#186 : 偏見
「こんばんはー!慎ちゃんお先に見えてますよー!」
久しぶりに見る笑顔は正に太陽。目が眩むほどの眩しさで俺の下らない意地を氷解させてくれる。
慎ちゃん……、和田だ。和田慎司。久方ぶりに名前を聞いた気がする。
「久しぶり。元気してた?アイツ迷惑かけていない?」
入口でジャケットを脱ぎながら挨拶をする。歩いてきたから軽く汗をかいている。夏も近くなってきたな。
「元気でしたよー!小畠さん全然来てくれないから!」
お。ちょっと怒りん坊さんな表情も可愛いな。その膨らんだほっぺをツンツンしたい……!
「新年度で色々あってね。これからはちゃんと顔見せに来るからさ」
個室へと向かう数メートルで俺はウソを吐く。最近、誤魔化してばかりいるな。社交辞令?だとしてもイヤな気分になる。
「会社員の方は大変ですもんね!怒ってないですからちゃんと会いに来てくださいね?」
くる、と振り向いて顔を見つめられる。うっ……、可愛いなあ!もう!
柏木は俺より先に出て、四ツ谷達は現地集合。神谷は一人で来る方が良いと思って声をかけなかった。これで来てなかったらとんだ空振りになっちまうな。和田はゲームもだが沙埜ちゃん目当てで早く来たんだな。
「お疲れっス!」
半個室には俺以外、全員が揃っていた。神谷もちゃんと来ていて一安心。今日の主役は彼女だからな。
和田がソファ席から立ち上がり奥へ座れと笑顔で誘導する。接待や飲み会で上座・下座の概念を教えてきたが、自然とできるようになった和田の成長を微笑ましく思う。
個室の壁側、入口より一番遠い席に俺、左に並んで座る和田、隣のテーブルに移って手前が柏木、奥が神谷。神谷の前に別所が座り、俺と和田のテーブルの正面には四ツ谷が鎮座する。
経験者と未経験者でまとまっており、話しやすい環境が作られている。隅に追いやられた神谷は座りが悪そうだが、柏木の柔らかいオーラがそれすらも包み込んでいるようだ。
「会食で処理するから遠慮はいらないよ。俺はビールを」
またウソを吐く。見栄っ張りな性格もそうだが、遠慮される方がもっとイヤだ。金欠なのは事実だがこういう時の為に普段は節制している。
「私もビールを!」
四ツ谷が続く。
「私も!楓さんは?」
早くも柏木が神谷を名前で呼ぶ。押し付けがましくない言い方は彼女の得している部分だな。すり寄ったり媚を売る感じが一切ない。
「わ、私は、飲めないので……」
「ボクも!今日は”スタゲ会”なんだからノンアルでもOKだよ!」
フォローするように和田が続く。何時のまにか大人になったな。俺が心配することは無かったんじゃないか?
「私もビールにするデス!」
最後に別所が乗っかってくる。前回飲んだのはまだ入社前のことだから飲みに行くのは初めてだ。ご指摘を頂いた日にお茶したくらいだもんな。酒、飲めるのかな?神谷も和田と同じウーロン茶にするようだ。
沙埜ちゃんに今日のおススメも一緒にお願いする。関西圏で獲れた鰆が入ったとのことでそれもお願いした。西京焼き……、日本酒が欲しくなるな。
「お待たせしましたー!」
沙埜ちゃんのお店のビールはグラスなので女性陣も飲みやすいだろう。一緒に行った焼き鳥屋のデカいジョッキも良いが、四ツ谷が煽る姿は想像できないな。
「師匠!一言!」
前回を思い出して死にたくなるが、今日は完全なプライベート。肩肘張らずに行こう。
「……乾杯!」
何も浮かばなかった……。皆が拍子抜けした顔つきをしているが滑り倒すよりかは良いだろう。
「お疲れっス!」
「お疲れ様です!」
和田と四ツ谷とグラスを合わせる。
「お疲れ様でーす!」
柏木達とは掲げるだけの乾杯をした。その瞬間、神谷の少し翳りのある顔つきを見て思い出す。忘れないうちに莉ったんに先手を打っておかなければ。
彼女が終わるまで二時間近くあるが、優と飲んだ時のように”事後承諾”で送ったらナニを言われるかたまったもんじゃない。
今日は飲むと言うより食をメインにゲームをする会。大の大人が寄ってたかってゲームしようと集まった。傍から見たら異様な光景に映るかもな。
「では、さっそく!」
嬉々として和田が音頭を取る。忘れないうちに渡しておこう。四ツ谷も柏木もリンゴマークのスマホだったのでそのまま渡す。
「課長、宜しいのですか?」
現金みたいなモンだからな。自腹を切ったのも知られている。四ツ谷はカフェカードも貰っているからか遠慮している。ソッチは会社持ちだから遠慮はいらないんだけど。
「俺は使い道が無いし、四ツ谷さんが受け取らなかったら和田君に持ってかれちゃうよ?」
「あ、ありがたく頂戴いたします!」
和田に取られる位なら、その調子で良いんだ。俺が気を遣うタイプだから遣われると逆に困ってしまう。柏木も深々と頭を下げて受け取ってくれた。
「かえっぺ、アンアン、はるるんのチュートリアルよろしくね!」
神谷、別所、柏木に独自のセンスであだ名をつける和田。一昔前の俺だったら真っ先に和田をセクハラだとシメていただろう。
今の俺は理解できるモノが増えてきたからか、目くじらを立てるようなことはしなくなった。無意識の思い込み、アンコンシャスバイアス。それを取っ払ってくれる仲間が増えた。神谷も同じようになってくれれば、ランチの時のような考え方はしなくなるのだろうか。
俺達はまるで学生に戻ったかのようにゲームに興じた。酒をメインにしているのは俺だけだが、その分、皆が食べてくれるので客単価は平均位になるだろう。
「課長、ムッソリーニの教会イベントで詰まってしまいました……」
保護者気分で見ていた俺に進行で迷っている四ツ谷が尋ねてくる。
「無神論者の方なので、教会まで足を運ばせるにはどのように進めたらよろしいのでしょうか?」
イタリア、無神論者……。父親が敬虔なクリスチャンだと言っていた瑠海の言葉を思い出す。こんなところでも俺を搔き乱すのか。
「課長……?」
「あ、ああ。その章は……」
さざめきたつ心の水面を悟られないようにヒントを与える。アンコンシャスバイアスは仕事だけではないと心のスキマが囁いている。