#112 : この期に及んで無計画
カーテンの隙間から覗く朝日で起きた。
瑠海は先に起きたらしく左にいない。
勝手に動き回るのは憚られるが、このままじっとしているワケにも行かない。そろそろとベッドから起き上がり、カーテンをそっと開ける。
眼下に街並みとその先に海が広がっている。燦々と輝く日差しが海に反射してキラキラと輝いている。胸がすく思いだった。心の中のドロっとした部分がゆっくりと溶解していく、そんな気分だった。
「おはよう。コーヒー淹れたけど?」
後ろから瑠海が声をかける。
「おはよう。ちゃんと寝れた?体調はどう?」
「ありがとう。おかげさまで大分調子が良いわ」
「それは良かった。冷めないうちに頂こうかな」
ハンガーからYシャツを外して着込む。スラックスはシワシワになってしまった。アイロンあるかな?
エスプレッソのお湯割、アメリカーノはビター感が強く、目覚めの一杯には持って来いだ。
「何か食べるなら作るけど?」
「いつも食べていないんだ。コーヒーだけ」
「私もよ。朝に食べると身体が重くて」
朝食を抜くと健康に差し支える、と言われてきたが、俺も抜いた方が調子が良い。昼にしっかり食べて、晩酌までのお楽しみとなる。
「あ、あのさ、アイロンってある?」
「あるわ。スラックス?」
「持ってんの⁉︎」
「イタリアはアイロン大国なの。Tシャツや靴下にまでアイロンをかけるのよ」
アイロン大国?知らんかったな。Tシャツはわからなくもないが靴下とな?スーツとコートはクリーニングだが、Yシャツは自分で洗うし、アイロンも自分でかける。
アイロンを借りて寝室も借りる。朝の日差しに照らされた俺の太ももが眩しい。パンイチ姿を瑠海に見せられるか。アイロンって立ってかけると楽だな!当て布が無いのでハンカチで代用する。さて、この後どうするかな。瑠海にはちゃんとお返ししてない上に迷惑までかけてしまい、剰え体調まで悪くさせてしまった。
「お待たせ。ありがとう。まだ熱いからね」
借りたアイロンはまだ熱を帯びている。
「今日さ、瑠海は空いてる?」
「え?ええ。予定は無いわ」
「そしたらさ、デ、デート、しない?」
「デート…?これから?」
「いや、無理に、とは言わないよ」
体調悪かったしな。無理はさせられない。
「それならアイロンをかける前に言って欲しかった。シャワー浴びてくる。テレビでも観てて」
ちょっと拗ねた様子でスタスタとドアへと向かう。アレ?OKなのかな?
『カチャ…』
バスタオルを身体に巻いただけの瑠海がそっとリビングのドアを開ける。去年の記憶が蘇る。熱く、早く、力強い鼓動。触れただけで沈み込むような弾力。ごくり。
「あ、貴方はどうする?」
「あ、後で!後で借りても良いかな⁉︎」
なんで俺が慌ててんだか。ナニを想像した?まさか一緒になんて無理だぞ!
相手がシャワーを浴びてる間って変な空気が流れる。ソワソワ?モンモン?ドキドキ?
残念ながら浴室と離れているためシャワーの音は聞こえない。聞こえていたらもっと落ち着かないだろうな。テレビでも観ますか。
「待たせたわ」
髪も乾かしてメイクもしている。用意周到だな。瑠海ならスッピンでもキレイだろうに。見たことないけど。
「これを使って」
バスタオルを渡される。これまた華やかな柔軟剤の香りがする。一流ホテルとかで使ってる系のヤツよりお上品だ。へ、変態さんじゃないんだってば!
「ありがとう。借りるね」
返すアテもないのにお借りしますのよ。
瑠海の言う通りアイロンかける前に言えば良かったな。ズボンにシャツをシワにならないように脱ぐ。
浴室がデカい!シャワーヘッドはナノサイズの泡が出るヤツじゃないか!一度使ってみたかったんだ!
シャンプーは女子力が高いと言われた俺でも知らないメーカーだ。どこのだろ?あっ、すごく、良い香りです…。
女子力が高いと言われても中身はオッさん。カラスの行水でさっさと切り上げる。この街のことはよく知らない。デートできるような場所があれば良いのだけれど。ドライヤーで髪を乾かしていると、自分から瑠海の香りがしてドキドキする。
「ありがとう。シャンプー良い香りだね?」
「ちゃんと乾かした?オーガニックのよ」
俺がシャワーを浴びている間に着替えたようだ。
「で、この辺ってなんかある?」
「…本当に行き当たりばったりなのね」
呆れたような瑠海の顔を見て元気になったのを確信した。まだ無理はさせられないが。
ましろの時のようにはならない。今日の主役は瑠海なのだ。最高のホワイトデーを贈ろうではないか!