#93 : 心得違い。
優はタクシーで帰らせた。
帰りがけ、バイクのキーを俺に預けようとしてきた。明日になったらバイクに乗って優ん家まで来いと言うことだ。バブはともかくザリガニには乗れないのでお断りだ。フロントフォークが長すぎて無理だわ。
“テメーの幸せについて考えやがれ”
優の言葉が頭の中をグルグルと回る。不意をつかれたのと、アイツからマトモな言葉が出たことに驚いている。
確かに、自分の幸せについて考えたことも願ったことも無かった。いつも人の幸せばかりだ。でも、鎖を断ち切った今なら手に入れられるんじゃないか?俺もいっぱしに欲をかいているな。
蕎麦屋は十五時で昼の営業が終わり退店しなくちゃならないので、中途半端な時間にヒマを弄んでしまう。土曜のこの時間で飲みに行けるところはウチの近所ではそうそう無い。アホが言う通り昼キャバくらいだ。
酔い覚ましも兼ねてぶらぶらと駅の周りを散策する。ここに引っ越してきてから通うようになった店、もう無くなってしまった店、悲喜交交だな。
「気持ち良さそうですね!」
不意に声をかけられ、マヌケな顔で声の主の方を見ると、手書きのホワイトボードを持った二十歳くらいの女の子が立っていた。
「千円飲み放題でもっと良い気分になりませんか?」
…ガールズ・バーか。出始めの頃はちゃんとカクテルを作ってくれる形態だったのに、時代と共に変化してしまった職種の一つだ。未だに残っていると言うことは需要があるからだろう。昼の酒は酔いが早い。君子危うきに近寄らずだ。
…そのまま素通りしようと思っていた足が、女の子の後ろをトレースするように歩き出す。アホをアホと呼べなくなったな。昼キャバと変わらないじゃ無いか。
「いらっしゃいませ!料金のご案内です!」
自発的にこの手の店に来るのは恥ずかしながら初めてだ。接待とかお付き合いでは来るものの、同業者のクセが気になってしまい何となく楽しめなくて敬遠していた。
「ましろって言います!」
左胸に付けた手書きのネームプレートをクイと持ち上げて挨拶する。源氏名だろうな。
「お兄さんは何さんですか?」
小瓶のビールを注ぎながら訊いてくる。こう言うのって気恥ずかしくて苦手だなぁ。
「オッさん。だよ」
「やめて下さいよー!こぼしちゃう!」
正直に言ったのに笑われた。どうせ今日限りだ。名前なんてどうでも良いのにな。
「ちゃんと教えて下さいよ〜」
少し上目遣いで訊いてくる。ふむ。場馴れしているな。
「カズ。みんなからはそう呼ばれているよ」
「カズさん!よろしくお願いしますね!」
ナニをヨロシクなのかわからないが、酒の席のやり取りなんてこんなモンだろう。ああ、俺ってメンドクサイ客だな。
「初めましてですけど、私も戴いて良いですか?」
ガールズ・バーも女の子が飲めばドリンクバックが付く。男は飲み放題だが、女の子は一杯毎の料金だ。なので大抵はアルコールが低い飲み物、若しくは割り物を多くして薄めで飲む。杯数が稼げないのと、身体のためでもある。
「どうぞ。好きなのを」
「ありがとうございます!」
そう言うと小瓶を取り出しビールを注ぎはじめた。おいおい、大丈夫かよ…?
「いただきまーす!」
自分のグラスを俺より低い位置で重ねる。夜の所作だなぁ。
さて、勢いで来てしまったが、ナニを話せば良いんだろうか。今思うと沙埜ちゃんってスゴイな。いつも話が途切れない。オッさんはネタは豊富だが、若人ウケは悪いんだよな。
「お仕事帰り、では無いですよね?」
「向こうの通りの蕎麦屋で呑んでたんだ」
「あそこ美味しいですよね!鴨せいろが特に!」
若いのに蕎麦好きとは中々やるな。いや、合わせているだけか。
「お蕎麦屋さんでお酒を呑むって粋ですね!」
…ほほう。ましろとか言ったな。わかっているではないか。
「鬼の火付盗賊改が好きなんです!お食事のシーンがスゴいリアリティあって、読んでると食べたくなっちゃうんです!」
うむ。見所ありだな。何故かって?俺と同類だからだ。アレを読んで食欲を抑えろなんて耐えかねる。
「その若さで渋いモン読んでるね?」
「お兄ちゃんの影響もあって、ですね!」
兄上は素晴らしい妹君をお育てあそばした。盃を献上致そうではないか。
その後も時代劇や劇作家の話で盛り上がった。沙埜ちゃんとはまた違う楽しさだった。コレはイカン。通ってしまうではないか。
「お友達の方もお好きなんですか?」
「いや、アイツはアメリカ被れだから読まないね」
優の話をしたらちゃんとフォローする。デキるな、ましろ。
「どんなお話されてたんです?」
「…幸せ、かな」
こんな場所でこんな若いコに言う話ではないのに。アホは俺の方だ。
「んー、私は美味しいものを食べてる時かなぁ?」
当たり障りの無い回答をありがとう。オッさんも同じだよ。
「でも、幸せってそれぞれの価値観や見方で変わってきますよね。私には幸せな事でも、他の人には当たり前の事だったりとか」
本日二回目の衝撃を受ける。またも幸せの在り方を考えさせられてしまった。
「…今日、ましろに会えた事が幸せかな」
「お上手なんですから!ありがとうございます!」
本音だったんだけどな。視野を広げてくれて感謝しているし、好きな作品の感想を述べ合えた事が俺の幸せだ。
あっと言う間に時間は過ぎており、気づいたら三時間も経っていた。安いのか高いのか相場がわからない値段を払った後、ましろがスマホを出してきた。
「メッセ交換しませんか?色々お話したいです!」
瑠海に知られたら怒られるだろうな。お誘いを振ったクセに違う女と遊んでいる。
アレ?コレって、大層幸せなコトじゃないか…?
昼酒は酔う、なんて言うがいつ飲んでも酔う時は酔う。すっかり気分が良くなった俺は、ましろのお見送りでタクシーに乗った。ああ、ボク今結構幸せだな。