#155 : 女の心は猫の眼
いつものカフェは俺を癒す空間ではなくなり、得も言われぬ空気が漂っている。
流石にこの時間になると利用客は少ない。皆、帰宅したり帰社しているのだろう。カウンター席に俺と麻生、離れたテーブル席でイヤホンを入れたサラリーマンがパソコンに向かっており、こちらの様子は気にならないようだった。
コーヒーちゃんは基本的にカウンターから出ない。利用した食器はセルフでレジ横の返却口に返すから、たまにテーブルやカウンターを拭きに来たりするくらいだ。だからいつもここで内緒話や研修を行っている。
「つ、付き合うといってもお互いの事よく知らないし」
「そうやんなぁ?ウチも小畠さんが元ヤンって位しかしらんけ、そうなるかぁ」
「な、なぜその話を?」
カラッカラに乾いた喉に、氷が解けた水を流し込んでようやく声にした。
「和田君はお喋り好っきやからのう!」
あの野郎、麻生と仲良くなるために俺をダシに使いやがったのか!に、してもチェリー君とは。いつもの清廉潔白とした麻生ではなく、軽薄なオンナの感じがする。こっちが素なのか?
どこまで情報を持っているんだ?そう言えば――
森の販路圏内のデパートの話を思い出す。四ツ谷を連れて見学と称した麻生の本質を判断しに行った時だ。なぜあんな情報を持っていたのか聞いた。社内の人間ですら持っていなかった情報だ。
『知り合いに情報通の方がいまして』
麻生の情報源……恐らく、いや、確実に大井さんだろう。
「あん時に四ツ谷さん連れちょったけ、ウチも気合入れたろ!思うて普段は発言せんのに改装のネタぶっこんだんですよ!案の定、元泉は焦っちょりましたけどね!まさかアレで火ぃついて売上一位取るなんて大したもんやなあ思いましたけど、ウチの好みやないけ、どーでもえーですわ」
少女の顔をして毒を吐く麻生。消え入りそうで儚く、朧げな彼女は俺が抱いた幻想だった。本質を出した彼女が目の前にいる。
「あん時は森さんに言われたんがやろ?ウチのやる気があーだのこーだの言うちょってからに!誰のせいじゃ!」
麻生の観察力がすごい、と思ったのは何回かある。初めての火曜会で一瞬で状況を判断したり、この前のホワイトデーではコーヒーの蒸気で俺がいつ頃店に着いたのか察知していた。やはり、森の事は気づいていたのか。
「で、いつジャズバー連れてってくれはるんです?」
純真無垢な瞳の麻生に戻るが、俺は悪寒を感じた。瑠海の時とは違う『破滅』を本能で感じた。これ以上"深入り"してはダメだ。瑠海が四ツ谷に対して言った言葉とは違う危険性が含まれている。
「い、今は新しい年度で余裕が無くて」
嘘だ。いつもの脊髄反射よりも本能が口を吐く。この場を収めるために、俺はこの目で麻生を欺く。
「おいよー!金曜は瑠海ちゃんと一緒やったんに、ウチとはおイヤかよ?」
「な、ななな……!」
何で先週の事まで知っているんだ!あそこにいた関係者はリンとマリさんだけだ、なお君もわざわざ言わない!
「チェリー君が沙埜のお店に一人で行ったら、大井さんと仲村さんが居ったそうでのう、何してはるんですかぁ?って聞いたら、社内の打ち合わせする予定が江口さんが欠席したからこっちの店にした、言うとったそうな!打ち合わせなら伊藤君の店や。それなのにわざわざ沙埜の店にしたってことは小畠さんが居ったからやろう?伊藤君辺りが大井さんに連絡したんやろうなあ。こんな話までわざわざ連絡くれるんよ!使えるものはチェリーでも使えってのう♪」
なお君の店で打ち合わせ……先ほどの話しと合点がいく。あの日、あの時、瑠海は入ってきてすぐに出た。そして、先約をキャンセルしたから朝まで付き合えと言っていた。
『嫌でも会う人だから良いの。気にしないで』
仕事の関係上なら嫌でも会う。過去の事が有っても無かったとしても。
「瑠海ちゃんの担当はもう別の人なんやけど、仲村さんの引継ぎもあって呼んだんやろな?ウチも会社自体、辞めてもうたから。まんまと小畠さんに持ってかれたけど」
またもケラケラと笑っている。いくら元カレとはいえそんな言い方ってあるのか?俺の感情は顔に出やすい。麻生が表情から俺の心を読み取る。
「小畠さんはなあー、しゃっち人の事をすーぐ信用するけ、そんなんで今迄ようやってこれましたなあ?あ、悪口とちゃいますよ!良い意味で誉め言葉ながや!こないな純粋な人がおるんやなあって!」
十近く歳の離れた麻生に人生観を指摘される。
「最初の面接の時からウチは決めちょったで!いごっそうやけど良いろうもん、ウチのモンにしたろ!って♪大井さんはやり手やけろたっすいからの」
「た、たっすい?」
「ああ、ごめんなさい。頼りないって意味や。オトコとしてな」
喋りすぎたのか麻生がアイスティーをこくこくと飲む。その仕草だけを見ればいつもの、俺が焦がれた麻生なのだが見抜けなかった、と言うのか。
「ジャズバーはいつ行くがよ?」
上目使いでキラキラとした大きな瞳で俺を見つめる。俺はこの猫の目に捕らわれてしまっていた。