#1 : 奪われたのは、心だけだと思った?
彼女とは、万年人手不足の事業部の面接で出会った。
自社だけでは人手が回らず人材派遣会社から紹介してもらう。こちら側の要件である知識と能力が有ると思われる人材を派遣会社にオーダーするが、紹介者の話を鵜呑みにして雇い入れた後、ソイツがとんでもないポンコツで、チームを、プロジェクトを、社内全体を引っ掻き回し、最悪案件がポシャると言う迷惑な行動をとる輩が一定数おり、それを未然に防ぐ為こうして面接をしている。
派遣法では雇い入れるものに対して雇用側が事前面接を行い合否を伝えることは違法なので、グレーゾーンである”顔合わせ”と称してこのような面接を繰り返している。
面接が立て込んでおり本日は3人、今から2番目に向かう途中、社内のロビーに見知った顔が居た。
紹介取引先、派遣会社の大井さんだ。営業で紹介者の引率として来ている。顔合わせに受からせたい思いが強い会社・担当営業は紹介者と同席する。無論、お断りはしない。社内イチオシの人材か、少し不安要素がありフォローを兼ねて来るかのどちらかだからだ。紹介者としては1人よりかは心強い仲間がいる分、面接もやりやすいだろう。
大井さんがこちらに気づくとやおら腰を上げて頭を下げる。それを右手で制し、ロビー全体に響くように大きな声で、明るく、嫌味なくおはようごさいます!と皆に向かって挨拶した。
一種の確認作業であり、自発的に挨拶が出来るか、最低限のマナーが守れるかを見抜く事が出来る。
ビルの13階にあるくせにロビーは窓が無い北側で、自然光が差し込まない。天気の良い初秋に人工の光を朝から浴びているのはどこか不自然であり、不健康にも思えるし、年中陰気で薄暗い。暖色系を取り入れているにも関わらず陰鬱なのは、これから下されるジャッジに生活を賭けている者達の不安の感情も入り混じっているのかもしれない。
そんな薄暗いロビーと同様に、俺のご挨拶をボソリと聞こえるか聞こえないかの返事をするもの、緊張感丸出しで返答するもの、目もくれずシカトするもの、多種多様なリアクションが帰ってくる中、異才を放っている人物がそこに居た。
子猫の様な大きな瞳をした女性が、
「おはようございます!」
と元気よく明るい表情で、俺の目を見つめながらニコニコと挨拶を返して来た。大井さんの隣に座っていると言う事は彼女はこの後、俺の面接を受けるのだろう。
…刹那、俺の心は彼女に奪われ釘付けになった。
この事実に気づくまで、相当の時間を要した。
仕事をしていく上で22年間、仕事は仕事、私事は私事と割り切って公私混同は一切してこなかった。高校生の時にアルバイト先で社内恋愛をし痛い目にあったからなのだが、それはまた別の機会に。
さりとて、彼女はどう見ても俺のタイプでありどストライクだった。
大きな瞳が印象的な整った顔立ちも、少し緊張しつつも屈託の無い笑顔も、自信に満ちて意志の強そうな声のトーン、護ってあげたくなるボディラインの細さも全てが俺の好みだ。
コレは如何ともし難い、と心の中で独りごちた。
市販のSでもサイズ感の合ってないリクルート・スーツ、踵が見えそうな大きめなパンプス、こう言った場に慣れていない着こなしからして若い、今年の新卒か高卒入社だろうと思った。
それにしても大きな瞳だ。まるで心の内を見透かされている様な不気味さもあり、また、見つめられていると高揚感を覚える不思議な瞳をしていた。
15分ほど経ち2人目の人材は素質なしと判断し、後日ご回答差し上げますと告げエレベーターまで案内する。答えはご縁が無かったと言う何ともやるせないものだが、最低ラインを超えてれば即採用の案件を蹴られるのだから、もう少し自身の成長やらを意識して生きて欲しい。
などと勝手に批評を心の中で思いながら、営業の大井さんと大きな瞳をした女性を別の会議室へと移動する。
履き慣れていない靴で少しよちよちした感じで歩いているのが微笑ましく、愛くるしくも感じる。コレを狙って出来ていたら相当の手練れだろう。
…そう、俺は人生で最大の過小評価をしていたのだ。目の前にいる人畜無害に愛想を振り撒く人物が、今後の俺の人生を大きく狂わせていく事になるとも知らずに。