#164 : 誓いの場所。
恋の始まりは晴れたり曇ったりの四月のようだ。
イングランドの劇作家、俺が愛してやまないウィリアム・シェイクスピアの言葉。まるでこの空を体現したかのような言葉に胸を打たれる。
今夜、麻生とジャズバーに行く。
俺の気持ちは明らかな『恋心』だと言うのに、当の本人は否定ばかりしている。現実を、真実を見つめることが怖いんだろうな。恋に、麻生に溺れてしまうことを。
上の空で仕事をこなし、足早に会社を出る。
「かちょー、飲み行くんスか?」
目ざといリンに見つかってしまった……。
「地元でちょっと、な。リンはいつもの所か?」
「えっへへ、そうでありんす!」
ワケのわからない訛りで返事をするところ、マリさんと上手くいってるみたいだな。心配するだけヤボってもんだ。そういやリンが前に言っていた"K"と言う外人?が気になる。瑠海を口説いていたそぶりだったしな。
って彼氏でも何でもない俺がヤキモキしてどうなるというのだ。こっちゃシカトだテメーのニヤケ面。会ったことないけど。
そういや和田の野郎、先週は抜け駆けして沙埜ちゃんのお店に行きやがって!ま、一人で飲み屋に行けるようになったことは喜ばしいのかな。下手したら沙埜ちゃんの店で鉢合わせていたかもな。それはそれでアリか。今回は成長を祝って黙認してやる。俺は一体ナニサマなんだ?
ジャズを聴きに行こうというのに気分は縦ノリになっている。スウィングしなけりゃイミが無い、かの公爵も音楽で体現している。
今日のお店は基本3ピース、ギターとベース、ピアノでバンドが構成されている。たまにドラムやパーカッションが入る。運が良ければ管楽器も入るので、レパートリーはかなり多い。スタンダードをメインにビバップ、フリーがメインだが、ジャズと名が付くものは演奏できるだろう。
麻生も知っていた曲はボサノヴァ風にアレンジされたものが多いが、やはりジャズの揺れ具合はたまらない。お店はリクエストも受け付けているので、突拍子もない曲でなければ演ってくれるだろう。
通勤時はイヤホンで曲を聴くのがお楽しみの一つだが、ここ最近は麻生の『弾幕』に時間を持っていかれるのでちと寂しい。わざわざ聴きに行くと言うのにプレイリストはJazz一択だ。
下りの電車内は鮨詰め状態なのでボリュームには配慮しているが、体中で音を感じたい。麻生そっちのけで俺の方が楽しんでいるな。
『間もなく、横浜……』
俺の地元、横浜。新宿に次いで永遠に工事が終わらない駅だ。『日本のサグラダファミリア』なんて揶揄されているが、地元民から見ても厄介な工事だ。前まで使えた通路が塞がれたり、渋谷まで結ぶ地下鉄が深すぎてホームに行くまでに疲れちまう。
そんなゴミゴミした横浜で電車を乗り換え、待合わせている駅へと向かう。県外の人がイメージしている横浜、実のところ材木置き場で後から作られた街、桜木町。
昔は横浜と桜木町の間に駅があったが、再開発なのか無くなってしまった。あそこのガード下は有名な『グラフィティ』場で、なんでも抽選じゃないと描いてはいけないとのこと。守らなければ軽犯罪法違反で取っ捕まる。今はどうなっているんだろうか。
『次は、桜木町……』
時間は一九時を二十分程過ぎたところだ。麻生にメッセを送る。
『お疲れ。駅に着いたよ』
キレイになった桜木町は改札が増え、南北に二つになった。さて、どちらかな……?
『おつかれちゃん♪莉加っちも駅におるよ!でっかいタワーが見える!』
どちらからもランドマーク・タワーは見えるんだけどな……。
『改札はどっち?』
『どっち言われてもわからんがよ(´;ω;`)』
なんだよ、その絵文字。一人なのにニヤついちまう。くそっ!
『改札を背にして右側に下に降りる階段はある?』
『♫♩~♫♩~』
麻生から着信だ。こっちのほうが手っ取り早い。
「もしもし?」
『おいよー!迷子じゃ!』
「落ち着いて。さっきのメッセ見た?」
『改札を背にして右?ああ、西口、野毛方面って書いてあるがが!』
「おけ。すぐ行くよ」
麻生がいるのは南口、昔からある改札のほうだ。ド、ドキドキしてきた……。
『おおっ!見えたが!』
「一旦切るぞ」
俺を見つけた麻生の声をイヤホンから注入し、実物へと会いに行く。
麻生はいつものブカブカなスーツではなく、インディゴ・ブルーに染まったタイトなワンピース、ウエスト部分のダーク・ブランのベルトが”か細さ”を強調している。手にはライダース・ジャケット。寒がりだもんな。私服姿を見たらさっきよりドキドキが強くなり、何を緊張しているのか汗をかいている。
「お待たせ」
ドキドキが、動揺がバレないように冷静に、平静を装う。火曜日よりメイクがハッキリしている?目元が泣きはらしたような赤さで、ツリ目をカバーするかのようにアイラインはタレ目風に引かれている。個人的には猫のような目元の方が好きだが、これはこれで良い。庇護欲を駆り立てられる。唇は可愛さと真逆なダーク・ローズ。そのアンバランス具合が猥雑さを醸し出している……。いかんいかん。
「やっと逢えたがよ!」
言うなりしがみついてくる。火曜に会ったばかりで、毎日死ぬほどメッセのやり取りをしていると言うのに、って!早いから!
「ちょ、ちょっと……!」
「おお、スマンスマン!実物見たら抑えらんくてのう♪」
「今日、研修だったんだろう?」
麻生の服装はどう見ても遊びに行く服装だ。それに引き換え俺はと言うとスーツ姿のまま。パリっとはいかないところが哀愁を誘う。
「ズっちゃんとお出かけやからの!かわええじゃろう♡」
そうか、十九時ジャストだと着替える時間が無かったのか。それにしても気合が入ってること。瑠海の私服も眩しかったが、麻生のそれはキュートであり、コケティッシュも含んでいる。清らかなイメージを持っていたが、全くもって騙されてしまった。ワンピースからチラチラと除く生足が艶めかしさを強調する。蹴ったら折れそうな細さだ。
「メシは?」
いきなりバーに突撃もいかがなものかと思うので探ってみる。
「小食やから減ってはおらん!ズっちゃんが食べたいもの食べようや♪」
うむ。メシの選択を誤ると後々ヒドイ目に合う。ここは慎重に、と行きたいが必殺技を使わせてもらう。ググれカス様だ。
「好き嫌いとかアレルギーはある?」
「んー、脂っこいモンはイヤじゃ!」
お、ハッキリと言ってくれるタイプか。助かる。まあこの細さ、くしゃみしたらフランスまで吹っ飛びそうだからな。
「それなら……」
俺たちは肩を並べる近さで階段を降りていく。野毛へと。




