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「お前の知り合いかよ、雲翔」
ナンパ男二人とも知り合いだったらしく、男達はちっ、と舌打ちして紅霞の肩に置いた手を離す。
「職探しの相談で、この街まで来たんだ。すまんが、今日は勘弁してくれ。かわりに今度、奢ってやる」
にかっ、と笑う雲翔は明朗快活そのものだった。立っているだけで場の雰囲気を明るくする力がある。
男達も、紅霞の美貌に未練を見せつつ雲翔の明るさに気勢を削がれ「本当に連絡しろよ?」と釘を刺すと、しぶしぶ去って行った。
男達が店外に出て戻ってくる様子がないのを確認して、紅霞も「はあ」と息を吐き出す。
「悪い。助かった」
「まったくだ。再会一秒で殴られたのに、わざわざ追いかけて来てまで助けてやるなんて、こんな優しい男はそうそうおらんぞ?」
「殴られた? 誰に?」
紅霞の本気の問いに友人の笑顔が「ぴきっ」と、ひきつって見える。
「お、れ、が。お、ま、え、に」
雲翔の武骨な指が紅霞と自身を交互にさす。
紅霞は首をひねる。
「いつ?」
「さっき雲翔が呼び止めた時に『知らない』と言って、殴っただろう。忘れたのか」
良家の令息風の友人がさすがに口をはさんだ。
「ああ、あれか」
やっと気づいた風の紅霞に、透子が問いかける。
「本当に殴ったんですか? 紅霞さん」
「いそいでたんだ。顔を見る余裕なんてなかった。そうか、あれがお前だったのか」
「顔も見ずに殴ったんかい」
「紅霞さん、少し手が早いですよ」
「透子のほうが先だったからな。大丈夫か? 怪我はないか?」
紅霞はけろりと透子を気遣った。手はまだつながれたまま。
そこで雲翔と露月の表情も変化する。
「身長と後ろ姿が似ていたんで、まさか、と思ったんだが…………やっぱり翠柳じゃないな」
二組の視線がしげしげと透子に集中した。
戸惑う透子を、紅霞がさり気なくその長身で隠す。
「翠柳の遠縁だ。職探しに夕蓮に来たんで、宿を貸していた」
「はじめまして」
透子が紅霞のうしろから挨拶する。
雲翔が真面目な顔つきで紅霞に訊ねてきた。
「お前、再婚するのか? 翠柳の後釜か?」
即座に紅霞の手刀が雲翔の脳天を直撃した。
「紅霞さん!!」
透子は紅霞の手の早さを咎めるが、紅霞はそっぽを向き、露月は「やれやれ」と肩をすくめるのみだ。雲翔が頭を抱えて痛みに呻く。
「とりあえず立ち話もなんだから、そのへんの店に入ろう」
そう提案したのは、露月だった。
どうやら紅霞、雲翔、露月の三人の中では、彼が一番落ち着いていて大人っぽいようだ。まあ、全員二十四歳だが。
露月の提案に紅霞と透子は躊躇した。
自分達は《四姫神》に追われる身だ。この街でも指名手配されている身の上である。
「下手に関わったら、巻き込むよな?」
紅霞の問いに、透子もうなずく。
この街は、まだ艶梅国内。《四姫神》の権力内だ。ここで安易に彼らの誘いにのって《四姫神》側に『紅霞の仲間』と情報が伝わってしまったら、彼らも面倒に巻き込んでしまうことになる。
(紅霞さんの友達を、危険な目に遭わせるわけにはいかないし)
それでなくとも《四姫神》、そして梅家の権力は強大だ。目をつけられれば、夕蓮の街にいた頃の紅霞同様、仕事やら家族やら、様々な面から嫌がらせをうける可能性もある。
「悪い、今はいそぎの用があって」
「いそぎ? じゃあ仕方ないな。どこまで行くんだ? 送ってやる」
『100%善意』と顔に大書きして、雲翔が申し出る。
「いや、俺達だけで大丈夫だ」
「遠慮すんな。どうせ今日はこのあと暇だし、それくらいの時間はある」
「いや、だから…………」
なんとか断ろうとする紅霞の様子に、雲翔はふたたび真剣な表情となる。
「お前…………ひょっとして、そいつと二人きりになりたいのか? それとも、その坊主を俺達にとられないか、心配してるのか? やっぱり翠柳の後が…………ぐあっ!」
ふたたび紅霞の手刀が雲翔の脳天を襲う。透子が止める間もない。
さらに露月も質問を重ねてきた。
