#10 : 自分、悔しいです。
先回りして空調が効いた店内でホットコーヒーを飲んでいると、森が不機嫌そうに向かいの席に黙って腰掛けた。
「おつかれさん。好きなもの頼んでおいで。あ、レシート貰ってきてね」
千円札を渡し格好つけたが経費で落とす気満々だ。こちとら薄給サラリーマンでござい。
数分後、渡した千円ギリギリまでトッピングしたマキアートを持って帰ってきた。お釣りは2円しか無い。本当に”好きなもの”を頼んできた。これじゃ経費切れないじゃないか…。
上場企業とは言え限度がある。お一人様500円までだ。それも都内と大阪支店しか認められていない。森も知ってて一番高いのにしたな。しゃーない、今日は奢っとくか。俺も甘いな。
「…私、ウソついていませんから」
ストローを咥えながら森が呟くように言った。
「別に責めるために呼んだんじゃ無いよ。和田君にも聞いていたんだけど、森さんから聞いた話しと相違は無かった。長野の慌てっぷりからも想像できたよ」
「その二人と同格に並べられるのも何ですけど」
和田は後輩にあたるし頼り無いかもしれないが、長野はああ見えて秀才なんだけどな。森の中では自分より下なのか。
「ショッピングモールの新装開店の件、私は知らなかったんです。他販路の事だし。でもそれだけじゃ無くて…」
「無くて?」
「自分の販路圏内のデパートの改装が入る事も知らなかったんです。来年の6月ですよ!?半年以上も先の事なんてどうやって…」
茫然自失としながら苦々しい顔をしている。この店で一番甘いのでは無いかと思われる飲み物を飲みながら器用な事だ。
「森さんも知っての通り、社内の会議はごっこなだけで他人の内容なんて皆んな無関心だ。自分の目標進捗が順調である事を報告できれば良い。悪くなったら他責にして、新規開拓に重点を置きます、ってのがお決まりのパターンだよね?」
「私はちゃんとやってます!」
おっと、真面目心にケチをつけてしまったか。
「一緒に仕事してた森さんがそんな事をするなんて言って無いよ。二課に行ってからも以前と同様に頑張ってるのはちゃんと耳に届いてるからね」
「課が変わっても仕事は仕事です。妥協や手抜きなんてしません」
フォローがフォローじゃ無くなってきたな。いい意味で森のプライドの高さは二課でも健在だ。
「とは言え、俺も四ツ谷さんも同意見だったんだよ」
「何がですか?」
「直接関係ない販路のリサーチするヒマなんてあったのかな、って」
「あっ…」
森も同意見だろう。なんせお目付役でこの2週間、行動を共にしているし、与えた仕事に対して意欲を見せなかったのに、他販路の市場分析を行い、ウチの社内でも誰も知り得ないデパート改装のネタをどこから仕入れていたのだろうか。
「あの話が本当なら売上担保の仕掛けを今からでも投入しておかないとだね」
「麻生さんがあそこまで思慮しているとは思いませんでした。もしかしたら別の販路の情報もある気がしてなりません」
担当以外のリサーチもしていた事実に落胆している。
「正直、悔しい気持ちです。悔しくて泣きそうです。今はメイク崩れるから我慢してますけど、家帰ったら泣きます。」
「明日に響かないようにね…」
とまたフォローにもならない言葉をかける。あの気の強い森が泣くなんて。それを俺に宣言している。森がこんなに私情を見せるなんてよほどの事だ。
替わりにストローがズズッと泣いた。飲み終わったら今日はこのまま直帰させよう。田口には俺からも言っとくか。
なぜ麻生はあんな質問を?どこから情報を仕入れた?本当にポンコツなのか?能ある鷹は爪を隠すなのか?
一人で考えたとて答えは出ない。森と別れた後、足早に会社へ戻る。昼は暑いとは言え9月も半分を過ぎた。夕方に吹く風に夏の名残を感じつつ、日に日に秋へと誘われる。
森と麻生にかまけた分、俺の仕事はほぼ手付かずだ。今夜もまた終電か…。




