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#184 : ヴェグタムルの歌

 思いがけず小畠と食事をし、無気力な自分に疑問を感じた楓。



 楓は幼いころから姉と比べられて育ってきた。父親は大学病院に従事し、母親は看護師長、姉は父親の意思を次いで小児科医になった。物心がつく頃には”貴女はお医者さんになるのよ”と刷り込まれながら育ってきた。


 幼かった楓には理解ができなかった。他人の命の為に何故、幼い娘を独りにして行ってしまうのか。家族らしいことは経験したことが無いし、行きたくもない進学校、寝る暇を惜しんで塾に強制で通わされ、テストの点数、成績表、偏差値の”数字”だけでしか自分を見てくれなかった両親も教師も嫌いだったし、1点の差でマウントを取る同級生も嫌いだった。


 高校受験の時、大学進学に有利な学校は受かろうと思えば進学できたが、敢えて落ちるように細工をした。親が敷いたレールに乗ることへ初めての抵抗だった。

 結果に対して家族からの風当たりは更に強くなった。両親は楓に”落伍者”の烙印を押しつけ、優秀な姉からも”出来損ないの妹”と詰られ、親せきが集まれば腫れ物のような扱いを受けた。家族から、教師から、友達の誰からも愛情も友情も受けることなく育った。


 期待に応えることが自分の人生なのか?いつしか自問自答を続け、レールからはみ出すことに生きる価値を見つけた。反抗(レジスタンス)、楓は”手切れ金”と言わんばかりの金を両親から受け取ると、生まれ育った実家(アースガルズ)を飛びだした。


 地頭は良かったので小畠の会社に入社すること苦労はいらなかった。人事部も彼女の経歴で選んだようなフシがあった。が、実際に勤務を始めると”欠落”している部分が目に付くようになった。顧客からのコンプレイン(不満)を汲み取ることが出来なかった。”いやなら製品を使わなければ良い”、彼女は常に文句を言いながら使用し続けるユーザーが理解できなかった。


 CSの業務は小さなコンプレインが溜まりに溜まって”クレーム”にならないよう、顧客の不満を解決する事を目的として成り立っている。とは言え大抵は温度が高くなっているので、クレームしか寄せられないのが現実だが。

 CSはただ単に不満を受け止める受け皿ではなく、小さなコンプレインを貯めさせないように解決していくのが業務。そして、顧客が対応者に信用・信頼をしてくれなれば吸い上げることは出来ない。その関係性が構築できなければクレームを言って終わり、二度と小畠の会社の製品を使ってもらえない。


 楓にはその機微が解らなかった。わざわざ文句を言うくらいならさっさと別の会社の製品を使えばいいじゃないか。不満を吸い上げずに結論を急ぐ排他的な性格が災いし、顧客からのクレームは企業にではなく楓へと集中した。

 頭を抱えたCS部は人事に相談し、社会人として根本的な部分の修行に出すことにした。小畠の下でも良かったのだが、より厳しい田口の下へと配属となった。辞令を聞かされた楓は更に殻に閉じこもるようになった。


 そんな折、和田が目をかけ始め、小畠へと繋いだ。そして偶然にランチを共にすることとなった。

 生きてきて楽しいことなんて皆無だった。自分の思い通りになんてならないし、”常識”を盾にやりたくないことを押し付けられ、右へ倣えに激しい抵抗を持っていた楓にとって、小畠は不思議な存在だった。

 仕事をしていて楽しいと感じたことは無いし、他人に興味も湧かなかった。その楓の心の時計がゆっくりと動き出した。まだ恐る恐るだが、確実に右へと針が進みはじめた。


『楽しくするためだよ。会社を、社員の皆を』

 氷が溶けたアイスコーヒーを飲みながら考える。ゲームだって楽しくてやっているワケではない。話し相手もいない時間を潰すためにやっているだけ。今日だってカフェで新しいシナリオを進めようと足を運んだのに、なぜか食指が動かない。


『帰社した時に声をかけてもらって良いかな?』

 BDを取りに行かなければ。今までだったら”メンドクサイ”と口を吐いたが今日は少しだけ胸が高揚している。初めての鼓動に動揺しつつ、勇気を出してみようと思った。




「んーっ……!」

 珍しく昼メシをちゃんと喰ったから午後は眠くなる。明日の定例会の資料の手を止め伸びをする。ゴキゴキと背骨から腰にかけて悲鳴が上がる。最近、ずっと腰が痛い。よ、夜は頑張っていないのにな。


 十五時に和田が帰社するとは言っていたが、思いがけずに神谷に会ったから用ナシになっちまった。本人に言ったら怒るだろうな。


 瑠海の涙の真意は分からないけど、時が来れば理解できるようになるだろう。その涙を拭えるだけの勇気も資格もないクセに。仕事しよ。



「あ、あの、先ほどは、ありがとう、ございました……」

 アホなことを考えていたら神谷がデスクまで来た。なんだ、ちゃんと仕事できるじゃあないか。田口に長野、パワハラとマウントのタッグの下ではやり辛いだけなのかな?


