序話 私、思い出しました
「これって……まずくない?」
エヴァ・モンクティエは、冷や汗を流した。
今日はいつも通りの一日だった。先ほどまでは。
妹のアリアに石を投げ、転倒させて、泥を被らせて、罵声を浴びせる。いつものように、ただ気に入らないという理由だけで苛めていた。そのことに父から怒られて、古臭い書庫の片づけを命じられたのである。
なぜ私がと、自分の行いを棚に上げてぶつくさと侍女とともに古くなった本を整理していた。
その中で、たまたま……本当にたまたま手に取った本を開いてしまった。
その本は、最初白紙であった。しかし、浮かび上がるように文字が綴られていく。瞬間、エヴァの頭の中にあるはずのない記憶が思い起こされたのだ。
前世の記憶。といったほうが正しいだろうか。
今まさに頭の中で、日本という国で事故に遭うまでの一七年過ごした。それによって完璧に思い出した。
この世界は、前世の自分がストレス発散のために書いてた、物語の中であることを。
エヴァ・モンクティエという名前は一番印象に残っている。なぜなら、自分をいじめていた人間をモデルにして書いた登場人物だから。
辿る末路は、殺されること以外ない。
「お嬢様? どうされました?」
侍女の声で我に返る。エヴァはゆっくりと侍女のほうを向く。
「ねぇ、私ってエヴァよね?」
「……はい?」
侍女の反応で決定した。己の名前はエヴァ・モンクティエで間違いないことを。
◆
エヴァが書いた物語では、妹のアリアを主人公として展開していく。幼少期に姉から様々なイジメを受けて育ってしまい、心を閉じてしまうという出だしだ。
今、まさにその幼少期。
エヴァ・モンクティエ十一歳。アリア・モンクティエ十歳。
エヴァは自室に戻り、日記にそう記した。
腕を組んで、椅子に深く腰掛ける。天井を仰ぎながら、大きなため息を吐いた。
「タイトル……なんだったっけ?」
ぼんやりと考えて、この物語は前世のオタク女子の自分が乱雑に書いたものなので、タイトルがないことを思い出した。
大まかな設定は思い出している。
魔法あり。中世を舞台にしている。結構バトル要素もあり。そして何より、アリアを自分に見立てて作っている。
「馬鹿か、前世の私!」
黒歴史を掘り起こし、悶絶する。頭を抱えて唸った。今すぐにでも消え行ってしまいたい。
いや、これから本当に消えてしまうのかと思い直す。
自分が再び世界から退場しないためにも、なんとしても細かい話の内容を思い出さなければならない。
悶々と考えてる中、ドアがノックされる。
「ど、どうぞ」
日記を閉じて応答する。
入ってきたのは、侍女のルルシエだった。彼女は頭を一度下げた。
「ハイベルン第四王子がお見えです」
「……分かりました」
その名前を聞いて、心臓が飛び跳ねた。平静を装って、立ち上がる。震える手を握り、侍女のあとへとついて行った。
「やぁ、本日はお会いできて光栄だよ」
庭先で、護衛の騎士と立っていたハイベルン王子。眩しい笑顔をこちらに向ける。
彼はエヴァと同じ十一歳。銀色の髪をオールバックにしている。同年代の男子よりは背が高いほうだろう。背筋の伸びた立ち方から、育ちがよいのはうかがえる。
どうやら、彼が庭を見学したいというので、父親が手ずから紹介していたらしい。
父親がエヴァの姿を認めると、彼女のことを紹介し始めた。
「エヴァ・モンクティエです」
やや緊張気味に自己紹介をする。ドレスのスカートの裾をつまみ、頭を下げるように腰を落とす。
エヴァは曖昧な笑顔を見せた。頭の中で、彼のプロフィールを鮮明に思い出す。
ハイベルン・ウィルシアン第四王子。
この国、ウィルジアナ王国の王候補の一人にして、後々に兄たちを抑えて王になる人物。
計略家で剣の達人。頭がよく回り、自分の都合の良いことだけを求める。
外面だけはよく、寄ってくる女たちに飽き飽きしているところ。戯れで女性をはべらすこともある。妹のアリアも笑顔で攻略しようとしたが、そこから通用しないことから意地になる。それが恋心へと発展する。
簡単にまとめるとこうだろうか。
彼の蒼い瞳を見つめて、エヴァは重要なことを思い出した。
――私、一か月後、彼に殺されます。
血の気の引く音が、聞こえた気がした。