#19 : 迸る熱いメロス
毎週火曜の研修も今回で3回目。そろそろ教える事も少なくなり、麻生の出来る事は増えていった。俺の密かな楽しみは終わりそうだ。
「と、こんな感じでプレゼン用のパワポは一通り終わりですが、ご不明点はありますか?」
「ありがとうございます。大丈夫、です。後は実践しながらスキルを磨いて行ければと、思います」
タイプは辿々しいが、安心させるような強さを含んだ話し方だ。
「守破離の守、まだ小畠さんの型を守っていくので精一杯ですが…」
タン、と碁石を打つように人差し指でエンターキーを押す。随分と古い言葉を知っているもんだなぁ。
「私なんて全部独学ですから、さっさと破って離れて下さい」
笑いながらそう告げると、大きな瞳が困惑した様に俺を見つめていた。
「そ、そうですよね。小畠さんもお忙しいですから、いつまでも甘えてはいけませんよね…」
アタフタしながら自問自答している…?そんなに俺と一緒にいたかったのか?なんか焦げ臭いと思ったら、ブレーキが効いてないじゃないか。暴走モード突入だよ、コレは。
「麻生さんってお若い見た目で……失礼。他意はないのですが古い言葉を良くご存知だな、と。何か影響とかあったのですか?」
…やっちまった。私的感情から聞き出している。派遣先の上長と言う立場を利用した越権行為だ。暴走している!心の中で森に謝罪する。
「お若いだなんて…。そうですね、日本文学が好きで良く読んでいました。太宰治、芥川龍之介、夏目漱石。田舎なので遊ぶ場所も無くて、祖父の家にあった本ばかり読んでいました」
照れくさそうに答える麻生の言葉を、一言一句漏らさぬ様に耳を傾ける。セクハラにはなってないようだ。多分。イケそうだとギアを上げる。無茶しやがって。
「それで、なんですね。私も多少の作品は読みましたが、そこまで造詣が深くなくて」
「私もそこまで明るい訳では無いのでアレですけど」
「人間失格は若い頃に読みましたが、やるせないと言うか、コレで良いのか?みたいな」
「わかります!太宰治の作品に共通する厭世観がなんとも…」
「走れメロスは教科書にも載ってましたが、読んでいて殊更に感動するような話しじゃないな、と」
「自分と反する人に自己解釈を押し付けるお話し、寧ろ暗殺しようして捕まって、その身代わりに友達を人質にする、とんでもない男です。メロスは」
お互いの太宰治に対する感想を素直に述べ合う。ふふっと笑った大きな瞳が弓の様に形を変え、満面の笑みを浮かべている。
こんな表情するんだ。
目も心も奪われて行く。
心が脈動する。血液が沸騰し、身体が火照り出す。
『ティロン♪』
二人の会話を叩っ斬る様に、麻生の私物携帯にメッセージが届いた旨を知らせる通知音が鳴った。
「…申し訳ございません。マナーモードにしておいたのですが。失礼いたしました」
っぶねー!今のめっちゃ危なかった!良くやってくれたよ、私物携帯さん!
「ウチは社内での制限を設けておりませんので、お気になさらずに。で、次週からなんですが、いかがいたしますか?」
キーボードに滴たたるのではないかと思う位に手汗をかいている。背中は言わなくてもわかるだろう。搾れるくらいだ。
「小畠さんは、夏目漱石お好きですか?」
へ?まだ続くんかいな?ワシ、もうあきまへんで。エセ関西弁でてもうた。
迸る = ほとばしる。何かが勢いを持って飛び散る、流れ出ていくさま。湧き上がるものが溢れんばかりに満ちている様子。
『-熱いパトス』
厭世 = えんせい。世の中をいとう事。生きている事がつまらないと思う様。
『-的な気分』