「そもそも紅霞、どうやって夕蓮を出たんだ? たしか翠柳の治療のために、そうとうな金額を《四姫神》から借りたんだろう? 完済するまでは夕蓮を出れないはずだろう」
透子と紅霞、そろって「そこに気づかれたか」と肩をおとす。
「もう説明してしまいましょう、紅霞さん」
「けど」
「ここで説明せずに逃げるほうが、かえってお友達に不審に思われます」
透子の意見に紅霞も納得せざるをえず、少し早いが四人で昼食をとることとなった。
ちなみにここまで、すずさんは透子の袖の中に隠れてなにもしていない。
最終的には、少し歩いて雲翔の住まいに来た。食堂で話して注目を浴びたくなかったし、露月は実家暮らしなので、急に大勢の友人を連れて帰るには向いていない。途中の屋台や露店で酒と肴を買い込み、小規模な集合住宅が集まった通りにやつてきた。
(こっちにも二階建て、三階建ての家があるんだ。近代だし、建築技術もかなり進んでいるんみたい)
そんなことを考えながら、透子は飾り気のない屋根と簡素な壁を見あげる。
雲翔の部屋は二階だった。ぎしぎし鳴る床を踏んで、廊下の中ほどの扉の中に入る。
これといって凝った家具や飾りが置かれていないせいか、室内はむしろ無国籍に見えた。これなら夕蓮で紅霞と住んでいた家のほうが、金持ちの別荘だっただけあって、よほど中華風情緒にあふれている。
なにより部屋中に散乱する物、物、物。
「ちょっと待て、今どける」
雲翔は持っていた荷物を露月に押しつけ、部屋の中央に置かれた卓の上の食器(未洗浄)だの紙袋(中身は空)だの服だのを、どんどん隅の棚に移動させていく。
まるで悪びれない様子だったが、透子はあることを思い出していた。
「お友達だけあって、紅霞さんに似ていますね」
「…………」
紅霞は「む」と形良い唇を尖らせたが、反論はしない。
彼もまた、透子が来て片付けを担当するようになるまでは、散らかった部屋で暮らしていた自覚がある。
「定期的に掃除しろと言っているだろう」
文句を言いつつ、露月が物が無くなった卓に荷物を置き、てきぱきと中身を並べていく。透子は雲翔に水場の位置を教えてもらい、紅霞と分担して汚れた食器を運び、片っ端から洗って拭いていく。それを部屋に持ち帰って取り皿の用意もして、やっと食事のはじまりだった。真昼間だが、杯に酒が注がれる。
「では、再会を祝して」
月並みな台詞だが、露月の音頭で乾杯となった。
一杯飲み、あらためて紹介し合う。
「こっちは透子。翠柳の遠縁だ」
「透子です。よろしく」
「変わった名だな。どこから来たんだ? 姓は?」
「住所と姓は勘弁してやつてくれ。ざっくり説明すると、親に五十代の金持ち女の家に奉公に出されそうになって、家出してきたんだ」
「ああ…………」
「そりゃ大変だったなあ」
露月が合点のいった声を出し、雲翔が本気の同情の声をかけてくる。
この説明はあらかじめ二人で相談して決めたものだ。
この場合の『奉公』は『主人に手を出されること前提』を意味する。
どうやらこの世界は、日本に比べて未成年に対する人権意識が薄いようで、親が金銭目的で我が子を好色な金持ちのもとに…………というのは、珍しいことではないらしかった。紅霞自身、そのような話が幼い頃から何度もあったようだ。
友人二人も特に疑う風もなく、すんなり信じている。
「透子。こっちは燈・桑・楓・雲翔。隣が嬪・?・芳・露月。どっちも、夕蓮にいた時の同級生だ。卒業後、露月は夕蓮を出て実家に戻って、雲翔は夕蓮で就職したはずだが…………」
「今も働いているぞ。仕事でこっちと夕蓮を往復しているだけだ」
聞けば、雲翔は日本でいう郵便配達人だそうだ。それも街から街への長距離間を担当する部署で、夕蓮からこの国境の街までの区間を、時には半月かけて移動していくのだという。
「職場から出る旅費で、あちこちの街や村を見てまわれる。いい仕事だぞ? そこそこ高給だしな。この家は、この街に来た時用の借家だ。配達人用の寮の一つだな」
にかっ、と笑う雲翔は本当に楽しそうだった。




