#182 : ルビー・チューズデイ
火曜日の朝は何かと腐っている気がする。
リンが昨日のことを軽く伝えに来た。仲直りできて良かったじゃないか。俺も人のことは言えないが意地を張るのも程々にしないとな。
委託先の事務局長から経緯報告書を受け取る。内容は時系列ごとに小難しく書いてあるが、要は担当ラウンダーが再生機器の確認を失念していたってことだ。言い訳がましくなるのは仕事だからしょうがないが、感情的には納得がいかない。
気が乗らないが田口にもBDを共有しておくか。向こうのラウンダー……神谷。あのコにも共有しておいた方が無難だろう。土曜日に落としたデータはローカルに保存されたまま。仮のマスターを作っておいてそこからコピーしていく。
いつもなら俺があれもこれもやってしまう性分なのだが、今日はなんだか気分が乗らない。心根が腐ってしまっている。そんな気持ちを引きずって仕事に支障をきたすヤツは腹立たしいが、まさか自分がそんな風になっちまうなんて。
データを一課の共有フォルダに格納する。アレ?同じ名前が……って、ちゃんと格納されているじゃないか!灯台下暗し、土曜日に気づいていたらもっと早く四ツ谷に渡せたのに。俺は部下達をもっと信頼しないとだな。偉そうに”信用と信頼は別だ”なんて振りかざしたクセに。リネームされて綺麗に整頓されているフォルダを見たら俺の心に翳りが増す。
「柏木さん、ちょっと良いかな?」
デスクから柏木を呼びつける。偉そうにしている自分に嫌気が差す。
「はい、何でしょう?」
「共有フォルダにあるデータをBDに焼いて欲しいんだけど、手が空いてたらで良いから二枚お願いできるかな?」
「先週の土曜の件ですね?かしこまりました。何時迄にお持ちいたしますか?」
「急いではいないから……、今日中だと助かるな」
「では、作成できましたらお伺いいたします」
柏木が先週の件を知っていた?……四ツ谷、か。背中を逆撫でするように記憶がゾワっと蘇る。
”閑散期になったらランチや飲み会で得意げに話し始めるわ”
瑠海の言葉に思わず身震いする。瑠海はずっと俺との約束を守ってくれている。大井さんと”会合”で会っても、莉ったんと話すことがあったとしても。莉ったんはカンが良いのか気づかれてしまったが、それはそれで口外していないようだ。社内で煙が立たないことが彼女たちの潔白を証明している。
四ツ谷は?……推測だが”まだ”誰にも話してはいないだろう。俺の為を思ってくれているのか、まだ言える間柄の友達がいないだけなのか。
少し前の俺なら柏木の発言に狼狽えていただろうけど、沢山の人達に支えられ、勇気づけられ、自分を見られることにも慣れてきた俺は取り乱すことはなかった。今の心の支えは瑠海の言葉だというのに、また”軽率に”行動したせいで瑠海を悲しませてしまった。
「……課長?」
「あ、ああ。それでお願い。よろしくね」
しっかりしないとすぐに気持ちを持ってかれてしまう。瑠海も、莉ったんもどうしてこんなに俺を乱すのか。俺も興味があるからなんだろうけど、リンのように認めたくない自分もいる。今は仕事中なんだから、と気持ちを切り替える。
「田口さん、今よろしいですか?」
「ああ、どうした?」
柏木が焼いてくれたBDを持って二課へ。相変わらずポチポチと一本指でタイプしているのか。メールのCCに入れておいたから顛末は把握しているので、結果だけ伝える。
「……大袈裟な気もするが、大丈夫なのか?」
「リソース持ってかれましたのでこのままケツ拭いてあげて終わり、では下のモンにも示しがつかなくなります」
「オタクがそう言うなら合わせる他ないだろう。媒体はラウンダーに渡しておいてくれ」
「ありがとうございます。神谷さん?を詳しく存じ上げないのですが」
「和田に渡せば良いだろう」
