始まりの召喚
『異世界の使徒。未来の勇者の方々。
ようこそおいで下さいました。
私はこの世界の管理人
熾天使アルスと申します。
突然の出来事にさぞ驚かれている事でしょう。
ですが、事態は一刻を争います。』
突然、降ってわいたような展開に
一同が困惑している。
小学校から大学までを運営する
都内の小中高大一貫校。
その学校で4月から高校一年生として
初日をスタートさせた一年A組の面々は
直接脳内に響く声に対して茫然となった。
代わり映えのしないメンバーによる
初日のホームルームを終えた時、
突然世界がぐるりと裏返った。
教室の窓から見える見慣れた風景が一変し、
遠くまで深緑が続く大地へと変貌する。
都会の最中を感じさせるちょっとした喧騒も
動物達の声に代わっていた。
気が付けば目の前に浮かんでいる
女のような男のようなあやふやな存在が、
全員を睥睨してその声音を響かせていたのだ。
「え……ナニコレ?」
「どういう仕掛け?」
「テレビ?」
声の主よりも、
その周囲のギミックに注意が逸れる。
一瞬で教室外の景色を変化させたことも、
そしてこの頭の中に直接響いてくる声も全て
何か創りものめいていた。
こんなことをあっさりと飲み込めるほど
彼らは子供では無かったが、
かといって全てを頭から否定するほど
大人でも無かった。
『こちらの世界では現在、種族間の勢力均衡が
崩れ始めており、世界が崩壊する
直前の状態にございます。
世界の崩壊を防ぐために
脆弱な種族への加勢が必要なのです。
皆様には滅びゆく種族を救うため、
勇者となり各地の守護をお願い申し上げます。』
「え? 勇者って、マジで!」
「おいおい、これって異世界召喚系じゃん。」
「はー? 意味分かんないんですけどー?」
「つーか帰らせろよ!
そんなもん行きたい奴だけ行かせとけや!」
各々が口々に叫ぶ。
それは歓声でも悲鳴でもあった。
『皆さまには我が主からの加護が施されます。
どのような加護を賜るかは
わたくしにもわかりません。
しかし、その加護は皆さまを護り、そして
道を切り開く標となるでしょう。』
熾天使のアルスは一人の少女を指差した。
派手なメイクで少女で見た目も華やかな少女。
高等部になってから
校則が緩くなったことを良いことに
段々とギャル化に歯止めがかから無くなっている
芹沢アイラだ。
『そちらのあなた、瞑目して感じて見て下さい。
我が主からの賜りものが、
既にあなたの中に芽吹いているはずです。』
「え? ちょ、あっし?
なんで? 意味わかんねーんだけど。」
戸惑う芹沢に、
アルスは淡々と説明を続ける。
『皆さまには各々、加護として
我が主より《称号》が下賜されます。
その《称号》に伴い、
一つの《神能》が付与されるのです。
我が主の持つ全能の一部を
行使出来る権能でございます。
どうぞ、瞑目して身体の中にあるそれを
感じ取って見て下さい。』
芹沢は半信半疑で目を瞑る、
周りの目もそれを期待しているらしく
調子に乗りやすい芹沢アイラは、
しゃーなしでその期待に応える。
「……ほよ? えっと何?
称号は《彩色師》? ナニコレ?」
『それは、
万物の彩を携える者の称号でございますね。
神能はどのようになっておりますか?』
「うん? えっと、《神能:粧化》
って、なってっけど?」
『そちらは、万物を塗り替える神能です。』
「……あー、はい?」
素で疑問を上げる芹沢の周りで、
次々と歓声が上がる。
「おー? 俺って《先導師》ってなってるよ」
「かっけーじゃん! いいなー、
俺なんか《防波師》だぜ? くそダセー」
「別にいいじゃんけ、そんなのマシだろ。
俺とか《円玉師》だぜ! 意味わかんねー!」
先に色めきだったのは男連中で、
まるでRPGの
ジョブチェンジを楽しむような有様だ。
『よろしければ、一度その《神能》を
お使いいただけますか?
その方が皆さまにとって
分かりやすい説明になるかと思います。』
「え? あっし?
