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「あの…………その《無印》って、どういう意味ですか?」


 透子の問いに、紅霞は首をかしげる。


「《無印》は《無印》だ。《しきがみ》の守護と祝福の証をもたない女。あんたの国では言い方が違うのか?」


 透子は戸惑う。


「《しきがみ》というのが、わからないんです。どういうものですか?」


「《しきがみ》は《四気神(しきがみ)》だ。女を守る、四種の《気》の化身。《四気神》の守護をうける女は、その証に左手の甲に《印》がある」


 紅霞は怪訝そうな顔をした。

 透子は自分の左手の甲を灯りにかざすが、当然なにもない。

 紅霞も興味深そうにのぞき込んでくる。


「本当に《印》がないな。まあ《四気神》がいれば、そもそもあんな金も頭もない屑共に捕まったりしないか」


 美貌とは裏腹になかなか口の悪い人柄のようだ。


「その…………《四気神》というのがいれば、あんなことにならなかったんですか?」


 透子は身を乗り出して訊ねる。

 透子を襲った男達も言っていた。「《しきがみ》がいない《無印》だ」と。

《無印》だとわかった途端、良からぬ真似をしようとしてきたのだ。

 透子はこの辺の事情をはっきりさせておきたかった。

 でなければ、また同じような目に遭うかもしれない。


「そりゃそうだ。《四気神》は女を守るのが役目で、存在理由だ。チンピラなんぞ束になっても《四気神》には勝てやしねぇよ」


「常識だろ」という紅霞の表情だった。


「その、《気》というのは?」


 なんだか気孔とかスピリチュアルな話になってきた。


(てっきり、魔法のない世界だと思っていたのに…………)


『女神』がいて、巨大な『世界樹』が存在して、しゃべる黒い靄までいる世界だ。ライトノベルやネット小説定番の『ファンタジー世界』だとしても、おかしくないのではなかろうか。

『転移先は魔法がある世界だった』『異世界転移したら魔法が使えるようになった』は、転移モノのお約束だし。


「《気》は《気》だ。この地上の万物に宿る四種の…………生きる力というか、生命力を与える力というか…………《火》《水》《風》《土》の四種がからみあい、循環して、この地上に自然と生命が存在している」


「四大元素のことですか?」


「アンタの地元では、そういうのか?」


 透子自身はスピリチュアル系にはあまり興味ない。せいぜい、星占いや血液型占いをちょっと気にする程度だ。

 ただ、高校時代の友人の涼美ちゃんが漫画や小説の影響でその方面には詳しく、透子も表面的な知識程度は彼女と付き合っているうちに覚えていた。


(風、火、水、土、の四種類で四大元素、だっけ。でもあれは、西洋の魔法の概念だったような…………『しきがみ』は陰陽師で…………中国だと…………『道術』?)


 とはいえ異世界なら、地球と同じ尺度や概念で考えることに意味はないだろう。


「《気》の化身とは、具体的にどういう存在ですか? 力のかたまり?」


「男の俺に訊かれてもな。…………たとえば、ただの水は上から下に流れるだけで、自分からは動かない。けど、水の《気》の化身は意思を持ち、その意思で女を守って、時には女の指示にも応じる。そこが違いだな」


 つまり『精霊』や『妖精』のイメージだろうか。


「どうして《四気神》は女性を守るんですか? 男性は守らないんですか?」


「そりゃ、女のほうが圧倒的に少ないからな。守護がないと、女は生きていけないだろ? 《世界樹》の怒りが、そう決めた。稀少な女を守るため、守護に《四気神》を遣わす、ってな」


「そのあたりを、もう少し詳しくお聞かせください」


 透子はさらに身を乗り出した。

 その圧に、紅霞のほうがややさがる。


「詳しくもなにも…………昔話――――伝説だ。いにしえの時代、男女は同数で《四気神》は存在しなかった。だが男達は戦争と乱獲をくりかえし、力で劣る女に服従を強い、さらったり奪ったり暴力をふるって産ませるだけ産ませた末に、老いたら捨てて次を求めた

 やがて女の怨嗟の声が地上に満ちる頃、男達は切ってはならない神木まで切り倒し、神木を守ろうとした、神木の巫女まで殺した。

 神木は世界を支える《世界樹》だった。そのため、男千人で《世界樹》の切り株を抜くと抜いた穴から水が吹き出し、洪水となって世界中を襲った。洪水は貪欲で不敬な男達を流し、女達の積もり積もった怨嗟の念を流し、あらかじめ《世界樹》から『高台に逃げろ』と予言を授けられていた女達と、彼女達に連れられた心ある夫や息子、父親や兄弟だけが生き残った。

 それでも自分を切り倒し、自分の巫女つまを殺した男達への《世界樹》の怒りはおさまらず、《世界樹》は生き残った女達に四種の《気》の化身をつけて男達への抵抗の術とすると、『自分の怒りが完全に消えるまで、男達への罰が終わることはない』という予言を残して、現世から姿を消した。

