34
(あたたかい…………)
顔にあたる空気は冷えているが、体はあたたまっている。その温度差が心地よい。冬の朝に布団から出たくない、あれだ。
(あー、このまま寝ていたい…………会社行きたくない、布団と結婚したい――――)
そこで気づいた。
(なにか、かたいものにぶつかってる…………ベッドが狭い…………?)
瞼を開いた。
朝の光が射し込む、薄暗い室内の寝台の上。
ごく至近距離に、桁違いに艶麗な美青年が寝ていた。
透子は跳ね起きた。肩にかけていた自分の衣装がはらりと落ちる。
(え? え? え? どういう…………)
長い黒髪が艶やかに寝乱れる美貌を見つめると、急速に記憶がよみがえった。
(そうだ。昨夜はあんまり冷え込むから、紅霞さんと一緒に寝させてもらったんだった。家族のこととか話して…………)
「はあ」と肩をおとす。室内を見渡すと火鉢の炭はとっくに火が消え、白くなっている。
あらためて考えると、これはどうなのだろうか。
(一晩、同じベッドで一緒に寝て…………まあ、紅霞さんは男性が恋愛対象だし、お互い独身なんだから、合意があった以上は問題ない…………はず。たぶん)
透子はしげしげ紅霞の寝顔を見下ろした。
寝ていても相変わらずの美貌だ。無防備になっているぶん、昼とは異なる艶があり、透子は見ているのが後ろめたくなる。
「すずさん?」
「ちゅん」
枕元にいるはずのスズメを小声で呼ぶと、すでに窓枠で羽根づくろいしている。昨夜「寒い」と言った透子に『知らん』と言い放ったことなど、はじめからなかったような態度だ。
(まったく)と思いながら、透子は掛布団代わりにしていた自分の衣装を抱え、紅霞を起こさないよう、そっと寝台からおりる。
耳を澄ませば、薄い壁や扉の向こうから、宿泊客や従業員がそれぞれの朝の支度をはじめる音が聞こえてくる。通りには、はや男達が行きかい、透子は冷えた室内の空気に身震いした。
紅霞が起きる前に身支度を整えてしまいたい。
そう思った透子は、衝立をまわって自分の寝台に戻ろうとする。その時。
廊下をひときわ大きな足音が近づいて来たかと思うと、勢いよく扉が開かれた。
「おう! 起きてるか!? 飯に行こう、紅霞! 透子! 美味い店に連れてってやる!!」
朝陽のごとく明朗に雲翔の笑顔が現れた。うしろにはため息をつく露月。
予想外の出来事に透子は硬直する。正面から雲翔と向き合う形になった。
「お、透子、起きてるな。まだ着替え中…………?」
雲翔が透子の姿に気づき、怪訝な声を出す。そこへ怒声が飛んできた。
「うるせぇぞ、雲翔!! 朝からでかい声を出すな!!」
衝立の向こうから寝間着姿の紅霞が顔を出し、投げた枕が雲翔の顔面に命中する。
「ぐわっ」と悲鳴があがる。
もともと短気で手の早いところのある紅霞だが、雲翔相手だとそれがひどくなるようだ。
「って、露月もか…………透子?」
紅霞が今さらのように、立ち尽くした透子の存在に気がつく。透子はなんだか渋いような泣き出しそうな頭痛をこらえるような、不思議な表情をしている。
「紅霞、透子…………その、二人は…………」
雲翔がどいたせいで透子の姿を真正面から見れるようになった露月が、二人を指さし、狼狽の様子を見せる。
「ん?」と、露月の反応に紅霞は首をかしげたが、すぐに悟った。
枕を拾った雲翔も言う。
「坊主でなく、嬢ちゃんだったか」
裸体を見られたわけではない。が、寝間着は布地が薄くて体の線がわかりやすく、透子のサイズでは「胸部は絶壁です」と主張するには無理があった。
ついでに、二人そろって衝立の向こうから出てきたのも見られているので、「別々の寝台で寝ました」という主張も説得力を欠く。
「…………」
人間達の間に気まずい沈黙が流れる。
「ちゅんっ」とスズメが一鳴きした。
「つまり、身元を隠しての家出を手伝ってたのか?」
「そうだ」
露月の確認に紅霞はぶっきらぼうに短く答えた。
雲翔お勧めの食堂の一席である。四人で隅の席をとったが、こんできたため彼らの会話と存在に気を払う客はいない。透子も男装している。
お勧めだけあって料理はおいしく、熱々の朝食に舌鼓を打ちながらも、話題は当然、透子の正体で、透子も潔く男装していたことを認めて新たな身元を紅霞が説明した。
「透子は作家志望だ。けど、両親が許さない。それで家出して来たんだと」
万一、女とばれた時のため、あらかじめそう口裏をあわせることになっていた。
「そうなのかい?」