いーけど、どうすんの?」
『すでに身体に取り込まれた《神能》は
息をするよりも自然な形で
あなたの手足となるはずです。
使い方は、教えられずとも
使役可能でございます。』
「えっと? えー、そだねー。んじゃ、
笠町をイケメンにするとかも出来んのー?」
「は、はひっ!?」
笠町忠行はクラスメイトの男子だ。
不潔とかではないが、地味で根暗な気質があり
基本的には目立たないグループの一員だ。
もちろん、と言っては失礼だが
イケメンとは正反対の人種といえた。
「んー? 呪文とかいらねーのかなー?
なんつーか、こんな感じー?」
にやにやと適当な感じで
笠町に妙なエネルギーを送る芹沢。
そのふざけた態度とは反比例するように、
神能を掛けられた笠町の身体が
即座にベキバキと変質していく。
「う、うわわわわわわわわ!」
周りもどよめきながらその状況を見守る。
不可思議な力が収束して、
笠町の身体と顔を強制的に
整形していった。
まるで付け焼き刃のCGを見るような
違和感ありありの変貌だった。
時間にして一瞬、笠町の顔は
ハーフモデルもかくやというレベルで
すっきりぽんと整ってしまった。
その顔面偏差値に合わせて、
身長や体格まで調整されており
正直にいって元の原型など
欠片すら残っていない有様だった。
もはや動揺とかいう問題ではなく、
周囲のクラスメイトは
しんと静まり返り、呆気に取られてしまう。
『我が主から賜りし神能は、
ご自身でしか認識できません。
まことに恐れ入りますが、
皆さまの神能をわたくしに
お教えいただけますでしょうか?』
アルスは丁寧な物腰で頼みごとをする。
しかし、そんな浮ついた流れを、
ある男の声が蹴散らすことになった。
「ふざけんじゃねえ!
誰がテメーの言うことなんか聞くかよ!」
全員の目がその男に集まる。
学内一の有名人であり、問題児の男子学生。
清川善一郎だ。
その清廉そうな名前とは裏腹に、
彼の名前は学年ではタブー視されていた。
『……確かに、
突然このような形での召喚となってしまい、
憤りをお持ちになられることは
致し方ありません。
ですが―――』
「んなことどーでもいいんだよ!
俺が気に食わねーのはお前だよ、お前!
上から目線で見下してんじゃねえよ!」
また始まった。というのが、
クラスメイト全員の共有認識だった。
善一郎の父親は有名なプロスポーツ選手で、
母親はこれまた有名な女優だ。
経済的にはなに不自由なく
育ってきた善一郎だが、
成長の過程で様々な問題があり、
思春期の衝動も相まって
盛大なこじらせ方をしていた。
善一郎自身は、成績優秀、スポーツ万能、
見た目も整っているという
出来過ぎのスペックを持っている。
しかし、あまりに中身を
こじらせすぎたため、
人望は反比例するかの如く
底辺にまで落ちていた。
成績を褒められれば
「他が馬鹿なだけだろ」と言い、
運動神経を褒められれば
「運動音痴と比べられてもな」と言い、
見た目を褒められれば
「は? 遺伝だろ?」とにべもない。
素直さをどこかに忘れてきたのか、
誰にも好かれないようになってしまった善一郎は
こういう時でも一切ぶれない。
「つーか、主様に
他人の神能? を見る能力を貰えてない時点で
お前は信用されてねーんじゃねーの?
えっらそーに熾天使とか言ってんなら、
聞かなくてもわかる様にしとけよな、
バーカ!」
盛大にやらかしつつある善一郎を
他のクラスメイトのほとんどは
遠巻きに見ている。
巻き添えになることを避けるため、
誰も止めようとはしない。
『……畏まりました。
そこまでおっしゃるのであれば、
あなた様には
一度ご退出をお願いするしかございません。
場合によっては、既に悪神によって
あなたの心が介入されている
可能性もあるかもしれませんしね。』
「は? テメー、何を言って―――」
『彼岸』
ここで、清川善一郎の意識は途絶える。
次に目が覚めた時は、
先ほどよりも色濃く木々の臭いが立ち込める、
鬱蒼とした森の中だった。
時間帯は少なくとも昼間ではなさそうだが、
そのあまりに生い茂る木々のせいで、
太陽の光がほとんど入ってこない。
それ故に、判断する基準には乏しかった。
いや、そもそも太陽というものが
こっちに存在するのかどうかはわからないが
普通に考えればそう言う結論に至るだろう。
「……くそ、なんだってんだよ。
どいつもこいつも。
あっさりあんな奴の言うことを
頭から信じやがって」
吐き捨てるように言い、善一郎は立ちあがった。
その時、一瞬立ちくらみのような眩暈に襲われ、
思わず近くの木に寄りかかる。
「っ、んだよ。どっか打ったか?
