#179 : ノーリアクション
昨日はあの後も酒を飲む気になれなくて、頭痛と戦いながらアイロンがけをした。
夜になっても莉ったんから連絡は無かった。家族と一緒にいる曜日なのかな?お説教も詰られることも無く日曜の夜は音もなく過ぎていった。
「課長ぉ~!」
朝も早よからリンがまとわりつく。
「何だっていつも週明けに俺んとこに来るんだよ!?」
「マ……坂井さんとちょっとあって凹んでるんスよ~!」
社内にいることを忘れずにいたことは褒めてやる。が、朝イチから切り出すことではない。
「今は仕事中だろ?終わったらいくらでも聞いてやるからさっさと数字を拾って来い!」
「わっかりましたぁ!親方ぁ!」
あれほど有機溶剤に気をつけろって言ってんのに。あ、領収書出させてから送り出すんだった……。
リンとマリさんでもケンカするんだ?
マリさんのオーラは姉のようで長女を思わせる。皆の良き理解者でありまとめ役だ。そんな人が早々にリンを突き放すとは思えない。原因はアイツにもあったんだろうな。
人の恋路を邪魔するヤツは、なんていうが夫婦喧嘩は犬も喰わないとも言う。勿論、俺も喰いたくはない。
っと!今日こそ忘れずに渡さなきゃだ!さもないとましろに持っていかれてしまう。私物を入れているキャビネから瑠海へ送るスカーフを取り出す。リンの方が先約だけどこないだ悪気無くシカトしちゃったからな。早めに手を打たないと脳を割かれちまう。
『仕事中にごめん。今夜、空いてる?この前の埋め合わせさせてくれないか?』
瑠海も俺が仕事中にこんなことを送ってくるなんて驚いていることだろう。莉ったんのおかげ?か躊躇なくやり取りができるようになった。
『珍しいこともあるものね……』
それ見たことか。思った通りの返答で思わず苦笑する。なお君の所は大井さんと鉢合わせそうだし、前回みたく沙埜ちゃんの店に避難させるのも悪い気がする。
莉ったんから連絡きて瑠海とサシ飲みしてるなんてバレたらそれこそコトだ。久しぶりに新規開拓するか。昼メシの時に探しておこう。
「小畠課長、委託先の部長様から外線2番入っております」
柏木から外線が繋がっていることを聞かされ現実に引き戻される。土曜日の件かな?CCに入れてメールを送ったからな。ちっとは焦ってもらえたかな?
『この度は御社に多大なるご迷惑をおかけし……』
おうおう。こうかは ばつぐん だ!こちらさんからも謝罪を受ける。四ツ谷に直接言ってやって欲しいモンだがな。それにしても店舗担当者からは音沙汰無し、お前が諸悪の根源だと言うのに。
謝罪の電話を切った後に小さな異変が俺を襲う。週明けの社内の空気の中に、連休前のなんとなくソワソワしている感じが乗っかっている気がする。その気に当てられて俺もソワソワしてくる。
連休、か。莉ったんは家族の方を優先させるだろう。四ツ谷は販売応援で潰れちまうな。別日に振り替えにはなるが祝日分はちゃんと休める。ブラックだけど休暇はちゃんと取らせるのがアメムチを上手く使っている。
瑠海は……今夜聞いておくか。聞いたところで彼氏でもなんでも無いけど。
「……以上、W17の週次会議を終了します。お疲れさまでした」
『お疲れしたー』
四月の着地は可もなく不可もなし、これと言って特筆するべきことも無い。商戦期から外れたらこんな感じに落ち着いてくる。とは言え水曜の定例会用にネタが欲しいところだ。
どれ、揉めているリンのお相手をしてやるとするか。いつものように肩を並べてコーヒーちゃんのお店へと向かう。なんだか背格好が似ている?