露月に問われ、透子もこくり、とうなずく。だますのは心苦しいが、状況が状況だ。下手に真実を明かして、彼らまで《四姫神》に目をつけられるほうが申し訳ない。
「両親には育ててもらった恩がありますし、嫌いになったわけではないんです。でも…………やっぱり夢を捨てられなくて」
「そりゃ、初投稿であんだけ大人気になればなぁ」
雲翔がすんなり納得する。この点、実績が先にあるのは強い。
「本当は、実家にいたまま作家になれれば良かったんですけれど。最近はもう、原稿を書いているだけで怒られるようになってしまって」
「家名は言えないが、透子の家は夕蓮の名門なんだと。縁談も出ていたが、相手の男も透子が作家になることを良く思っていない。それで家を飛び出すしかなかったんだとよ」
「なるほど。たしかに大衆向けの小説だと、一部ではまだ『下層の人間が読む低俗な娯楽』という扱いだからな。自分の令嬢や細君が書くのを嫌がる夫や親は多いな」
露月も納得したようだった。彼自身が『一部』の社会で生きる人間なので、そのへんの事情とか空気感は、雲翔や紅霞より理解しやすいのだろう。
「だましていて、すみませんでした」
「いや、そういう事情ならいたし方ないさ。才能も実績もあるのに、無理やりやめさせられるなんて、そちらのほうがひどい話だ。それより、こちらこそ今朝は申し訳なかった。知らなかったとはいえ、雲翔共々押しかけてしまって…………」
謝罪する透子に、逆に露月が謝ってくる。
「そういや二人、今朝は一緒に寝てたんだったな」
「っ!」
雲翔の一言に、透子と紅霞はそろって食べ物が喉につかえそうになった。
「翠柳一筋と思ってたのに、いつの間に女と同衾できるようになったんだ?」
「ちが…………っ」
ふてくされるような雲翔の問いに、紅霞は反論しようとしてむせる。
透子はいったん頭の中を真っ白にして、口の中のものを呑み込むことに集中し、茶で流し込んで一息つくと、雲翔に訂正した。
「誤解です。あれは、えっと、おかしな意味ではないです。昨夜はすごく冷えて、火鉢だけでは足りなくて。それで私がわがままをいって、紅霞さんの寝台に入れてもらったんです」
「ああ、そういえば昨夜は、特に冷え込みがきつかったが…………」
「だからって、男の寝台に入り込むもんかぁ? 普通」
「だって、紅霞さんは男性が好きな方ですから。女の私は、逆に安全じゃないですか」
「たしかに」
露月が吹き出したが、雲翔はまだ少し納得いかない様子だ。紅霞もなんだか複雑そうな表情をしている。
「まあ、こいつは翠柳一筋だからなあ。気の毒だが、その手の期待はしないほうがいいぞぉ? これまでも、何人の女や男が泣かされたことか…………いっっ!!」
雲翔は突然、悲鳴をあげて顔をテーブルに突っ伏す。テーブルの下で紅霞に思いきり脛を蹴られたのだ。透子も説明する。
「知っています。《四姫神》さんに何度も求婚されていたんですよね? 翠柳さんとも深く愛し合っていたそうで、羨ましいです」
「羨ましい?」
露月が首をひねる。
「紅霞さんから少しお話を伺っただけですが…………それでもお互い、相手を本当に大切に想っているのがわかります。羨ましいと思います」
「羨ましい…………そうか」
透子のてらいのない意見に、露月は意表を突かれたようだった。「そういう考え方もあるのか」という表情を理知的な顔立ちに浮かべている。
その反応に、透子も(友人でも、無条件に男性同士の結婚に賛成する人ばかりじゃないのかな?)と頭の隅に記録しておく。
とにかく、透子の性別については穏便に明かすことができた。
透子は二人に頼み込む。
「私の身元については、秘密にしておいてください。たぶん、親は私をさがしています。見つかったら問答無用で連れ戻されて、小説も書かせてもらえなくなります」
「わかった。まかしとけ」
「誰にも言わないよ」
いかにも安請け合いという様子で雲翔が、生真面目な表情で露月が応じる。
「あの小説は新鮮だったからね。次回作も楽しみにしているんだ。これで絶筆にならずに済むなら、簡単なものだよ」
ちょっと茶目っ気を含んで、露月がにっこり笑った。
それから話題は、昨日のつづきや近況報告にうつる。
透子もひとまずは安心する。が。
(一応、ごまかせたっぽいけど…………《四姫神》さんのことを考えると、今は露月さんや雲翔さんと長く関わるのも良くないだろうし。早く国境の封鎖が解けるといいんだけど…………)
だが透子の憂いとは裏腹に、封鎖はつづいた。