……って、何だこりゃ。」
ふと頭、というか意識の中に恐らくだが、
この世界らしき文字がおぼろげに浮かび上がった。
しかし、その内容は何やらぼやけて
はっきりと判別が出来ない。
さっき芹沢アイラが言っていたのは
多分、このことだろうけれど
けれど全く読めもしないとはどういうことか。
「まさか、あのカマ野郎が?
……何かしたのか?」
善一郎はあの熾天使ウルスから
変な力で放逐されたのだが、最期の瞬間
何か追加で妙なことをされた感覚がした。
別に称号が欲しかったというわけでは無いが、
勝手に頭を弄られたようなもので、
それは気持ちの悪い感触だ。
顔をしかめる善一郎の耳に、
ギーギーという
けたたましい声が届いてきたのは
そんな折だった。
「何だ、あの声、いや鳴き声か?」
反射的に声の聞こえる方角を見ると、
そちらから何かがやってくる。
身長ほどの長さのある雑草をかき分けながら、
ガサリと不意に人影が飛び出てきたのだ。
「え? うわっ! 何? なんで人が居るの?」
それは、善一郎より頭一つ分ほど身長の低く、
ハスキーな声が特徴の少年だった。
言っている言葉は
聞き覚えのない単語と文章の羅列だが、
直接脳内で意味に変換されているような
感覚があった。
上手く言えないが、
映画の字幕と吹き替えが
多数言語で同時翻訳されているような感じだ。
「くそ? 気持ち悪いな。何だコレ?
意味わかんねーのに、意味だけ分かる。」
「は? あんた何を言ってんだ?
いや、つーか、早く逃げろ!」
「あん?」
その時、善一郎の身長を遥かに超える跳躍力で
生い茂る草を飛び越え、何かが襲い掛かってきた。
「ギィイイイイイイ!」
歯ぎしりと金切声をミックスしたような叫び声とともに、
毛むくじゃらの塊が現れた。
「しまっ……!」
「なんっ……!?」
善一郎は考えるよりも先に、その場を飛びのく。
ズウゥンン、と地面を割るほどの勢いで
その塊は先ほどまで善一郎の居た場所に着地する。
あとほんの少し遅ければ、
ぺしゃんこになっていたであろう重量だ。
その塊は恐らくは山猿のようなものだと思った。
恐らくというのは、日本の山で見るような猿では無く
大きさも身体つきも規格外の代物で、
サーベルタイガーのように
大きな牙がその口から出ていた。
「……やっぱ異世界って、マジなのかよ。」
「おい! 二手に分かれて逃げるぞ!」
少年がそう言うと、
さっさとむこうの方へと駆けて行く。
確かに、そうすれば確率論では
どちらかが助かると思えた。
合理的だし、問題は無い。
けれど、善一郎の性根が
その提案を好ましくは思わなかった。
再び跳躍してくる
毛むくじゃら怪獣の間をかいくぐり、
その少年の後を猛追する。
「って、ええええ?
おま、ちょ、何で付いてくんだよ!」
「は? なんでダメなんだよ。つーかお前、
さっき逃げる時、何か変な粉を撒いてただろ。
あれ、忌避剤とかじゃねーのか?」
「え? いや、は? 何それ。」
明らかに動揺しながら、少年は全速力で走る。
善一郎はその動きに難なくついて行く。
しかし、流石に
あのキングコングもどきはそうもいかず、
どんどんその声が迫ってくるのが
後ろを振り返らなくてもわかった。
「おい、クソガキ!」
「だれがクソガキだ!」
「あいつ、どうにかできねーのか!?」
「できるわけねーだろ、馬鹿!