 以後、女はぐっと数を減らし、《四気神》によって男達の理不尽や暴力から守られるようになった。今、婿にいって妻を得て我が子を授かることができるのは、神への畏敬と女への敬意を備えた『心正しい男』とやらだけだ。これは《世界樹》の怒りが解けるまでつづく。

 女の数の多寡はそのまま《世界樹》の怒りの度合いの現れだそうだ」


 紅霞は話を終え、新しく茶を注いだ。

 黙って聞いていた透子はため息をもらす。


(『信心を失って欲にまみれた人間達を懲らしめるため、天が洪水を起こす』系の神話は、あちらにもあるけれど…………あの女神様、《四気神》のことなんて教えてくれなかったような…………『守護をつけた』って言っていたけれど、そもそも守られているなら、あんな目に遭うはずないんじゃない?)


 透子の中に正体不明の自称・女神への不信が募っていく。


(やっぱり、安請け合いしすぎたかな…………でも《種》はこちらが持っているはずだし、この《種》が本当に大切なら、いつまでも危険な状態で放置するはずないと思うんだけれど…………いえ、大事なら危険でなくても、最優先で私の居場所を把握しようとするはずよね? 『世界を司る』って言っていたけれど…………どの程度の能力なの? 女神の力をもってしても、私を探し出すのは難しい状態なの? それとも…………)


 女神への不信と疑念、それから今後への不安が強くわいてくる。


「その伝説って…………真実ですか?」


「さあな。信じる奴もいれば、そうでない奴もいる。とりあえず、伝説ではそうなっている。まあ、実際に《四気神》が存在して女を守っている以上、そうなるきっかけというか、原因はあったと思うぜ? 神木の件が嘘か真実かは別として」


「たしかに…………」


 存在する以上は、存在するに至った理由や原因が在ったはずだ。


(あの女神様に関係するのかな? そもそもあの女神様は何者? 今の話の中には、それっぽい人は登場しなかったけれど…………)


「この世界を司るのは、女神ですか?」


「神というか《世界樹》が世界を支え、あらゆる生命をはぐくんでいることになっている。文字どおり、その枝は世界全体を包み、その幹は天地を支え、その根はありとあらゆる大地の奥底に張り巡らされているそうだぜ? 《世界樹》には無数の実が生り、その実は地上のいかなる果実より美味で、食べたものは不老不死を得て神になる、って言うな」


「実…………」


 実と《種》は違うのだろうか? 少なくとも透子は、その《世界樹》の《種》とされるものを宿しているはずなのだが。


(不老不死…………になった実感はないなあ。美味…………とも感じなかったし)


『神の国の果実を食べて不老不死になった』というパターンの伝説はけっこうあるらしい。ギリシア神話や北欧神話に出てくる『黄金の林檎』はまさにそのパターンだし、果実ではなくて酒や『神の食物』という場合もあるらしい。とにかく、食べたり飲んだりすると不老不死になったり、あらゆる怪我や病気が治ったりする。


(涼美ちゃんがいれば、こういう分野には詳しいんだけれど)


「で?」


 紅霞が訊ねてきた。


「透子はどこから来たんだ? 家は? 親は?」


 透子は言葉に詰まった。


「異なる世界から女神に連れて来られました」と言って、信じてもらえるだろうか。


 少なくとも自分だったら正気を疑う。もしくは怪しい宗教の関係者と考える。


「私の、家は…………」


「ないのか?」


「あります!」


 予想外に強い口調となった。

 紅霞は目をみはったし、透子自身も自分で自分に驚いた。

 けれど、これは不安の裏返しだった。

 自力では帰れない、遠い世界に来てしまった。

 二年経ったら本当に帰れるのか、確信も保証もない。

 でも、それでも。

 帰れなくなった、なんて思いたくないのだ。


「家はあります。親も、家族も生きています。ただ…………帰り方がわからないんです」


「なんでだ?」


が…………他人ひとに、つれて来られたんです。力を貸してほしい、と頼まれて…………かわりに私を助けるから、と…………」


「助けるって?」


 透子は記憶をさらいながら、『女神』《種》『異世界』などの単語を出さない説明を試みる。


「私、事故に遭って。瀕死だったんです。そこを助けられて、回復したんですけれど。その際、助けてくれた方に頼まれたんです。命を助ける代わりに二年間、自分の所に来て力を貸してほしい、と。そうすれば助ける、と言われて」


