使っていた。根底にアメリカン・ロックンロールが流れている俺は、よりその時代に近い音を求めてコッチにした。
毎度お世話になってるJCにジャックを差し込む。適度に固い音。アタックが強いクセがあるのでゲージを太くしている。弦が太くなれば音もふくよかになる。この硬さはJCと相性抜群だ。なんちゃってJazzを演るにはちょうど良い。
俺の脳内で流れているあの曲のキーはC△7、コイツをⅠと考えてコードを組み立てる。Ⅵm7→Ⅱm7→Ⅴ7→Ⅰ△7 がメインなので、コードを分解しそれっぽくアドリブを入れる。
コレが難しい。一音間違えただけで得も言われぬ違和感を感じる。プロのジャズギタリストに聞いたら”間違えた、と思ったらその音を弾き続けろ、それがジャズだ”とアドバイス?をくれた。肩肘張らず自由に演れと言うことなのだろうけど、こちらもまだその域には達していない。
ポロポロとつま弾いていたら莉ったんからメッセが来た。
『駅に着いたがよ!どこに行けばええんじゃ?』
前までの俺なら機嫌が悪くなっていた。邪魔するな、と。今日は俺が莉ったんを受け入れたのでギターを置いて駅まで迎えに行く。丸くなったなぁ……。
『改札の所におるがよ♡』
メッセと同時に彼女を見つけた。着替えるとは言え仕事帰りだからスーツと思ったら、ちゃっかりと私服に着替えている。高校生か。
「ズっちゃん♡会いたかったがよ!」
言うなり抱き着こうとするのをやんわりと避ける。
「相変わらずしわいのう!差し入れじゃ♡」
手には駅ビルに売っているケーキ屋の箱とホット・コーヒー。こう言う気遣いに弱い俺はそれだけで自制心が揺らぎそうになる。
「仕事で疲れているのにありがとう。スタジオ内はペットボトル以外の飲食は禁止なんだ。お行儀悪いけど折角だからアソコで戴くよ」
ターミナルの端の方、少し草臥れたベンチがチカチカと照らされている。蛍光灯からLEDにしないのかな?
「おいよー!そうやったんか!知らんかったがよ」
「普通の人はスタジオに入らないからね。莉ったんは飲みものあるの?」
「タピオカ買うてきたが♡ストローに詰まるデッカイのじゃ♡」
見た目はJC、JKで通用するんだ、タピオカ飲んでいても違和感がない。強いて言えばメイクと服装か。学生が手を出せるようなブランドでは無いのは縫製や生地の質感、センスが代弁している。
サクッと片付けた俺たちはスタジオへ。さりげなく近寄って、スキあらば俺の腕にしがみつこうとする彼女に”しょうがないな”の気持ちが芽生える。けど、今日はギターを弾きに来たんだ。俺の下心には負けない。
「おお!これがスタジオかえ!」
初めて入るスタジオに大きな瞳を更に大きく輝かせている。
「この前ん時のベースと違うのう?」
「これはエレキベース、この前のはコントラバス、ウッドベースだよ」
「聞いたことがあらあて!クラシック?で使うモンじゃろう?」
「そうだよ。ボウと言う弓を使ってバイオリンみたいに弾くんだ」
「やから歌っているように聞こえるんじゃな!アレは夢見心地で最高やったぜ!」
「喜んでもらえて何よりだよ。そういやあこないだ歌っていたけど、歌うの好きなの?」
気になっていた事を聞いてみる。
「歌う、言うたら聞こえはええが山から山へぢんまを探すのに叫ばんとアカンかったからの、自然と声ばあ大きゅうなったんがよ」
照れくさそうに話す彼女。”田舎”と言っていたが、俺の想像をはるかに超える地域なのかも……?
「そんなんやけえコッチ来た時にいっちゃん気を回したんが声の大きさじゃ。普段話しよる時は気を使うてちんまく話すんじゃ」
面接時に聞いたハキハキした受け答え、二人でPCの設定したとき、火曜会でカフェで話す彼女を思い出すと、なるほど使い分けている。
「何も考えちょらんと言われるけろ、莉ったんナリにようけ考えちゅうんやぞ!?」
「俺はそんなこと一度も言った覚えはないよ」
苦笑交じりに答える。
「それよりかズっちゃんのギターを聞きたいんじゃがのう?」
「他人様に聞かせられる程度の腕でではないが……」
元はジャムセッション用に適当に作られたという曲のリフをカッティングする。Gm7から始まる『長距離列車は走る』。愛をなくして家出をする少女を描いた作品だが、最初期は名前すらなく、スタジオでジャムるように作られたとかなんとか。ロックが好きな人なら一度は聞いたことがある超・有名なイントロだ。
「ズっちゃんの右手はどないなっちゅうがよ!?」
「カッティングって言う演奏方法さ、ギターの神様はあまりも早すぎて逆にゆっくり見えるんだとよ」
『スローハンド』、俺にはたどり着けない神の領域。
右手もこなれてきたのでサムピックに付け替え、Am7から弾き始める。ロックコードのポジションではなくジャズのポジションで。
ボサノヴァにならないように2拍目を意識しながらⅡm7、Dm7へとコードチェンジする。莉ったんの大きな瞳に星が舞い降り、センターマイクに当たったスポットライトが更に輝かせる。
「ズっちゃん……!」
いつでも良いぞ、と目線を送りイントロを流し、主旋律に戻るE7を強めに弾いてタイミングを促す。
「Fly me to the moon...」
口ずさんでいる莉ったんに目線で”マイクを使え”とコンタクトを送る。口ずさみながらマイクへと歩み寄る莉ったん。
スタジオに莉ったんが来る、それなら歌って貰おうじゃないかとセットしておいた。さりげなくスポットライトがセンターに当たるように。
サムピックでベースラインを、フィンガースタイルでコードとオブリガードを。二人だけなのに莉ったんの声量がスゴすぎてバンドで演っているようだ!
ミクソリディアン・スケールで簡単なソロをつけ、9th、13thを加えながらⅤ7へと落としていく。彼女は音を聞きながら”ココだ”と分かっているようで、わざわざ合図を出してやる必要が無かった。
前言撤回しよう。俺は前回ギターが弾けなかったことに腹を立てていたが、莉ったんとのジャムのため、今日と言う日のためだったんだ。ギターの神様に感謝をしながらラストのコードC△7をゆっくりとアルペジオで爪弾き、ナチュラルBをピッキング・ハーモニクスで締めくくった。