「さっきは付き合ってくれてありがとうね」

「い、いえ……」

 相変わらず目線は合わせないが、以前のような人形のような返答ではなく”言霊”を感じる。メシ喰ったから元気になったのか。


「そうそう、BDだったね。事務の柏木さんが持っているから、彼女から受け取って貰えるかな?」

 俺の仮マスターを渡しても良いんだけれど、この機会に接点数を増やしておく。お客さん同士で仲良くさせる。バーテンをやっている時に教わったこと。


「この前はお疲れ様でした。これがBD画質バージョンです。もし足りなくなったら私の所に来てください」

「は、い。わかりました」

 左耳で会話を聞きながらバチバチと資料を作る。やっぱあのコは誰にでもあんな態度なんだな。そりゃCSでやっていくには難しいよな。性格的なものなのだろうか?


「神谷さん、私より一期上でしたよね?」

 柏木が会話を進めてくれている。ダーツバーで投げ子のバイトしてただけあってイヤミの無い会話は流石だな。俺が同じことをしたら即、セクハラで訴えられる。


「そ、そうですが……」

「社内でもお話したことがなかったので!同年代の方が少なくてちょっと寂しかったんです。これからも仲良くしてくださいね!」

「は、はあ……」

「美希ちゃんと杏樹ちゃんはちょっと下ですけど、一緒にダーツしたり、お茶する仲間なんです!杏樹ちゃんはゲームの方が楽しいみたいですけど」

「ど、どんなゲーム、ですか?」

「えぇーっと、課長、なんでしたっけ?」

「ん?ああ、和田君と俺と一緒の”スタゲ”だよ。全作網羅してるし、追加シナリオも当日中にクリアする廃人(ツワモノ)だよ」

 神谷の瞳がキラ、と輝いたのを見逃さなかった。彼女の中で別所に興味が湧きつつライバル視している、そんな感じだ。


「後で和田君も別所さんも帰社するから、ちょっとサボってみんなでシナリオの進捗確認しようよ!」

 少し驚いた顔で柏木が俺を見る。初めて別所がやらかした日、サボった制裁でダーツでボコられたからな。それを忘れたのか、と言いだげな視線で貫かれる。


「私はゲームは良くわからないですけど、美希ちゃんと初心者チームで参戦します!」

「神谷さん、今日はなんか予定ある?」

「い、いえ……」

 まだ距離は感じるが、即答で答えないところを見ると本気でイヤなワケではなさそうだな。後はエサをばらまくか。


「こないだの飲み会のカフェのカードとギフトカードを買って、二人のスマホがどっちかわからなかったからまだ二枚も残ってんだよね。それ、使っちゃおう!」

「課長!経理の方は大丈夫なのですか!?」

「俺の自腹だもん、なんの問題も無いよ!これ使えば柏木さんも四ツ谷さんもシナリオ進められるし。そうしよう!時間と場所は後で共有するね!」

「神谷さん、宜しくお願いしますね!」

「は、はあ……」

 ……柏木、やるなあ!別所をネタにして、神谷のゲーマー気質を引き出したぞ。あんなにも退廃的な顔つきと態度をしていた神谷に血が通ってすこし顔が赤くなっている。照れているのかな。


「そうと決まったら定時までに仕上げなきゃだな!神谷さん。また後で!」

「はい……、失礼します」

 覇気がない挨拶は相変わらずだが、少しだけ目線を合わせて頭を下げて二課へと戻っていった。少しは話せるようになったな。


「柏木さん、ありがとうね」

「いえ!神谷さんに話したことは本当ですから!」

 一課も二課も柏木よりかは年上が多いし、井出は既婚者、辞めてしまった森も大沢もお一人様を謳歌するタイプ、二課は瑠海に莉ったんとアウトソーシングだし、どちらもウチの社内行事には参加しない。理由は本人達と俺しか知らないが。


 柏木は四ツ谷ともすぐに仲良くなった。会社は友達を作る場所ではない、と言い続けてきたが”交流”は必要だよな。チームで動いているんだし。俺も一人で飲み歩いていないで皆と飲み行くか。事前に会食申請を忘れずにしないと。

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