惑い粉で振り切るのが精一杯なんだよ!」
さっきの粉はそういうことかと理解する善一郎。
つまり、現状では逃げの一手しかないらしい。
隠そうとしたことは理由があるのだろうが
今はそれどころではない。
「ムカつくな、何か手はねーのかよ!」
「あったら逃げてねーよバァカ!」
その直後、反論する時間もなく、
善一郎は背後から猛烈な怖気を感じる。
反射的に振り返ると、墓石ほどの大きさの岩が
善一郎めがけて飛んできていた。
「(クソ猿っ!)」
身を捻り、致命傷は避ける。
しかし、無傷では済まなかった。
咄嗟に頭を庇った左手は折れ、
そのまま善一郎はゴロゴロと地面に倒れ込む。
「(いってぇえええええ!)」
左手から這いあがってくる激痛に
身をよじりながら、善一郎は
何とか気絶しないように気を保つ。
気絶でもしてしまえば、
一貫の終わりだったからだ。
「おいっ! 大丈夫か!」
「(さっさと逃げろやボケナスが!)」
さっきは放っておいたくせに、
近場で人が傷つくことにこいつは敏感らしい。
善一郎はその一貫性のない態度にイライラする。
こんな極致に至ってもなお、
善一郎の性根は変わらなかった。
「うるせえ! 問題ねえよ!」
激痛に苦しみながら、善一郎はその少年を
怒鳴りつける。
山猿は有効だと判断したのか、
次々手当たり次第に近くの物を投擲してくる。
岩だろうが石だろうが、
木の枝だろうがお構いなしだ。
「くそったれ!」
歯を食いしばって脚に力を込める。
幸いコントロールは全然ダメで当たりそうには無い。
けれど、その怪力は異常であり
何でもかんでも投げてくるので、一撃でも
当たれば即終了のお知らせだった。
「惑い粉は踏むなよ!
道が見えなくなる!」
「いいから行けっての!」
顔面が蒼白になる少年に発破をかける善一郎。
しかし、このままではジリ貧であり、
体力が切れれば終わりだろう。
「何かねーのかよ!」
その時、善一郎は激痛とともに
頭の中でぼやけていた視界が
少しクリアになっていくのを感じた。
《××:--鬼 ◆◆:歪―》
「んだ、こりゃ?」
善一郎はぐらぐらする頭で
その情報を何とか飲み込もうとするが
全くと言っていいほど内容が入ってこない、
というより理解が出来ない。
しかし、その瞬間には既に、
頭上からはあのもどきが
襲ってきていた。
堪え性が無いのか、
当たらない投擲に嫌気が差し、
自分で直接叩き潰すことにしたらしい。
「ちょっとは頑張れよな!
ノーコン猿!」
フットスタンプというやつだろう。
そんなことをしなくても
充分自重だけで押しつぶせるだろうに
大きなガタイの癖して慎重な性格らしい。
それともただ感情にまかせているだけか。
ズウウウン! とすんでのところで善一郎は
その攻撃を避ける。
しかし、巻き起こる衝撃と
一緒に飛んでくる飛礫だけで
そこそこのダメージが入ってしまう。
「糞が! 痛えじゃねえか!」
イライラが頂点に達した善一郎は、
やけくそで体中に力を込める。
既に痛みは麻痺してきており、
全身のすべてが軋みだしている。
しかし、そこで問題が起きた。
少年が木の根元に足を取られ、
転倒してしまったのだ。
本能的な反射で、山猿は少年に焦点を合わせる。
「ひっ!」
善一郎のムカつきが限界を超えた。
他人を心配した挙げ句、自分が窮地に陥るなど
馬鹿の極みだ。
けれど、その馬鹿に助けられそうになっている
自分は馬鹿以下の存在だろう。
もしこの場面をクラスの連中が
覗き見ていたとしたら、多分
『また清川が馬鹿やってるよ』と
せせら笑ったはずだ。
空気を読まない、自意識過剰な自信家。
それが大勢の清川善一郎に対する評価だった。
「くそがぁ! 何でもいい! 何かあんだろ!」
善一郎は神様などこれっぽっちも
信じてなどいない。けれど、
もし超常的な存在がいたとして、
