#171 : 続かない夢
昨日の夢心地を引きずりながらギターを抱える。
時間は朝の十時、なんだかんだで一時間くらいしか寝ていないが元気過ぎて困るくらいだ。休みに酒を飲む以外で楽しいと思ったのはいつ以来だろう?
夢の中にまで麻生の歌声が流れていた。せせらぎのように軽やかでいながら、聞くものを捉え深みへと連れ込む激流のような流れ。本気で歌ったら相当のモンだろうに。
スタジオに入るのも久しぶりだ。高校生の頃は毎週のように入っていたのに。バイト代は音楽へと注ぎ込まれていた。スグルがバイクに金を注ぎ込むことを不思議に思っていたが、俺の方が理解に苦しむだろう。バイクの改造のようにカタチに残るものでは無いからな。
家ではガットで練習したが、持ってきたのはエレキギター。俺が敬愛するネオ・ロカビリーのギタリストモデルだ。これを買ったのはちゃんと仕事をしてからだから、かれこれ20年近い付き合いだ。目ん玉飛び出るくらいの値段がしたが”あの音が出せるのならば”と大枚はたいて買った。勿体なくて普段は弾かないで眺めたり、掃除したりしかしてないが。
こいつは余計な装飾の音はいらない。元はベースの為に作られたアンプに刺すだけでいい。欲を言えばテープ・エコーと言う特殊なエコーマシンがあると、彼の特徴である”とろみ”のある音になるが、実物すら見たことが無いくらい希少で高価だ。なのでそこはソレに似た音が出るもので代用する。
大体の音楽スタジオはバンドで入るよりか個人レッスンの方が安く入れる。メンバーで割り勘したら個人の方が割高だけど。今日は一人なので一番小さいスタジオを借りた。
防音の扉をガッチリと閉めると、気圧のせいか耳がおかしくなる。コレコレ、この感じ。懐かしいなぁ。
残念ながらこの部屋ではベース用のアンプが無いため、日本が誇る名アンプに繋ぐ。多分、どこのスタジオにもあるんじゃないかな?
ジャズと名を冠しているが実際は”何でもあり”な音が出せる優れモノだ。クリアな音を求める傾向にある俺には切っても切れないアンプ。コイツは”とろみ”とは真逆の”固い音”が特徴だが、内臓のエコーがこれまた時代を感じさせてくれてたまらない。
久しぶりのスタジオに緊張しながらセッティングをする。ボリュームが0になっていることを確認し、アンプの電源を入れる。イコライザーを調整し、チューニング完了。いざ、我、月へと昇る。
『♫♩~♫♩~』
コードを抑えてピッキングしようとしたその瞬間、待ってましたと言わんばかりに業務端末が鳴り響く。ったくこれからだってのに!画面を見ると四ツ谷からだ。まさか別所がまたなんかやらかしたか!?
『お休みの所、大変申し訳ございません』
消え入りそうな声で話し始める。やっぱりやっちまったのかな?
「おはよう。ちゃんと起きてるから大丈夫だよ。どうしたの?」
俺の不服を代弁するかのように、アンプからジジっと軽いノイズが鳴る。
『エスカレーションのご連絡です。先ほど店舗の店長様より、プロモーションビデオの媒体がなぜDVDなのかとご指摘がございました』
プロモ?確かにウチの広報で作成し、メディアは一課・二課に渡され、社内だと四ツ谷以外は……、そう、神谷に共有され、その他は委託先に卸しているはずだが?
『店頭の再生機器が”BD対応なのに、画質が劣るDVDが来た、早急にBDに交換するように”とご指摘をいただいております』
「それはウチの管轄?」
まさか四ツ谷がこんな簡単なことでしくじることなんてないだろう?
『……いえ、委託先の管轄店舗です。以前、応援販売に伺った際に私のお名刺も渡しておりまして、委託先の担当者が繋がらないので私へ連絡が入りました』
ったく、完全なとばっちりじゃないか!広報から上がってくるメディアはBD対応で作っているけど、店舗によっては再生機器が異なるため、それぞれの担当者にチェックさせている。リストだって作っていると言うのに!
「事情はわかった。して、先方の要望は?」
『本日中に対応メディアに交換するように、とのことです』
「それは店長様から?」
『フロアのご担当者様は次回でも良いと仰っていただいたのですが、グループ会社の社長様が視察巡回にいらっしゃるとのことで、可及的速やかに交換するようにと仰せです』
声のトーンが消え入りそうだ。四ツ谷は何も悪くない。悪いのは職務を全うしない委託先のラウンダーだと言うのに。
「OK、タイムリミットは?」
『店長様のお話ですと、都内の旗艦店巡回後、十四時にお見えになる予定です』
もうすぐ十一時、今から会社に行ってレコーダーで焼いて、そっから店舗へ行って最短で十三時……。十四時とは言っているが、ギリギリで交換しているところを見られたらそれこそ大目玉を店長から喰らいそうだ。クレーム処理はスピード命。っと、確認しておかないと。
「今日は四ツ谷さん出勤なの?」
『はい。別所さんと応援販売のOJTも兼ねて近隣の店舗におります』
場所を聞いたら電車一本で行ける。俺が直にBDを店舗まで持って交換できれば良いのだが、ギターを置いてスーツに着替えてなんてやっていたら間に合わなくなる。媒体を作って近くまで持っていき、四ツ谷にパスするか。
「今から社に向かって、BD焼いてくる。その後に近くの駅まで届けに行くから、店舗へは四ツ谷さんが対応してくれるかな?」
『いえ!お休みなのに!私が……』
「お気持ちは大変うれしいけど、メディアの格納場所、解る?BDレコーダーの場所とか、焼き方とか?」
『……いえ、存じ上げません』
おっと、言い過ぎてしまったかな?ちょっと涙声っぽくなっちまった。責めるつもりじゃなかったのにな。
「ちょっと言い過ぎた!ごめん!とにかく、俺が今から行ったほうが早いし効率も良い、わかってくれるかな?」
今度はトゲが立たないように努めて優しく言い聞かせる。相手はまだ社会人二年目、”甘やかすな”とは言われるが、今回は尻ぬぐいさせられてんだ、もっと配慮しないとな。上長失格だっての。クソ。
『も、申し訳ありません!』
電話越しに直角で頭を下げる彼女が目に浮かぶ。
「いっつも言うけど、これも俺の仕事だし、謝るのは適当な仕事をした委託先のラウンダーと、それを監督している事務局長だよ。ソッチは俺から経緯を入れとくから、コトが終わったら担当者に思いっきりイヤミ言ってやろう!」
『……ハイ!』
お、何とか持ったかな?土曜だから出勤者も多いだろうから会社は開いているだろう。外から電話入れて開けてもらうか。
四ツ谷との電話を切り足早にスタジオを出る。滞在時間は三十分程度なのにキッチリと二時間分払う。委託先に請求してやるからな。
こんなことが度重なるから、麻生を二課にした。休日に突発対応しろなんてブラックも良いところだが、キレイごとだけでは仕事は出来ない。建前を振りかざしたところで自分以外の誰かが対応しなければならない。
ああ!楽しいな!無理矢理そう思い込んで電車に飛び乗る。ギターが傷つかないようにしなきゃな。