番外 : 二人のホワイトデー
「バニラエッセンス取って」
「あいあ〜い」
二人してエプロンをかけ、スマホのレシピと睨めっこをしながら材料を加えていく。
「バターに砂糖を加えよく混ぜ合わせる、の後にバニラエッセンスで良いのよね?」
「作り方にはそう書いてあるよ〜?」
乙葉もはるもお菓子は食べる専門で、作るのは苦手なようだ。
「小麦粉入れてないのに大丈夫なの〜?」
「バターに入れる、って書いてあるもの」
慎重でありながら大胆に、小畠が良く言っていた言葉は自分のことを言われている気がした。乙葉は慎重派で中々歩みを進めることができなかったが、背中を押されやっと行動できるようになった。はるは碌に確認もせずにボタンがあれば押してみる派なので、トラブルや面倒ごとを起こしやすい。
「この卵は?」
「いけない!入れ忘れた!」
スマホと睨めっこしながらどこで入れ忘れたかをチェックする。
朝からドタバタしてるのは、ホワイトデーにクッキーを焼いてお散歩に行こう、と昨日決まったからだ。手作りしなくても良いのだが、二人にとって大事なイベントなので手抜きはできない。
乙葉は家庭科の授業で、はるは祖母から教わったが二人ともすっかり忘れてしまっている。
「…これで良いわ。後は冷凍庫で固めて」
「ええっ⁉︎焼いてないのに⁉︎」
「このままだとベタベタして型が抜けないから」
「はるちゃんが買ってきたのデス!」
昨日の休憩中に乙葉からお散歩のメッセが届き、帰りがけにハシゴをして買い揃えてきた。
「ハートでしょ、お星様、アヒル、ハト、ヒヨコ…」
「トリ、多くない?」
「え〜?ネコさんもいるよ〜?」
ハシゴをしただけあって千差万別な型が揃っているが、乙葉の言う通りカタチに偏りがあるようだ。仕事終わりの疲れた身体で買いに行ってくれたのだ、ツッコミより感謝が上回る。
「まぁカワイイからいっか。お茶にして待ちましょう」
「今日はハーブティーが良い!」
「クッキーには紅茶じゃない?」
「もう食べる気でいる!乙葉食いしん坊〜!」
「大目に淹れて持って行こうと思ったのに」
「あ、それサンセー!」
「じゃあブレンドしない?ダージリンをベースにハーブを入れるの」
「バラのツボミの!アレ好き!」
「ちょっと…キッチンで危ないわよ」
「えへへ〜」
乙葉の後ろから抱きしめるはる。包丁は使っていないが子供に言い聞かせるように注意する。
「そろそろ焼き上がったかしら?」
「良い香りする〜!」
甘くて香ばしい優しい香りが室内にふわふわと漂う。
「焼き上がったら支度しないとね?」
「お出かけうれし〜!」
またも乙葉にくっつくはる。乙葉もはるを抱き返し、頭をなでなでする。同じシャンプー、同じボディソープ、同じ柔軟剤を使っているのに、微かにニュアンスが違う香りがする。はるだけの香りを堪能する。
「ほらほら!早くぅ〜!」
「アレは持った、アレも持った…」
事前に準備をしたが、初めての事で緊張もあり忘れ物をしていないか不安になる。
「お日様ポカポカ!」
「こないだはあんなに嫌がっていたのに」
「えぇっ?」
「なんでもない」
雪の日のはるを思い出して独りごちる。マンションのエントランスを抜けると、日差しが強く感じる。日焼け止めは塗ってきたし持ってきたが、何も対策していなかったら焼けてしまいそうだ。
バスに乗り電車に乗り換える。目指すは海浜公園。桜は蕾もできていないので、一足早く夏を感じに行く。
「海〜!広〜い!」
「歌の通りね。アレ…?」
「どったの?」
「お日様が先?お月様?のぼる?沈むの?」
「言われてみればどっちが先だっけ⁉︎」
記憶を呼び起こすが思い出せない。家に帰ったら歌を聞いてみよう、そう思い休める場所を探す。
昼前の陽射しを避けつつ、自然を感じられる木の下でレジャーシートを広げる。
「そっち…そう、私のクツで抑えられる?」
「ふぬ〜!じっとしなさい!」
春先の風と海からの潮風に翻弄される。
「ブランケット、いる?」
「うん!一緒に入ろ?」
膝掛けを二人でシェアする。朝に淹れてきたブレンドティーで乾杯する。
「あのね、乙葉」
「どうしたの?」
「今日は、ありがとう。はるのワガママ聞いてくれて」
「私もお出かけしたかったんだもの、はるのワガママでは無いわ」
まだ熱いカップにフーフーしながら返す。蒸気が風に乗り海へと流れて行く。行き着く先はどこだろうか。
「はるが、ヨユー無いから…」
「私達が一緒に住む時に約束したよね?持ってる人が補えば良いって」
はるは満足なお返しできない事情があるらしく、それを気にしている。乙葉もそれは理解しているし、言葉の通りにある時は自分が出せば良いと思っている。
今回のような個人的なやりとり、誕生日もそうだがイベントごとに悩みはやってくる。その度にはるは美容師を辞めようと思い、その度に乙葉が踏みとどまらせる。
「副店長とは名前だけ。フツーに仕事してても貰える額あんまり変わらないんだモン」
「そうね。それは確かに心苦しいわね。でも辞めて何をするの?」
「乙葉と同じの!」
「あはは!はるには難しいんじゃないかしら」
「ああっ!はるのことバカにしたぁ!」
クッキーを目当てに鳩が周りに集まり出す。それを目掛けて走る子供、追いかけるベビーカーの母親、抱きかかえて肩車する父親。
「かわいいなぁ…」
子供好きなはるがポツリと漏らす。この手の話になると乙葉は苦しくなる。二人の愛は本物だが、二人の間に自然に子供は生まれない。もし、子供が欲しい、はるが望んだら?乙葉自身が望んだら?
いや、考えるのは止そう。
方法なんていくらでもある。まだ問題に直面していないのに不安になってもしょうがない。自分の悪い癖だと思い直し、はるに向き合う。
「はるはそのままでいいの。私がいるもの、ずっと一緒よ」
「…うん。ありがとう。ウレシイ。はる、もっとお料理できるようにガンバる」
横からギュッと乙葉を抱きしめながら、涙がこぼれないように力を込めた。
「ぽっぽー!」
「あっ!お友達食べちゃダメ〜!」
二人でイチャイチャしているのが癪に障ったのか、レジャーシートにまで鳩が進出しハト型のクッキーを啄む。
「でもこれクッキーというかサブレ…?」
「型が似てるだけだモン!」
二人の周りに鳩が集まってきた。
「こっちこっちー!」
鳩が食べかけたクッキーを持って走り出すはる。側にいた鳩たちがぴょこぴょことついて行く。母を追いかける子供のように。
いつか家族が作れたら、こんな感じかしら。
少しぬるくなった紅茶を口にして、笑みがこぼれる乙葉だった。