「それは依頼じゃなくて脅迫だろ?」


 紅霞の渋い表情に、透子も今ふりかえると賛同するしかない。

 あの状況で『けっこうです』と言える人間は限られるだろう。


「私、宝くじが当たって大金が手に入って。あ、『宝くじ』ってわかりますか? 券を買って、その券にふってある番号が一致すると、賞金がもらえる仕組みなんですけれど」


「わかる。この街にもあるぜ。まあ、一等が当っても、たいした金額じゃないけどな」


「私はそのお金を、母と甥の治療にあてたいんです。二人とも心臓に持病があって…………お金さえ工面できれば、治るはずなんです。だから、宝くじのお金を二人に渡したいんですが…………両親も誰も、私がくじに当ったことを知らないんです。私も、実際にお金が手に入るまでは、誰にも言わずにいましたし…………」


 今思えば、とんだ選択ミスだった。

 あの時、両親に「これ当っているみたいなんだけれど」と当選くじを渡してさえいれば、今頃こんな悩みは抱えていなかったのに。


「私…………結婚しているんです。いえ、して()()んです。でも書類上は、まだ結婚していて」


「あ?」と紅霞が不思議そうな顔をする。


 透子は説明を付け足した。


「ええと。結婚を約束した人がいて。その人と式を挙げたんです。でも結婚式の最中に、知らない女が来て。私の夫となるはずだった人を、連れて行ったんです。いえ…………二人で逃げたんです。駆け落ちです。私の目の前で。式の最中に。みんなの前で」


 視界がにじんだ。

 遠く離れた世界での出来事が、感情が、ありありとよみがえる。

 まだ、こんなに胸が痛い。


「…………その人との結婚は、破談になりました。帰って来てから、はっきり言われたんです。私とは結婚しない、一緒に逃げた女と結婚する、って…………」


 紅霞がなんとも言えない、気の毒そうな表情になる。

 並外れた美貌だけに、そんな顔をするといっそう悲壮感が増した。

 この表情一つで、どんな女も「なんでもするわ!」と宣言するだろう。


「そのことについては…………もういいんです。どうしようもありません。ただ…………私と彼は書類上の手続きを済ませていて…………法律上は、すでに夫婦なんです。だから離婚のための書類を整えて、提出しようとしたんですが…………提出する寸前に事故に遭ってしまって。法律上は、まだ離婚は成立していないんです。だから私が生きて戻らないと…………最悪の場合、私のくじのお金は『夫』である彼が相続して、母や甥に渡らない可能性があるんです」


「…………大変だな…………」


 紅霞はそう言った。

 透子もその一言だった。

 紅霞は気の毒そうに訊ねてくる。


「透子の両親は透子がくじに当ったことを知らないと言っていたが…………怪我が治ってからも何も話していないのか?」


 透子はうなだれる。


「一度も話せていません。事故に遭ったあと、すぐにこちらに来てしまったんです。両親も姉も、お金の件どころか、私が事故に遭ったことさえ知らないかも…………」


「じゃあ透子の家族は、透子が失踪したと思っているのか?」


「おそらく。…………このまま帰れなければ、そうなると思います」


 約束通り、二年後に帰してもらえなければ。

 自然、そういう結論がくだされるだろう。


「私の事故が明らかになるかは、わかりません。私を轢いた人は、そのまま逃げたかもしれませんし…………ただ、私が帰らなければ、周囲は『失踪した』と判断するでしょう。私の国では、失踪から一定期間が過ぎると、法律上は死亡扱いになり、私の財産も遺産として扱われます。そして伴侶は、相続において一番強い権利を持っていたはずですから、その時点でくじの件が明らかになっていたら…………全部とは限らなくても、かなりの割合をあちらにとられるはずです」


「その透子の夫が、相続を拒否する可能性はないか? くじの金を全部、透子の家族に譲る、とか。そもそも透子を捨てた男だろ? 結婚式に他の女と駆け落ちするような不義理を働いたくせに、遺産はしっかりもらうなんて、図々しいにもほどがある」


 紅霞の言い分には完全に賛成だった。

 だが、しかし。


「昔の…………駆け落ちする前の彼だったら、迷わず信じていました。でも、今は…………」


(さすがに、お母さんや楓太の件を知っていながら…………あんな最低の形で私を捨てておきながら、のうのうと私の遺産だけは受けとるような人だとは思いたくない。そこまで恥知らずだとは…………でも…………今は…………)


 心から謙人を信じることができない。

 謙人が変わったのは心だけ。性格までは変わっていない。自分が心変わりして捨てた女の、遺産だけはきっちりもらうなんて、そんな図々しい人ではないはずだ(むしろ謙人と愛美のほうが透子に慰謝料を払う立場ではないか)。

 そう、信じることができない。


(万が一、三億円すべてを受けとって…………お母さんや颯太には一円も出してくれなかったら…………全額、あのひととの結婚生活のために使ったとしたら…………)


 焼けつくような怒りを覚えた。想像だけでもめまいがするのに、これが現実となったら憤死するかもしれない。だがどれほど憎もうと恨もうと、日本に戻れなければ、すべてが無意味なのだ。


「私、帰りたい。いえ、帰らないと――――」


「みたいだな」


 紅霞も賛同した。

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