「……で?」
「だから、モッズとロッカーズどっちがカッコ良いかで揉めてんスよ!」
どちらもイギリスを発端とする若者文化の総称。モッズは細身のスーツ、エンジンがむき出しだとオシャレが汚れるからとスクータータイプのバイクに乗る。ミラーやライトをゴテゴテに付けたバイクが特徴。コート替わりに前の大戦で払い下げになったミリタリージャケットを羽織る姿が目に浮かぶ。
対するロッカーズはスピードこそが正義のバイクに跨る。カフェにたむろしジュークボックスにコインを入れたら、曲が終わる前に公道レースを終わらせる遊びをしていた。そこから”カフェレーサー”と呼ばれるチューンを施した弾丸みたいなバイクが生まれ、余計な装飾は徹底して排除し、早さにこだわった。恰好は優のアメリカンと似て非なるが、オシャレで言ったら俺はアメリカン・バイカーよりかはイギリスのロッカーズに軍配が上がる。革ジャンの中に襟付きのシャツを着るなんて。
「……本当にどうでも良いことだな?」
ノーリアクションで本音が先に出てしまった。
「俺には許せねー部分があるんスよ!」
背格好が似ている、と言うことは好きなものも似ている。俺は格好はモッズ、音楽はロッカーズのハイブリット。リンは生粋のモッズなんだろうな。ってことはマリさんがロッカーズ。恰好からしてわかりやすいと思うんだけどな?よく最初の出会いで揉めなかったもんだ。
「マリさんはなんて?」
「ロッカーズを否定することはアタシを否定することと同じ、って」
「似たモン夫婦だな?」
「ちょっ、まだ、早いってか……」
ナニを照れていやがる。こっちゃ少ない時間を割いてるってのに良い気なモンだ。
「答えならもう出ているじゃないか。マリさんが言う通り、ロッカーズを否定することは彼女自身を否定することになるんだろ?」
「でも、俺の中でロッカーズを認めるわけには……」
「ソレ。土俵にお前しか乗っていないのに、どうやって勝負するんだよ?問題解決を望むならまず相手を土俵に上げないとな?」
瑠海に糾弾された時をふと思い出す。アッチは与信でコッチは信頼ってとこかな。
「ソレは俺のポリシーを曲げなきゃじゃないですか……」
「ポリシーと言ったな?お前の信念は相手を否定することしかできないのか?そんなお前のポリシーとマリさんを天秤にかけようとるから揉めるんだ。青春の光に別れを告げてからモノを言うんだな?」
「ぐ、ぐう……」
なんかリンを詰める時間になっちまったな。
「俺も人のことは言えん。つい最近まで頑ななところがあった。でもな?一度、殻を破ってみると解ることもあるんだ。意固地になってしまうと自分の視野を、可能性を狭めてしまう。お前も俺と歳が近かったのなら何も言わない。お前はまだまだ若い、いくらでもやり直しが効くんだ。俺のように後悔ばかりの時間を歳っとてから過ごしたくなかったら、今のうちに自分の世界を広げておくんだな」
「か、課長が、信念を曲げた……?どんなことがあったのです?」
ったく余計なことを言わせるから。
「今日は俺の事じゃなくて二人の未来だろ?マリさんの為にも、お前の為にも”成長儀式”と思って清濁併せ呑んでみろ。良薬は口に苦し、きっといい結果になるよ」
すっかりアイスコーヒーになってしまったカップを傾ける。
「……ありがとうございます!そうですよね?なんか俺、自分で自分を締め付けて、認めたくない!ってことしか考えられなくなって。マリさんのことを考えてあげられなくなってました」
お、良い意味で観念したかな。沙埜ちゃんに土下座するのと一緒で、下げちまったら意外とスッキリするモンだ。……新たな性癖!?
「ソレは俺に言っても仕方ないだろう?マリさんにお前の言葉でちゃんと伝えてあげろよ?」
「わっかりましたぁ!親方ぁ!」
オーバーリアクションに応える。こんだけ元気になりゃ大丈夫かな?これ以上は瑠海を待たせちまう。ここらでお開きとしようか。