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#183 : かわいい唄の本

「あっ」


 思わず声が出てしまった。パスタを口に運ぶのを止めて紙ナプキンで拭う。

 入口近くに居たもんだから、神谷とバッチリ目が合ってしまった。


「お、お疲れ様」

「お、お疲れ様です……」

 なんだか気まずい空気が流れるが、もっと気まずいのは俺の左隣しか席が空いていないと言う現実。ウチの会社からは少し離れているのでランチでも鉢合わせないと思ってたのに。


 神谷も目が合ってしまったから観念したのか、そのまま店内へと進んできた。すぐ後ろにはサラリーマンが続く。

「せ、席、取っておくね」

「あ、ありがとう、ございます……」

 後ろのサラリーマンには悪い事をしたが、神谷の方が先に店内に居たんだ。席を確保する権利はあるだろう。


 少ししたらアイスコーヒーを持って神谷が戻ってきた。ナニを話したら良いんだか……。

「……ありがとう、ございます」

「今日は店舗に行ってたの?」

「は、はあ……」

 うむ。かなり避けられている感が否めない。和田と挨拶しに来た時も感じたが排他的なんだよな。瑠海も似たようなところがあるが、彼女は職務上はしっかりと社会人をしている。飽くまでもプライベートな時だけだ。

 このコは社内に居る時もこの調子だ。CSから二課へ異動となったのは社会人に必要な根本部分の修行を兼ねて、が人事部の思惑だろう。残念ながらこのコは”ありがた迷惑”としか捉えていない。


「営業、慣れた?」

 俺の直属でも無いのに心配になって声をかける。ここで田口と同じような態度を取っていたら、完全に会社がイヤになるだろう。


「ま、だ、です」

 処刑執行直前の罪人のような返答にもめげずに会話を続ける。神谷はサンドイッチにしたようでさっきのバイトのコが間に入って運んでくる。


「そうか。和田君が言ってたけど”スタゲ”好きなんだって?」

「好き、と言うか、構成がしっかりしている、ありきたりなタイムリープ系ではないので」

 そう言うと俺とは反対方面を向いてサンドイッチを小さな口へと運ぶ。俺と一緒で食べているところを見られるのがイヤなのかな。音を立てずにパスタを巻く。スプーンが付いてきたがスープパスタではないのでフォークしか使わない。お皿の端の方から少しづつ巻いていくのがキレイに食べるポイントだ。


 ……無言で食べる俺たちに店内の雑音、コーヒーちゃんの声、エスプレッソマシーンが上げる蒸気の音、インストで再生されるBGM。接点が無いから致し方ないがなんとも窮屈な感じがするモンだ。


 見ないようにしているがすぐ隣に居るからチラと視界に神谷が入る。両手でサンドイッチを口元へせっせと運ぶ仕草はハムスターを連想させる。


 神谷に心の声を聞かれたら良い気分はしないだろうが、言いえて妙だ。ハムスターは基本的にのんびりとしているように見えるが、実際は環境の変化にとても敏感で警戒心が強い。自分のペースを崩されると対処しきれなくてストレスから噛みついたり、脱毛したりと繊細な生き物だ。

 そんな生き物だから防衛本能がとても強い。新しい環境に慣れるまで時間がかかるし、心を開いてもちょっとしたことで殻に閉じこもってしまう。夜行性ということも相まって昼は殆ど寝ているから、起こされたりすると途端に機嫌が悪くなる。このコもゲームが好き、ってことは夜型なんだろう。


 彼女が食べ終わり、口元を拭いたところで俺も食べ終わる。食べるの早いな……。ちゃんと噛まないと消化に悪いぞ。


「いやぁ、喰った喰った!新年度も落ち着いてきてやっとメシが喰えるようになったよ!」

 ”返事は期待していない”と言うオーラを含んで大きめの独り言をつぶやく。チラと横目で見るがこの場をどうしたら良いか悩んでいるようだ。あまり構い過ぎても逆に悪いかな。


「あ、あの、なんでこの仕事を選んだんです、か?」

 恐る恐る口を開いた彼女に驚きつつ、常に思っていることをイヤミにならないように伝える。

「なんでこの仕事やってるかって?俺はね、楽しくするためだよ。会社を、社員の皆を。皆が楽しいと俺も楽しいし、イヤな仕事も楽しくなってくる。田口さんには”甘やかすな”って怒られるけど、どうせ仕事すんなら楽しいほうが良いと思ってね」

 上から目線にならないようにゆっくりと、かみ砕きながら伝える。意図は解って貰えたかな。今は理解できなくてもいずれ”そんな意見もあったな”くらいに思って貰えたら上々だ。


「……私は、仕事が楽しくない、です。どうしてやらなきゃいけないのか、理由が見つからない」

 俺と視線を合わせないままストローを口にする。ふむ。理由が必要かねえ……。

「理由、か。俺は親の面倒を見ているのと自分の生活がある。文句を言っても腹は減る。酒も飲みたいしね。それらを手にするため、ってのが一番の理由かな。俺だって好き好んで”社畜”なワケじゃあないんだ」

 愚痴とも捉えられかねない言い方になっちまったが、ここで取り繕った言葉は彼女への答えにはならない。


「私も一人暮らしですけど、こんなに頑張って働かなくても良いって。もっと楽に生きたい、んで……」

 普段から自分のことをあまり語らないのか、言い終わったら少し顔が上気しているようだ。ツンツンしているが年相応の可愛いところもあるじゃないか。

「OK。もっと楽にしてていいよ」

「……え?」

「いつでも100%の自分でいる必要なんか無いんだ。今日は50%、明日は20%かも知れない。だからって無理矢理80%を足して100%にしてたら、身体も心もまいっちまうよ」

 温くなったコーヒーで喉を潤す。


「私は……」

 言葉に詰まらせちまった。

「神谷さんが何%になるかを決めれば良いんだよ。誰かに言われたから、他の人もやってるから、そんな理由で自分の物差しを変えることなんかしなくて良いんだ」

 俯いてしまった……。悪気は無かったんだがお説教しすぎたかな。


「そうそう、広報から共有があったプロモのデータ、DVDで配布しているけど、BDの店舗もあるからBD焼いたの渡しておくね。帰社した時に声をかけてもらって良いかな?」

「……はい」

 お先に、と声をかけて席を立つ。彼女にしかわからない悩みがあるんだろうな。俺にだって俺にしかわからない悩みがある。苦しかった日々も、乗り越えて振り返ればほんの一瞬の出来事。そうなってくれる事を願って。




(オッタル……じゃなかった)

 楓は田口や長野だけが”営業”だと思い込んでいた、言わんとすることは理解できるが、常に評価されるのは『数字』だけ。人間性も心情も理解されず結果だけで評価される、そんな学校も会社も嫌いだった。


『楽しくするためだよ。会社を、社員の皆を』

 そんなゲーム感覚で仕事をしているとは思わなかった。耳に挟む部下想いの話も本人から聞けば信憑性が増してくる。


(バルドル……、光。皆の光)

 何かを悟った様子の楓は、莉加と小畠が写っている写メをスマホから消した。

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