#144 : アンタはどうなんだい?
今まで見た事がない近藤さんに畏怖を感じながら、冷め切ったコーヒーを一口飲んで落ち着かせる。
「どうだい、アタシの右でもっと上を目指さないかい?勤務地はアメリカだよ」
「ア、アメリカに、ですかっ⁉︎」
四ツ谷も気迫に押されていたのか、声が震えている。肉食獣に狙われたウサギのようだ。
「接客時の会話から英語に慣れていると判断したんだよ。得意だろう?」
「は、はい、僭越ながら。幼少期は父の仕事の都合でアメリカにいました。英語は忘れてしまった事も多いですが」
「いくつまでいたんだい?」
「学校の問題があり、小学生の時に私と母だけ帰国しました。父はアメリカ勤務です」
「ほう、どこだい?」
「LAにいます」
「丁度良いさね!支店はロスに出すんだよ!リトル・トーキョーの近くさ!一歩間違えたらスキッド・ロウで危ないけどね!ロスのどこだい?」
「LAXに勤務しており、ビバリーヒルズにおります」
「航空関係か!良い所に住んでるし金持ってんだね!」
やっと近藤さんのオーラが和らぐ。が、息苦しさはまだ残っている。このオバハンおっかねぇんだな。
「ま、いきなり来いとは言わないさ。アメリカ進出もまだ時間がかかるしね。小畠もまだ離したくないだろう?」
「やっと進級したばかりですからね。本人を目の前にして酷なことを言いますが、四ツ谷はまだ近藤さんをサポート出来るレベルではありません」
キツイ言い方しちゃったけど、本心だ。
「珍しく言うじゃないか」
アイスティーを飲みながら驚いた顔をしている。下のモンに甘いって散々怒られてきたからなー。
「四ツ谷さん、アンタはどうなんだい?」
氷も溶け切り、グラスの中でアイスティーがグラデーションになっている。温くなった水を飲んで四ツ谷が話し始めた。
「お誘いいただけてとても光栄に存じます。ありがとうございます。大変心苦しいのですが小畠さんが仰った通り、私ではまだまだ力不足です。それに、まだ会社に貢献できていないんです!自分一人で何かを成し遂げる、それも達成できていません。まだ何も成せていないのです。失敗しても全力で仕事にぶつかっている途中なんです!まだ、まだ……」
四ツ谷は真面目だ。この言葉に嘘は無い。
「可愛いコちゃんを困らせちゃったね。年寄りの戯言と思っとくれ」
ニカッ!と笑うと四ツ谷の肩に手を置いた。
「折角のお話しなのに申し訳ございません……」
「謝るこたァないよ!急だったしね!今回の事は言わばアタシの一目惚れってヤツさ!成就するまで何度だってアタックするから、その覚悟で仕事に取り組みなよ!」
「はい!ありがとうございます!」
四ツ谷の目からは涙が溢れていた。資材置場で見た涙とは違う涙。嬉し泣きってヤツかな。
「ほれ!カズ!」
「あ、ああ、はいはい」
ジャケットからティッシュを取り出して四ツ谷に渡す。
「あ、ありがとうございます」
涙目も可愛いな、おい。
「小畠にも言ったんだけど、この話しは他言無用で頼むよ?」
「かしこまりました!」
敬礼はないがたゆんっの笑顔で答えている。大丈夫そうかな。
「ほんじゃあアタシはもう一件あるから失礼するよ。今度ゆっくり食事でも行こうね!」
そう言うと名刺の裏にサラサラと何かを書き始めた。
「アタシの個人携帯だ。なんかあってもなくても連絡おくれよ。今日はありがとう!」
「頂戴いたします。こちらこそありがとうございました!」
「カズ坊も忙しいのにありがとうね」
「フリだけですよ!久々にお会いできて良かったです」
「ほんじゃまたね!」
そう言うと伝票を持って人をダメにする高級ソファから立ち上がる。
「カズ坊んとこだと経費切れないだろ?」
ニヤ、と笑っていってしまった……。
「ごめん。騙すつもりはなかったんだけど、最初からコレが目的だったんだ」
テーブルに頭をつけ謝罪する。
「お顔を上げてください!別に何も無かったんですし!」
アワアワしてる四ツ谷。逆に可哀想だよな、コレ。
「とりあえずお疲れ。付き合ってくれてありがとうね」
「こちらこそ尊敬できる方と繋いでいただけてありがとうございます!」
「俺もいきなりでさ。どうしたモンかと思ったけど。辛辣な言い方しちゃってごめんね」
「いえ!事実ですし、私はまだ離れたくありませんから!」
クッ、っと小さな握り拳を作る。
「そうか。仕事、楽しい?」
「はい!小畠課長のおかげです!」
「前に言ったけど、俺なんか盲腸と一緒だって」
自虐的かもしないが本当にそう思ってる。
「……小畠課長じゃなかったら、こんな気持ちになれていなかったです」
「なんでさ?四ツ谷さんは井出に任せっきりで俺なんか何もしてあげられなかったのに」
「上司として、男性として、尊敬しております。自分を高めていただける方とお仕事が出来る事が楽しいのです!」
……大人になっちゃったな。ほんの数ヶ月前だったら直球で気持ちを伝えてきただろう。このコはそう言う傾向があった。ちょっぴり寂しくも感じるし、成長が喜ばしくもある。
「俺が教えてあげられることなんて酒飲むことくらいだよ?」
わかっていながら軸をズラす。
「私もビール飲めるようになったんですよ!」
気づいてくれたようだ。
「いけない!別所さん置き忘れてた!」
ミステリー巡回が終わったら帰社し、報告書作成をする予定だったらしい。時間は十七時過ぎ。
「慌ただしくて申し訳ありません!本日はありがとうごさいました!お先に失礼します!」
慌てていながらちゃんと挨拶ができる。ホンマ良えコやなぁ。