#158 : 閉ざされた空間で受ける精神攻撃
家に着くまで、麻生と出会った頃から思い出してみる。
今思えば、彼女が言う通りアクションを起こしていたように思う。俺は仕事モードに入ると私情をシャットダウンさせるクセがある。何が仕事に一番良い結果になるか、それに集中し過ぎてしまう。人間の機微や些細な感情を読み取れたとしても結果を優先させる。
面接の時からだったなんてな。もう半年も前の話だ。その間、麻生はどんな気持ちで仕事をし、瑠海に会い、四ツ谷と研修し、大井さんに抱かれていたのだろうか。
そう思うと急に虚しくなってきた。俺が意地を張らなければ、今頃は誰も傷つかなかったのではないか?
瑠海は衝動的だったとは言え俺に近寄らず、遠くで喜劇を見るかのように静観しただろう。彼女も仕事と私事を切り分けるタイプ、派遣社員という立場、危険を冒してまで俺の所には来なかったはずだ。
四ツ谷は上司としての憧れと、異性としての恋心を混同することなく、焦ってコトを起こすことが無かった。初めては俺みたいなオっさんじゃなく、なお君のようなイケメンの方が何百倍も良い思い出になっただろう。
そして、沙埜ちゃんの苦悩を増やすこともなかった。最初は捨て犬にこっそりエサをあげる感覚だったろうに、距離が近くなった分、ただの客なのか、友人なのか、恋愛対象なのか。困惑させてしまった。
他にも数え上げたらキリがない。選択肢を誤っただけで、どれだけの人間が不幸になったんだ?この世界はゲームじゃない。事前にセーブもできなければリセットもできない。リセットするとき、それは『死』あるのみ。
……わかっていながら頭で考えちまう。俺の悪癖。事実が捻じ曲げられていく。瑠海の時に行動は起こしたのだし、麻生も状況を知っている。さすがに四ツ谷の事までは知らなそうだが。ただ、和田を使って探る可能性はあるかもしれないな。
もう、覚悟を決めて向き会うしかないんだ。俺はもう『逃げない』。恋人として付き合うことはできないが、飲み友達くらいならいいだろう。それ以上の関係は望んでいない。麻生には家族がいる。会ったこともない麻生の子供に自分を重ねてしまう。
『ティロン♪』
業務端末がメッセを受け取ったと自己主張する。帰宅ラッシュからズレた時間帯とはいえ、ほぼ満員電車でカバンからスマホを取り出すのは至難の業だが、業務用となると放ってはおけない。また別所がやらかしたもしれないしな。マナーモードに切り替える。
『今日は忙しいとこありがとうでした♪ほいでなあ、ウチ今週末やったらまだ研修期間やけ、次の日は空いちょるんよ!せっかくやし今週ジャズバー行こうや♡』
麻生だ。業務端末に私的なログが残るのは絶対に避けてきた。ナニがきっかけで問題になるかわからなかったから。しかしこの人の多さ、禄に文字も打てない。しかも俺は打つのが遅い。後十分足らずで駅に着く。その時に返しておくか。今週も特に予定は無いから大丈夫だろう。
『ヴヴッ……』
まただ。
『既読スルーですかぁ?』
スマホ画面を見ているだけで隣の人に当たる。開く度に怪訝な顔をされる。も、もう少しだけ待ってくれ!
『ヴヴッ……』
!?
『なんでお返事してくれへんねや?ウチのことキライか?それとも他の女とご一緒かえ?』
『ヴヴッ……』
隣の人はあからさまに俺を避けるように身体を少しだけ入れ替える。
『約束したよね?ジャズバー行くって。自分から行きましょうって言うたんよね?』
『ヴヴッ……』
もう、勘弁してくれ……!
『さっきの話しはウソやったんか?ナニしとるかは知らんけど、後10分だけ待つわ』
あからさまに文面にイラ立ちが伝わってくる。俺はと言うといつものように滝のような汗をかいている。左隣のOLちゃんが半歩分、俺から遠ざかる。
『ヴヴッ……』
十分待つって言ったばかりじゃないか!?
送られてきたのはメッセージだけではなかった。写メ。下着姿の、麻生の。
『もんたで!着替えて待っちゅうけ早ようお返事してな?』
手汗でスマホを落としてしまった!見間違いでなければ麻生はブラとショーツだけを着け、姿見を利用して全身を自撮りしている。こんな写真を見られたら俺は鉄道警察に直行だ!
「す、すみません……」
ダクダクに流れた汗も拭かず、屈伸運動をするようにスマホを拾う。幸い画面は割れていなかったが、左隣のOLちゃんに完璧に見られた。今度はつり革一つ分離れていく。
『ご乗車、ありがとうございました。間もなく……』
俺の生き地獄はようやく終わりそうだ。精神攻撃力半端無ェ。降りたとたんに捕まったりしないよな?
『ティロン♪』
「……誰?こんな時間に」
不機嫌そうに彩が横にいる馨に尋ねる。
「麻生さんだ。わからないことがあって協力して欲しいって」
「はぁ!?あの地雷!?」
「それは人のこと言えないんじゃグフッ!?」
馨の返事を最後まで聞く前に彩がボディブローを叩き込む。シャツの上からはわかないが、馨の腹筋に彩の拳の痕が赤く残る。
「なんでアンタの番号知ってんのよ?」
「……同じ二課だ。業務端末が至急された時に交換した」
「ってもう辞めたんでしょ!?ってことはそのメッセは地雷の私物じゃない!この前の飲み会も空気みたいだったクセにちゃっかりしているというか」
「彩、もうちょっとしおらしくなゴフッ!?」
二発目のボディブローが叩き込まれる。ミリタリーゲームを趣味にしているだけあって基礎体力はしっかりとあり、女性のパンチとは思えない重さだった。
「nervig……」
咄嗟にドイツ語で悪態をつく彩。馨は涙目で腹を押さえ悶絶している。誰のせいでこんな仕打ちを喰らうのか。




