番外 : あながち間違いじゃない。
「……ただいま」
「おかえり。どうしたの?」
遅番を終えたはるが帰宅した。いつもの元気さが無い。
「なんでもない」
そういい残し、着替えに寝室へと向かうはる。後姿を見つめながら、仕事で何かあったなと気づく。乙葉も疲れてはいるが、はるを放っておくわけにはいかない。
『トントン』
着替えているだろうはるに向かってノックする。
「開いてるよ?」
乙葉は構わずに寝室を開けて着替え始める。
「はるはまだ着替えたらダメよ」
乙葉も先ほど帰宅しスーツから部屋着に着替えたばかりだが、ささっと外へ出られる格好に着替える。
「ど、どーしたの?」
「それはコッチのセリフ。さ、行こ!」
「あ、ちょっ!」
はるの手を掴んで、帰ったばかりの玄関を二人で出る。
「乙葉ってば!」
はるが声を荒げるが、お構いなしにエレベーターへと手を引っ張って乗せる。
「ねえ、乙葉ってば……」
はるの言葉を遮るように乙葉の唇がはるの唇に重なる。
『ドアが閉まります……』
「んっ、んん……!」
1階に着くまで乙葉は離れない。
『一階です』
機械的な音声が聞こえ、やっと乙葉の唇が離れる。
「んっ、ぷぁっ……、ねえ!乙葉ってばあ!」
「お花見。夜桜見に行こう」
長いことキスをしていたのではるは苦しそうだ。返事も聞かずに手を引っ張る、いつかの雪の日のように。
長年、はるの恋人をしていれば大体は想像がつく。ホワイトデーの時みたく辞めるなんて言いかねない。
途中で缶ビールを買うためにコンビニに寄る。買うまではるは本当に花見に行くとは思わなかった。
花見とはいっても近所の公園に咲いている桜を見るだけ。二人で横並びにベンチに腰掛ける。
「はい」
「……うん」
はるが手を付けなさそうなので、乙葉がビールを開けて渡すもまだ元気がない。
「とりあえずお疲れ様」
無理やり乾杯をして乙葉は飲み始める。
「乙葉、強引だよ。そんな気分じゃ無いのに」
「確かに強引だったわね。だったらどんな気分なの?」
「それがわからなくて困ってるのに」
心の中で小畠の声が聞こえる。
『一番の問題は、何が問題なのかが理解出来ない事だ』
「……何が問題なのか、がわからないのね?」
「問題っていうか、仕事でちょっとトラブったっていうか、揉めた、まではいかないけど」
ごにょごにょと口を濁して答える。乙葉はそこまでビールが好きでは無いが、小畠よろしく喉を鳴らして流し込む。
「なんかスッキリしないわね?」
「店長とちょっとあってね、それがはるだけが悪いみたいなカンジでさ、ちょっと悲しくなったし、ツラクなった」
やっと重い口を開いた。やっぱり仕事だったか。いつもちょこちょこ揉めている相手だが、今回は珍しくしょんぼりしている。
「何があったの?」
問い詰めず、はるが話しやすいようにいつもより明るいトーンで聞き返す。
「店長指名のお客さんが、はるにお願いしたいってなってね、店長に相談したら、何か揉めちゃった」
グイ、とはるもビールを傾ける。そこで初めて桜の木が目に入った。
「もう、こんなに咲いていたんだ」
ポツリ、そんな例えが似合うような言い方ではるがこぼす。
「店長はなんて?」
「何で指名変更したいのか理由を聞いた?って聞かれたから、お客様からのご希望でって答えたの」
「そしたら?」
「だから、理由は?って聞かれたから、多分、気分的なのかなって。イメチェンしたい時とかって誰にもあるじゃん?」
「そうね。何時も同じオーダーだと飽きちゃうかもね」
はるが喋りやすいようにつなげる。
「それで店長はなんて返したの?」
「お客様はイメチェンしたいって言ってたの?って聞かれたから、多分って」