理由も意味もなく力を行使する事は無いと考えた。
呼んだからには、理由も意味も有るはずだ。
手駒として何かさせる為なら、それこそ何にせよ
武器は与えるはずだ。
それが《神能》と言っていた能力なのだろう。
山猿は少年に向かって跳躍する。
本能むき出しのその表情は、
愉悦に歪んでいるように思えた。
生きるための狩りではなく、
遊ぶための殺しだ。
「ギィイイイイイ!」
「がぁあああ!」
善一郎は無謀にもその跳躍の射線に割り込む。
その時突然にぐわん、
と鈍い音が響いたかと思うと、
山猿の身体が天高く舞い上がった。
イメージとしてはキャッチャーフライに近い、
そんな感じの飛び方だった。
「!?」
少年が目を見開いて驚きの声を上げる。
ぺしゃんこ当然の状況で、
あの巨体を殴り飛ばしたのだ。
いや、殴り飛ばしたと言うべきかわからない。
とにかく、山猿の身体は宙を舞った。
「いづっ!」
前後不覚に近い状態の善一郎は、
気絶しないように
意識を保つことだけで精一杯だった。
自分でも何が起きたのか分からないが、
とにかく、逃げるのだけは嫌だった。
たとえ死んでも、
逃げることだけはしたくなかった。
ズン! と山猿は仰向けに地面へと叩きつけられる。
しかし、その表情は
何が起きたのか分からず呆けているだけで
大したダメージまでは無かった。
しかしその直後、
山猿はその妙な現象を善一郎の攻撃だと認識し、
先ほどよりもけたたましい大音声で叫び出す。
自分より小さな相手が、
自分を吹き飛ばしたのだ。
本能的なプライドが刺激され、
山猿の牙がむき出しになる。
「グギャァアアアア!」
跳ね起きた山猿は地面を蹴り上げて、
善一郎に突進してくる。
奇をてらうこともない、純粋な力の塊が
そのちっぽけな体に吸い込まれていく。
ベヂン!
とダンプカーに追突されたような音が響き、
善一郎の身体がひしゃげる。
その勢いのまま、
山猿は善一郎の身体を押しつぶすように
視線の先にある大木へと突進を続けた。
すでに最初の衝突で意識の大半を
持って行かれた善一郎だが、
なけなしの意識で、力を振り絞る。
「んぎぃいい!」
食いしばった歯の隙間から血飛沫が飛ぶ。
顔だろうが顎だろうがどこでも構わない、
とにかくがむしゃらに蹴り上げた。
その瞬間。ゴガンと岩が割れたような音が響き渡り、
山猿の身体が粉々に吹き飛ぶ。
「嘘っ!?」
少年の目が見開かれる。
山猿に比べれば小枝にしか見えない善一郎の右足が
山猿の巌のような身体を粉砕する。
砂山を蹴り飛ばすように呆気なく、
その頭は散り散りとなった。
しかし、善一郎はその光景を見ることは出来なかった。
目の前が真っ暗になり、受け身もとれずに
地面へと落ちていく。
ドチャリと身体が地面にぶつかっても、
もうとっくに痛み感じなくなっていた。
全身の力と感覚が抜けていく。
皮膚だけを残して、
身体の中身が吸い出されて行くように、
ズルズルと意識が減衰していく。
「おいっ! 大丈夫か! おいっ!」
少年の声もどんどん遠くなる。
「(くそ……? 死ぬのか、俺は?)」
善一郎自身、今まで死ぬのが怖いと
思ったことは無かった。
「(ふざけんな……ちくしょう!)」
死を前にして、善一郎は怒りに染まる。
その鉾先は全てに対してだった。
家族も、同級生も、あの世界も、ここも、
クソ天使も、山猿も、そして
自分自身も含めた全てが疎ましかった。
だから、善一郎はせめてもの反抗として、
その全てを否定した。
「(お前らなんか、みんなクソだ。
クソッタレだ! 潰してやる。
全部、ぶっ潰してやる!)」
しかし、呆気なく善一郎の心臓はその動きを止めた。
不思議なことに、何故かそれが理解出来た。
「おいっ! 死ぬなよ! おいっ!」
「(むちゃくちゃ言うんじゃねえよ、
クソガキ……)」
そこで善一郎の意識は完全に沈黙する。