#13 : ランナウェイ(情景1)
せっかちな俺は途中で森を追い抜いたらしい。
会社を出て電車には乗ったが、そのまま帰るのも何だしと思い、最寄駅で買い物をしてから帰路に着き俺と鉢合わせたと言うわけだ。
部屋に上がるのは憚れるので近所の喫茶店にて昨日の続きを行っている。
既視感だ。昨日と違うのは森が頼んだのがホットのアールグレイなだけだ。
「…私、辞めるって言いましたよね?辞めたらダメなんですか?」
「個人的にはずっと一緒に仕事をしていきたいと思ってるよ。しかしながらこの国には職業選択の自由が全国民に与えられ、権利を行使する事は誰も阻止できない」
「だったら何で自宅まで来るんですか?セクハラですよ?」
流石、俺の部下だった森だ。慎重で有る事を徹底し、かつ恐れずに飛び込む勇気を併せ持つ事。ハラスメント問題にも高い教育と取り組み、対策を行ってきた。その成果がこの答えだ。
「この状況でソレを言われたら何も言い返せ無いけどさ」
「なら本社に連絡します」
「あ、人事部長に報告して許可もらってるから」
森のハッタリにも付き合ってやる。もしかしたら本当に連絡されるかもしれないしな。嫌な汗が背中を伝う。
「…小畠さんが何と言おうと、私は会社を辞めます」
「もう決めちゃったんだもんね。俺は止めないよ。寂しくなるけど」
「何で辞めるか聞かないんですか?」
森とも五年の付き合いだ。聞いたところで素直に話さないクセに。
ここは一度引いた様に見せて溜まったモンを全部吐き出させた方が良い。このまま退職はさせない。
そうタカを括っていたら、森の口からとんでもない事実が飛び出た。
「私、給与が上がらない事がずっと不満だったんです。一課でダメなら新設の二課で功績を作ろうとがむしゃらにやってきたんです。それなのに、派遣の方が私より貰っていた事がショックで。頑張って来た五年はなんだったのか」
「派遣さんはウチでは口出しできないからね」
「…理解はしてます。小畠さんに相談する前に田口さんにこの件を伝えました」
「…辞めるとは?」
「も、です。案の定、突き返されました。ウチはウチ、ソトはソト、嫌なら外に出れば良いって」
あの野郎、やっぱり原因じゃねーか!白々しく俺に責任転嫁しやがって!
「転職後の相場を知りたくて私から聞き出しました。彼女に罪は無いです」
こんな心境でも庇おうとする健気さに胸が痛む。
「これが最後の仕事と思い引き継ぎを行っていたのですが、麻生さんは私が思っているレベルでは無かったんです」
「派遣元が営業研修を兼ねてOJTしてたハズだけど…」
「そう聞いていたのですが、私の数字をキープ出来るか心配で。なので相談したんです。小畠さんに判断してもらおうと。なのに昨日の会議であんな事になって、私は完全に自信を失いました。全部私の勝手な行いです」
悔し泣きを堪えている姿を見ているとやるせなさで一杯になる。どんな言葉なら彼女の傷を癒し、救えるのだろうか。
「昇給の件は俺も訴え続けてたんだよ。会社に長いこと貢献しているのに、後から来る方が高いのは度し難いと」
嘘では無い。公平に見ておかしいと思うから訴えたまでだ。田口と本部長のタッグにコテンパンにやられたが。
その後に森の二課異動の話しがあり、これはチャンスだと思い願いも込めて彼女を送りだした。その仕打ちがコレなのか。
「会社の解答はなんと?」
「…会社にいる年数で給与が決まる制度を作ってしまったら、ただ会社にいるだけの人間を増やす事になる。会社が求めているのは能動的に動ける社員であり、その判断基準は業績と貢献度だとさ」
その説明は理解しているが森は能動的に動き、実利益を上げてきた逸材だ。
…俺の下で俺が育てたから、田口に煙たがられていたのかもしれない。森には何ら関係のない事だが、事実だとしたら酷い話しだ。
「私、最後まで認めてもらえなかったんですね…」
「俺の力の至らなさも原因だ。申し訳無い」
テーブルに頭をつけながら謝罪をした。
「顔を上げてください。欲しいのは小畠さんの謝罪じゃないから…」
近所の喫茶店だ、通い辛くなってしまうな。そう思いゆっくりと顔をあげながら率直に聞いた。
「ところで、そんなにお金必要なの?」
「…小畠さんには話していなかったでしたっけ?」