乙葉には店長が言いたいことが大体わかってきた。
「そっか。ねえ、あそこの桜て何分咲きだと思う?」
「え?どれ?アレ?んー、6、いや7割くらい?かな?」
「それはどうしてそうだと思ったの?」
「TVとかでレポーターの人がそう言ってたから」
「そうよね。でも実際には聞いた私にもわからないわ」
「えっ?」
ちょっとムスっとした声で聞き返す。
「だってそれは『主観』だから」
グイ、と乙葉が缶を傾ける。
「シュカン……?」
「事実と主観。この桜が何をもってして『何分咲き』なのか、正確なデータを持っていない。持ち合わせていないデータを埋めようとして、個人的な視点で見てしまったり、正確ではない情報で埋めようとしてしまう」
乙葉が小畠に言われた言葉。インシデントを報告したら、先ほどのはると店長のようなやり取りになってしまっていた。その後、彼は怒らずに事実と主観の違いを教えてくれた。そこで初めて乙葉も気が付けた。
「きっとね、店長は『事実』が聞きたかったんじゃないかな?」
「事実、って言ってもお客さんの心なんか全部わかるワケ無いじゃん!」
「だったらそう伝えた方が良いと思わない?」
「あっ……」
はるが何かに気づいたようだ。
「そっか。店長ははるの意見じゃなくて、お客さんが何で指名変更したかった理由が知りたかっただけなんだ」
「はるの話を聞いた感じだと、私はそうじゃないかなって思う」
「てっきり指名のお客さんが減るのがイヤなのかなって思って、ヘンに気をつかっちゃった」
「良かれ、と思ったけど今回は違ったみたいね?」
「はるもお客さんにそこまで聞けなかったし。どーしたんですか?って聞いてもちょっとねしか言わないから、それ以上聞けなかったんだもん」
思い出して胸が苦しくなったのか、缶を握る手に力が入る。
「次も同じようなことがあったら、私に言ったみたく『事実』だけ伝えれば、店長も分かってくれるんじゃない?」
はると同じ季節の夜風が二人の間をすり抜ける。スス……っとはるが乙葉に寄り添う。
「そうだね。乙葉の言う通りだね。ゴマかしたみたいな言い方したから、店長も事情が気になってしつこくなっちゃったんだと思う」
「ほら、主観」
「あっ……」
「いきなり直せなんてことは出来ないもの、今はそれでも良い。でもね、はるが店長になった時に同じことが起こったら、はるは何て聞くのかな?」
「……乙葉のイジワル」
ジトっとした目で詰られる。こんなところも恋人の可愛いところだ。
「少しづつ直していけばいいし、気づいたら正せばいい。難しくなっちゃダメよ?」
「それは乙葉の『シュカン』?」
「『経験則』で状況を『判断』した回答よ」
「ムツカシいよ~!」
「朝から晩まで『主観』に拘ってたら頭がおかしくなっちゃう。仕事の時だけでも『事実』を先に伝えられるようになれればいいね」
そう言うと、エレベーターの中とは違った優しい口づけを交わす。
「……今日の乙葉、何かヘンだよ」
顔を赤らめてうつむくはる。
「じゃあ、もうしない?」
「イジワル~!」
涙目で反論する恋人にもう一度、優しい口づけを捧げる。
「風邪ひかないうちに帰ろっ!」
「なんか乙葉に丸め込まれた気がする……」
「……あながち間違ってはいない、わね」
今度は世界で一番優しい微笑ではるに返す。
「あー!もーいーや!何か吹っ切れた!」
残りのビールを一気に飲み干す。
「もう一本買って帰ろ!」
はるがベンチから立ち上がり、乙葉に手を差し出す。ゆっくりと、しっかり握りしめて、もう一度キスをした。
「もういっぽぉ~ん!」
「私、明日も仕事なんだけど……」