やおら立ち上がるとタバコを吸いに行った。人嫌いなのかどうかわからないが、田口を良く知らない人からしたらとても不愉快な行動だ。俺はもう慣れた。話す時間が短くなってこちらにも都合がいい、そう思い始めたらストレスを感じなくなった。
田口に言われてしまったが、俺も大袈裟な気がしていたのは事実。腐っているとは言え冷静になった今から見ても土曜日は珍しくイラついていた。ここ最近は物事がうまく行っていただけに我慢が効かなかった。一体どうしちまったんだ?俺は。
和田は仲村とOJTをしているらしく、帰社したら声をかけてくれと頼んだ。見積を作るので十五時には帰社するとのことだ。アイツも成長してきたな。
『ヴヴッ……』
見なくても相手は莉ったんだとわかる。私物携帯に連絡を寄こすのは彼女くらいだ。
『おつかれちゃん♪今日は外に食べに行くがよ!ズっちゃんはご飯食べたかよ?』
気づいたら昼飯時、いつの間にか時間は過ぎていく。いつも俺を置いて行ったまま。
『お疲れ。OJTはどう?今日は早く帰れるといいね。今日は食欲が無いからコーヒーだけにするよ』
『ヴヴッ……』
相変わらず返信の早いこと。
『ズっちゃん♡お昼もズっちゃんとメッセができて莉ったんは幸せながや♡』
この俺が社内で私用のメッセージを送っている。サラリーマンになってかれこれ十年になるが、こんなことは初めてだ。シマに柏木しかいないってのもるが。
『大袈裟だな。今日は何を食べるの?』
『イタリアンのランチに行くがよ♪』
……跳ね上がる心臓の痛みに耐えながら、帰りにまた連絡すると送る。いくら何でも昨日のことは知らないハズ。知っていたらのっけからトップスピードで責め立てているだろう。
俺の体調を心配する言葉が頭を巡る。胸の痛みが強くなった気がする。大丈夫。落ち着くんだ。今年の健康診断で何も無かったじゃないか。来年は四十を超えるから人間ドックも会社で受診できる。それまでにおかしなところがあれば病院に行けばいい。
『コーヒーだけやなくてちゃんと食べなあかんよ?莉ったんとのお約束じゃ♡』
彼女はいつも俺を心配してくれている。下心か真心かはわからないが。
こんな憂鬱な火曜日とはサヨナラしなければ。いつも死んだように生きていたくない。俺は生きているんだ。生きるために何かに縋ったっていい。恥をかいても、見苦しくても。もがきあがいてでも生きていくんだ。
そう自分に言い聞かせながら、コーヒーちゃんのお店へと逃げるように会社を後にした。
「こんにちは!お先に席を取っておいてくださいね!」
店内はランチ客でガヤガヤしている。莉ったんと並んだ席は埋まっているようなので入口近くのカウンターに上着をかけて席を確保する。
「ランチセットをお願いします」
「お昼にお見えになるのは初めてですね!」
「今日は人間らしくあろうと思ってね」
我ながら素っ頓狂な返事をしてしまった……。
「いつも若々しくてエネルギーに満ちていますよ!お席までお持ちしますね!」
「ありがとう」
言葉に対してなのか、食事に対してなのかわからないお礼を告げ、コーヒーと共に席へ戻る。今日のランチはパスタ。昨日もイタリアンだったのに。好きだから良いのだけれど。赤い色したパスタはナポリタンくらいしかイメージが無かったが、色々とあるもんなんだな。
「お待たせいたしました」
あまり見かけないコがパスタを運んでくる。ランチのコアタイムだけなのか?
「今日のランチ、プッタネスカです。ごゆっくり」
「いただきます」
真っ赤でありながら仄暗く絡まるソースはルビーを思わせる。プッ……タ、ネスカ?食事をしながらスマホは行儀が悪いが、聞きなれない言葉に知識欲が勝る。こんなことをしいたらいつか饕餮になってしまうのではないかと思う。おっ、コレか……。
『プッタネスカ : 娼婦風のパスタ』
……瑠海がそう言われている気がして口に運ぶのを躊躇った。彼女は偶然を信じていなかったが、俺も似たような感覚に陥る。”必然”だったんじゃないかと。




