#148 : 気をつけてカベ塗んなぁ!
「なんで課長と江口さんがっ⁉︎」
晴天の霹靂と言わんばかりにリンの目が見開かれている。
「リンこそどうしたん?」
至極普通に聞き返す。先に情報を与えてたまるか。
「こ、この前、マリさんとメッセ交換して、そんで……飲みに来たんス」
「誠く〜ん?ウソはダメでしょ?アタシに会いに来たんじゃなかったっけ?」
「は、はい!マリさんに会いたくて来ました!」
カウンターに両手を組み、その上に顔を乗せてリンの目線に合わせるマリさん。なんて事だ!あのリンがマリさんに骨抜きにされてるじゃないか......!
「で、課長……は?」
「こないだダーツやって負けたから練習しに来たんだ」
「それでなんで江口さんと?」
「一軒目の店でバッタリ会ったんだ。そこのマスターも後から来るかもよ」
ウソはついてないけど手汗が酷い。声も裏返りそうになるのを必死に抑え、普段よりも低いトーンで話しをした。瑠海が笑いを堪えているように見える。くそっ。
「俺は練習するからどうぞお構いなく」
カウンターに手をヒラヒラと振りダーツ台へと向かう。瑠海もこっちへ来たようだ。
「マリさん、年下も好きなのよね」
「そうなんだ。でもリンは相当遊んでるヤツだぞ?」
「それは貴方も同じじゃないかしら?」
ぐふぅっ!血反吐吐くわ!
「人の恋路を邪魔するヤツは、って言うしね。そっとしておこう」
いちいちオーダーして二人の時間を割いたら悪い気がしたので、普段は飲まない物を頼もう。
「ワイン平気?」
「私のradiciはご存知よね?」
そうですね。あちらでは水のように飲まれておりますものね。
「どちらでもでも構わない」
「じゃあ白にしようか」
ボトルで頼んでグラスを重ねる。
「てっきりイタリアかと思ったのに」
自慢だが俺は酒は詳しい。が、ワインはまだまだ勉強不足だ。数があり過ぎなんだよ!
「チリ産でも美味しいじゃないか」
「貴方となら、ね」
カウンターからは離れてるし、ロックやパンクなBGMが流れているから会話は聞こえないだろうけど、逆にドキドキするな。
「折角だけど初志貫徹させてもらうよ」
「わたしは見ているだけで良い」
今日はダーツをコッソリと練習する、コソ練しにきたのだ。瑠海には悪いがやるからにはしっかりと。
「……下手になってない?」
「……や、やっぱり?」
おかしい。まるで入らない。狙った所に絶対不可侵領域が張られているかのように、ダーツが逸れていく。台の前だけエアコンの風が強いとか無いよな?次こそは!
「……俺、ダーツ廃業するわ」
てんでダメだった。こんな時は投げてもムダ。投げれば投げるほど下手になる。俺らの界隈で使っていた言葉で『入れたい症候群』って病に罹患している。ようは力み過ぎなんだ。かといって力を抜けばすっぽ抜けてしまう。
「お見事でしたね」
「最高の賛辞をありがとう」
自らテキーラを飲み行く。
「どーすか?」
「てーんでダメだ。変なクセがついちまったようだ」
リンの他にもカウンターにはお客さんがいるのであまり騒げない。この手のバーにしては女の子が多いけど、それに目もくれずマリさん一直線のリン、惚れたか?
「どういう風の吹き回しだよ?」
瑠海に言われた言葉をパクる。
「この前お話ししてたら意気投合しちゃって!音楽とか、ファッションとか、世界観とかで盛り上がっちゃって」
この二人の盛り上がり……パンクを越してカオスにならないかな?
「誠君は甘えん坊さんだからね♪」
「は、はい!下等生物よりも劣ります!」
少しは発言を慎みたまえ。隣の隣の女子が引いてるぞ。
リンも黙っていればモテるタイプだ。こう言うヤツはマメだから気配りができ、場の空気を楽しませられる。コイツも裏表が無く付き合いやすい。屈託のない笑顔が少年っぽくて良いんだろうな。って俺はノーマルだってば。
「朝まで投げようかと思ったけど心がポッキリ折られちゃったよ」
「それは残念だったわね」
二本目のワインを優雅に飲む瑠海。
「放ったらかしてごめん。リンとマリさんの邪魔しちゃアレだし、お開きにしよっか。なお君に連絡してもらって良いかな?」
「奈央なら来ないわよ」
「え?」
「貴方と一緒だから、ね」
イミシンな言葉……。なお君に嫌われたかな?
時間は二時。こんな時間に帰るなんて健全も良い所だな。
「アレ?かちょー帰っちゃうんスかぁ?」
ホロ酔いのリンがヘラヘラと聞いてくる。酒は飲めるが強くはない。
「人の恋路を邪魔するヤツは、ってヤツさ。迷惑はかけるなよ?」
「わっかりましたぁ!親方ぁ!」
有機溶剤に気をつけてペンキを塗るカメのような返事だが、なんかあってもリンなら大丈夫だろう。このルックスに性格、放っておかないよ。って俺はノーマル、至って普通だぞ。
「私も帰る」
「アレぇ?えぐっちゃんもぉ?アヤシイなぁ〜!」
「ルミはアタシの彼女だからダメよ♪」
『えっ⁉︎』
思わずリンと声を合わせて驚いてしまった!
「言ってなかったっけ?アタシ両刀だから♡」
「疑われたくないから訂正する。マリさんとナニも無いし、私は普通よ」
マリさんの両刀は否定しないんだな……。ごくり。
「俺は朝まで飲んじゃいます!っした!」
「飲み過ぎんなよー」
コッソリとリンの分の支払いも済ませておく。万が一って時に金足りないと惨めだからな。あ、俺も現金無ぇーや。
「タクシー呼ぼうか?」
店を出ると春先のぬるい南風が吹き、瑠海の烏羽色の髪をサラサラと流した。瑠海は東京の濁った夜空を見上げ、何か考えているようだった。答えを躊躇らうかのように。
「今日は、帰りたく無い……」
前回はアレでしたしね。っておいおい。
「瑠海はそれで良いのかよ?もう、気づいてるんだろ?」
俺のどっちつかずなクズい性格を。
「貴方から何も与えてくれなくても良い。ただ、貴方が欲しい。貴方に包まれていたいの……」
ああ、あの憂いを帯びた妖艶な目。捉えた獲物を逃さない。全力で狩りをする肉食獣のようでいて、一切の衆生を救済する聖女のように慈愛に満ちた瞳。
その瞳を俺に向け、ゆっくりと、焦らすように唇が重なる。
瑠海は『ユディト』のようだと思ったが、今の瑠海を例えるならば『マリア』だ。なすがままに、あの歌が聞こえてくる。
俺達はタクシーに乗り込み、深夜の高速から瑠海の住む街へと向かっていた。