#95 : 段違い。
俺は哀しみを抱えて顔合わせに向かう。
麻生の後任者との顔合わせだ。大井さんとの電話の後、田口に報告しに行ったらしこたま嫌味と文句を言われた。森の退職、引き継ぎの件やポンコツ疑惑があり、半ば強制で俺に面倒を見ろと押し付けたからな。
それでも腐らずに火曜会を開催し、メキメキと頭角を表していった麻生に文句は無いはずだ。やる事をキチンとこなし、成果も出している。
今思うと溌剌としている彼女が塞ぎ込んだように見えたのは、田口の下で働いていたからじゃないだろうか。
俺の上司でもある田口は、とにかく細かくて口煩く、箸の上げ下げまで文句をつけてくる小舅みたいなタイプだ。
誰に対しても高圧的で、本人は”俯瞰的”と言っているが人を見下したような物言いをする。まだ営業本部が一課しかなかった頃は毎日が苦痛だったな。入社早々の和田もとっちめられて見ていらんなかったな。
「おはようございます。宜しくお願い致します」
「おはようございます。この度は…」
後任者に責任は無いので、大井さんの謝罪はやんわりと遮る。
後任者は男性だった。いつも別嬪を連れて来るので少々気落ちしてしまった。
「仲村隼人と申します。前職はOA機器の営業をしておりました」
大井さんのところでは珍しく堅物と形容するのが似合いそうな人物だ。視線も自信に溢れている。
逆に鼻につきそうだが…。
「カスタマーを第一に考える御社の経営理念に共感を覚え、お話を頂いた際に是非とも貢献したいと思い、応募させていただきました」
瑠海とも麻生とも違う。叩き上げで営業をして来たと言う自負がある。派遣だから、社員だからと言う括りが無い。寂しいし悲しくなるが、良いぞ。後任としては申し分がない。
雑談を交えながらスキルを確認したが、パソコンは勿論、英語も堪能だと言う事だ。ウチの会社では使い道が無いが。長野と仲良くなれそうだな。
結論、今までの中でも段違いだ。二課にくれてやるのが惜しい。彼が一課に来てくれたらもっと盤石な体制が築けただろう。
取引先が違うから比較してはいけないが、売上高で見れば二課の方が大きい。利益率を重視しなければならないのはわかっているが、なんだか田口に負けた気分になるのが口惜しいし、敵に塩を送るようで虚しくなる。
いつまでもこんな考え方じゃ田口を越えられない。頭で理解しつつ感情が追いつかない。今日は特に。麻生がいなくなってしまう事が確定したから尚のこと。
田口に報告を上げてから合否の連絡をする。彼ならあのおっさんも文句は無いだろう。いや、難癖つけてくるだろうの間違いか。
「本日はお忙しいなか、貴重なお時間を頂き誠にありがとうございました」
テーブルに深々と頭を下げる彼を見ていると、人間性にも好感が持てる。ふむ、実に惜しい。
エレベーターまで二人を見送る。
「では、後日改めてご連絡いたします」
「いつもご丁寧にありがとうございます。宜しくお願い申し上げます」
なんだかんだでいつもの堅苦しさに戻ってしまう。やっぱ俺のせいだよな。
エレベーターのドアが閉まるまで頭を下げる。夜の世界で覚えた所作だ。当時のマスターは見えないところでも見られていることを意識しろと教えてくれた。何十年も前の言葉が未だに鮮明に思い浮かぶ。何一つ無駄なことなんて無かったんだな。
あ、大井さんに瑠海やなお君の事で揶揄ってやれば良かったのに忘れてた。そしたら少しは柔らかく物事を進められたかもしれないのに。
デスクに戻り履歴書と彼についての資料をまとめる。改めて職務経歴書を見ていると何回か転職している。歳が近い分、時代背景を考えると苦労した世代だろうな。
『ティロン♪』
業務携帯がメッセージを受け取ったと挨拶をする。
『お世話になっております。この度は突然のことでご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。一度、ご相談させて頂きたくご連絡差し上げました』
渦中の人、麻生だった。