#170 : グラスの輝き
あの後、麻生の歌声が頭から離れずにいた。
酔い足りないってのもあって家で飲み直す。ビールをチェイサーにウイスキーといこう。
ショットグラスにスコッチウイスキーが暖色ライトに反射して輝いている。フランスの有名なグラスだけあってイヤミのない輝きはラグジュアリーを彷彿とさせる。
が、キラメキは彼女の大きな瞳には勝てない。星が散りばめられた碧い夜空には。
甘いのに伸びやかで、身体全身を使って歌う彼女の声をサカナにグラスをあおる。俺って声フェチだったんだよな……。
他のお客さんもいたから俺だけに聞こえるボリュームで歌っていたけど、本気で声出したら腹に響きそうだ。レッスンとかしてたのかな?
何よりも耳に残るのはレガートだ。カラオケや歌真似で習得できたものではないだろう。ベースのソロも”歌っているようだ”と表現していたが、自分自身あれだけ滑らかに、なおかつ抑えたうえで歌えるんだ、相当練習したんだろうな。
そういや高知の言葉が解らなかったから調べた時、あることに気が付いた。彼女の話し方の特徴は高知県内では共通していることが根底にあるようだ。
それは母音をハッキリと発音すること。
彼女の世代なら『言った』を『言うた』、更に変化して『言ーた』と母音を伸ばす傾向にある。それをハッキリと発音するからハキハキと元気よく聞こえるし、聞き取りやすいんだな。
歌う時も母音がしっかり発音できているから子音はそこに乗っかるだけ、レガート唱法の基本が生まれながらにあるってことか。
英語の発音も綺麗だった。日本の英語は一文字区切り、アクセントを意識して全て発音する。だから現地人は何を言っているのか解らない。日本語で慣れてしまうと英語の発音方法は難しい。日本語は喉を使ってキッチリと発音しないと伝わらないからだ。
少々ぶっ飛んだ解釈だが、ネイティブは喉で発音しない。腹から出た空気で口腔内を楽器のように変化させ、一息で発音する。彼女の歌い方、英語もソレだから、気持ちよくリスニングしていられた。
……なんかウズウズしてきた!
久しぶりにギターを引っ張り出す。小学生の時に拾ったメーカーの後継だ。
世間ではギターと一括りにされるが、コイツは”ガットギター”と呼ばれるナイロン弦を張った柔らかな音が特徴だ。
ギターを弾きたいがために楽器OKのマンションにしたくせに、気が乗らないと触りもしない。入居時に2か月分多く取られたと言うのに……。
バンドの音楽、彼女の歌声を思い出しながら音を探っていく。”耳コピ”ってやつだ。
最初のFlyのFの部分がC、ドの音だからMeのMでナチュラルB、#も♭もつかないシの音。こうやって一音ずつ拾っていく。
In other words の手前でテンション、つまり緊張感がある音が出てくる。流れからⅡm7へと向かうためのⅥ7だな。
たどたどしくも何とか形にし、おかしなところを修正していく。
「で、できた……!」
思わず口に出してしまうくらい、楽しくてうれしかった。
フィンガースタイルでメロディーを弾きつつコードを重ね、脳内で彼女の歌声を乗せてみる。
それはまるで彼女と俺だけの二人きりのライブ。観客は満点の星空に、少しオレンジがかった丸い大きな月。静寂と言う拍手が鳴り響く。
ふと、我に返り気恥ずかしくなる。いい年こいてナニをやっているのやら……。
恥ずかしさを押し込めるようにウイスキーのグラスを傾ける。飲めば飲むほど、彼女の瞳は輝きを増し、俺を吸い込んでいく。
気が付いたら朝を迎え、大事に飲んでいたウイスキーもカラになっちまった。
酔いは残っているが気分は高揚したままだ。このまま寝るなんてできない!Webで音楽スタジオを予約し、時間まで部屋の片づけをする。個人でもバンドでもスタジオ行くの久しぶりだな。
ダーツでボコられて以来、趣味も特技も酒を飲むしかなかったが、下手の横好きでも俺には音楽があるじゃないか!凹んだ自尊心を復活させる。ホント俺は現金なヤツだな。
漱石の言葉、月がキレイですね。帰りの電車で調べたら彼女が言っていた通り、創作ではないかとのことが書かれていた。作り話だとしてもあたかも漱石が言いそうな言葉だ。日本人の奥ゆかしさを表している表現。
彼女の二面性……、奥ゆかしさがありながら、妖艶でオープンに振舞う。どっちが本当なのか、ではなくどっちも本物の彼女なんだろう。俺にだって似たようなところはあるしな。
ダーツサークルは作ったものの、音楽サークルは無いな。社内で楽器出来るヤツはいるかな?
イメージ的には四ツ谷はピアノ、柏木はフルートって感じだな。山さんがドラム、リンがギター、元泉がベース。
おお、本当に弾けたらジャズバンド組めるじゃないか!弾けたら、ね。
瑠海はボーカル、被るな。の、前に仲良くないんだっけか。そりゃ獲った獲られたの間柄だもんな。
あっ、瑠海にスカーフ渡すの忘れてた……。




