#14 : ランナウェイ(情景2)
何の為に金が必要なのかを聞いて俺はフリーズした。
「…へ?今、なんと?」
「で、ですから、彼女と住むマンションを買いたいんです…」
大きな声を出さないで欲しい様で、小声で話し始める。
「…中学生の時に、同性で同級性のコを好きになり、想いを伝えたら理解はしてくれたものの、受け入れてはもらえませんでした。振られたのは女性であろうとするからだと思い、それから男性っぽく振る舞うようになったんです。今では自分らしさだと思ってます」
寡黙な美人の裏にはこんな事があったのか。この時の叶わぬ想いが彼女を強くさせたのか。
「田舎の中学です。噂話しに飢えてますからこの手の噂は広まるのも早いんです。よりセンセーショナルな噂が立たない限りずっと付きまといます。私が望んでいなくても」
真っ白なティーカップにそっと口づけをする。すっかり冷めてしまったアールグレイは、当時の思い出に似てさぞほろ苦いであろう。
「高校まで噂は付きまといました。お金を貯めて上京する事しか考えていなかったです。卒業してスグに願いは叶えましたが、特にアテもなく適当に働いて遊ぶ生活を繰り返してました」
今の森からは想像できないほどに自堕落だったのだな。
「そんな時、今の彼女が出来たんです。私を受け入れてくれて、認めてくれる存在を手に入れたんです。私に価値と居場所をくれました。ずっと一緒にいたいって思い、ちゃんとしなきゃと中途採用を受けたんです」
森の入社時期を遡って考えると、最低でも4、5年は一緒にいる計算になる。
「えっと、あんまり知識が無いので気に障ったら申し訳ない。答えたくなければ無理に、とは言わないが、その…工事費用?みたいなのでお金が必要だったの?マンションはスグにでも買えるんじゃ…」
「私は性同一性障害とは少し違うんです。男性っぽく振る舞うけど女性のままでいたい。恋愛の対象が同性と言うだけなんです」
身体をどうのこうのする為かと思ったがどうやら違うらしい。
「マンションはまだ探してる途中です。誰にも邪魔をされない二人だけのお城にしたいから。その為にずっと我慢して仕事に打ち込んできたのに、それなのに…」
声のトーンがどんどん下がって行く。昇給を悉く退けられながら奮闘した5年間は、彼女に何を与えたのだろうか。すっかりぬるくなったコーヒーを飲む。
「それなのに私、浮気してしまったんです」
思わずコーヒーを吹きそうになった。ラノベから一気にレディコミに突入だ。
「…麻生さん、お綺麗ですよね」
「ゴホッ!ちょ、まさかお相手って…」
「はい。麻生さんです」
爆弾発言に声も出ない。麻生は子持ちだぞ?
いや、両刀使いって事もあり得るか?
「浮気とは言っても、一方的に好意を抱いただけで彼女は潔白です」
「だったら何でわざわざ俺の所へ?」
「私なりにケジメをつけたくて。こんな事を黙って辞めたら小畠さんに絶対怒られるなって」
「確かにうるさく言って来たけど、お互い責任取れるなら怒りはしないよ」
自己責任と言う便利な言葉で上手く切り抜ければ良い。俺がうるさく言う相手は自己責任を何でもやって良いと履き違えるヤカラ共に対してだ。
とは言えその相手が同性、自社に派遣されている人物で、バツイチ子持ちと言う高い壁がある。麻生にその気が有っても無くても、責任と言う名の高い壁を越えるのは並大抵の事じゃ無い。
「多分、多分ですけど、私の想いは麻生さんにバレているな…と。おっとりしているようで勘の良い女性ですから。だから私との同行に戸惑い業務に支障をきたしてしまった」
「彼女はなんと…?」
「何も。なのに私が退職を急いでしまった。彼女のせいにして。全ては私の責任です」
「会社を辞める事は何のケジメにもならないぞ?自分自身の問題にピリオドを打てたとしても、な」
「…やっぱり小畠さんは厳しいですね」
そう言いながら泣き笑いの顔を上げた。
一粒だけ右目から零れ落ちた。
それはパールに似て、輝きをまといながら落ちていき、夜の海を思わせるネイビーブルーのパンツに吸い込まれた。
誰にも気づかれない、気づいて欲しく無い想いをそっと海に放てば、こんなにも無垢で美しいパールになるのだろうか。
純粋すぎる愛は、時に残酷だ。