#156 : 狐の狸も猫も化けた。
「ほいたらメッセ送るけ、ちゃんとお返事してな?」
俺が好きだった可愛さをフリフリと振りまいて席を立つ。
「そろそろ息子が帰るきに、今日はこれで失礼します♪」
何時もの火曜会の時のように、何事もなかったように、今までの話が全て俺の妄想であったかのように、麻生は儚げに店の外へと出て行った。
頭の整理が追いつかない。
麻生は最初から俺を狙っていた?そんなそぶりは無かったぞ?毎度のことながら気づかなかっただけなのか?瑠海にも『野暮』と言われ、麻生からは『ニブチン』と言われる俺は、恋愛偏差値底辺校出身なんだ。難問は解けない。
麻生が大井さんと付き合ってた。他人様の色恋だ、俺には関係が無いし興味も沸かない。過去にヤキモチを妬いたところで現状は何も変わらない。考えるだけ無駄な時間だ。それよりも俺が気になっているのは瑠海と大井さんの関係だ。
クラブ時代から相当入れあげていたとのことだし、彼が自分で事業も持っていてなお君の店の出資もしていた?確かに彼はやり手だと思っていたが……。
瑠海がこの前、俺に言っていた言葉の意味はこれなのか。彼女に求められるのは彼女自身ではなく、彼女が持つステータスを利用するためだけに近づいて、用が済めば捨てられる。
結果論だが、誰も心から瑠海を愛していなかった。彼女の表面上だけを都合よく利用する。腹立たしいが俺も同じことをしてしまっている。何が暖かさだ。烏滸がましいにも程がある。
瑠海から告白されたことは正直に嬉しかったし、俺も瑠海と一緒に居たいと思った。それなのに心のどこかでブレーキを踏む俺がいる。もう、恋愛ごっこをしている歳ではないし、中途半端に瑠海の時間を、若さを奪いたくなかった。これはいつも思う俺が勝手に思った『エゴ』だ。本人に確認したワケでもなんでもない。それこそ妄想だ。
瑠海には瑠海の魅力があるし、麻生には麻生の魅力がある。とは言えあの瑠海から浮気をしてまで麻生を選ぶのか?それほどまでに良いオンナなのか?麻生は。
俺は自分を取り巻く環境が瓦解してしまうことを恐れすぎて、いつしか保守的になっていた。それを打破してくれたのが瑠海であり、調子に乗るなと気づかせてくれたのが四ツ谷、もっと自分の気持ちに素直になれと教えてくれたのが沙埜ちゃん、完璧主義をやめて楽に生きろとましろが話してくれた。
麻生は?何度も接触がありながらも俺から遠ざけていた。気持ちはありながら。あの時と似たような感情、内藤さんだ。
内藤さんに決して迷惑をかけてはいけない、そう思いこんでひたすら忘れるように気持ちをシフトした。麻生に対して抱いていた気持ちは似て非なるものだが、例えるなら同じことだ。あんなにも俺の好みなのに何もしなったのは、同じ会社、外注の派遣社員と言う立場、そしてシングルマザー……。
もし、麻生と付き合ったりするとなったら俺はどのように振舞えば良いのかわからない。相手には子供がいる。ただの遊び相手として付き合うのは、麻生にも麻生の子供にも悪影響を与えるのでは?
仮に再婚となったとしたら?結婚観が皆無の俺には想像できない世界だし、結婚に憧れも幻想も抱いていないのには出自に関係する。
俺が物心ついた時には親父はいなかった。昔の言葉で言うなら『母子家庭』で育った。
親父の顔は良く覚えていない。家に寄り付かず愛人の家で生活していた。たまに帰宅したと思えばお袋に金の無心、兄貴と俺は顔を合わせれば良く殴られたもんだ。今で言うDV。暴力から逃れるようにお袋は小学校高学年の兄貴、小学校入学前の俺、まだ乳飲み子だった弟を連れて家から逃げ出し、休みなくパートで働いて一人で育ててくれた。そんな親達を見ていれば、自然と結婚なんてしない方が良いと思っていた。
生活は極貧、腹が減りすぎて夜は眠れない、服は兄貴のお下がりで、ばぁちゃんが繕ったツギハギだらけの服。学校に行けば『貧乏人』、『お父さんがいない』といじめの対象だった。それでも俺はずっと耐えた。お袋に心配をさせちゃいけないと。
母親の代わりに弟にミルクを飲ませ、ゲップを出させたらおむつを替える。夕方前に飯の準備をし、弟の沐浴をする。そうこうすると兄貴が帰ってきて飯はまだかと殴られる。
あの頃は家族ですら恨んでばかりいた。何で俺ばっかりこんな目に合うんだ?早く自由になりたいと。自由になったところで遊んでくれる相手は自然しかなかったが。人間の友達は俺をスケープゴートにして、自分がいじめられないようにヒエラルキーを守っていた。
小学校高学年、弟も手がかからなくなり始めた頃から俺はグレた。子供という立場を最大限に利用して。補導歴も逮捕歴も無いのは奇跡に近いほど悪行三昧だった。優と出会った頃には悪いことは全てやりつくしていたから、学校で悪ぶる同級生や先輩たちが子供染みていて族にもチームにも入らなかった。
唯一、小学四年生の時にゴミ捨て場で拾ったギターだけが、音楽だけが俺の安らぎであり、たった一人の理解者だった。
性格を形成する幼少期から俺は一人だった。そんな俺がそのまま大きくなっちまった。だから、人との距離感が分からない。接し方がわからない。いつも顔色を窺い、嫌われないように、相手が望むことを、喜ぶことをしようと考えてばかりいる。優に言われたあの一言、俺の過去なんか知らないのに見事に本質を突かれたちまったな。
皆のおかげでやっと氷塊してきた俺の気持ちが、この結果を生み出してしまったのか?もう、俺にはわかならい。今の俺の本心は瑠海の言葉を借りるなら『こんな命はもう不要』だ。この世界から消えてしまいたくなる。誰も俺に構わないでくれ。頭が割れそうになる。
それにしても寄ってたかって騙してくれたな。いや、化けの皮が剥がれた、か。
さしずめ俺が狐、大井さんが狸、麻生が猫。よくよく考えたら化ける動物ばかりだ。あの面接の時から皆で化かしあっていたってことか。笑うに笑えないよ。




