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男女比8対1の異世界に転移しました、防御力はレベル1です  作者: オレンジ方解石


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22

 翌日。

 朝食の席で紅霞は「透子の提案を受け容れる」と答えた。

 透子は紅霞の早い決断にびっくりする。

 正直、結論が出るまでにもっと時間がかかると予想していたのだ。

 だが紅霞は意外にもすっきりした表情で、透子に語る。


「このまま、ずっとここにいても仕方ない気もするからな。いい機会だ。一度は余所に行ってみようぜ」


 それは、あるいは「状況を打開したい」という紅霞の、潜在的な願望の現れであったかもしれない。

 母親が亡くなり実の父親も亡くなり、家族は四散して、唯一残った伴侶とも死別。紅霞に残されたのは多額の借金と、それを返済するためにひたすら薄給で働きつづける日々。希望のあてもない未来。

 そこから出たいと、誰より願ってきたのは紅霞自身に違いない。

 透子もすぐに賛成した。

 それからいったん紅霞は仕事に出て、帰宅した彼と夕食をとりながら、今後の予定について念入りに詳細を詰めていく。


「せっかくなので、続編の原稿は渡してしまいたいんです。あと十日ほどで完成しますから。ですから、借金の返済はそのあとがいいんですけれど」


「そうだな。せっかくの第二作だしな」


 紅霞もあっさり賛成してくれる。

 借金の返済日は、透子が続編の原稿を出版社に渡したあと。

《四姫神》が州都城に伺候して留守の日に、原稿を渡したその足で返済に赴く、と決まった。

 つまり、その日までに必要な準備を終え、荷物をまとめて、いつでも街を出られるように用意しておかなければならない。


「続編や重版の印税はどうする? 受けとってからでも…………」


「出発を延ばせば、その分《四姫神》さんに目をつけられる危険性が高くなります。私が戻るまで出版社で預かってもらって、私が要求したらいつでも出してもらえるよう、編集長に一筆、書いてもらいましょう」


 印税に関しては、透子にもくろみがあった。

 受賞作の売れ行きを見る限り、続編もかなりの結果が期待できる。印税もそれなりの額になるはずだ。

 編集長には、一年半後に透子が日本に帰ったあとも、紅霞が代理で印税を受けとれるよう、手配してもらっておく。

 むろん、そんなことは口には出さないが。


「問題は行先ですね。とにかく、夕蓮は出たほうがいいでしょうが、そのあとは…………」


「行きながら考えようぜ。東の国境が一番近いから、そこから艶梅国を出て涼竹国に入って…………とりあえず、海を見てみたい」


「いいですね」


 紅霞から明るい前向きな空気を感じて、透子もほっとする。

 それから十日間。

 透子は寝る間を惜しんで続編の仕上げを進め、紅霞も持ち物を整理していく。幸い、引っ越してきた時点で物が少なかったので、貴重品や思い出の品は手で持てる量にまとめることができた。

 写真立てを見ていた紅霞に、透子が声をかける。


「入りそうですか?」


「ああ。たいした数じゃないからな」


 この世界では、写真技術はここ十数年の間に広まった新しい技術で、値段も安くはない。そのせいで庶民には、まだそれほど浸透していないらしい。

 紅霞も持っているのは、両親の写真と家族の集合写真。

 それから翠柳との結婚記念に撮った一枚だけだった。

 透子はふと思う。


「私も写真を撮れますか?」


「撮りたいのか? いいぜ、落ち着いたら、どこかで撮ろう。ちゃんと女物の服でな」


 紅霞は笑う。透子も笑い返した。

 透子が写真を欲しがったのは、単なる記念としてではない。

 自分がこの世界からいなくなっても、写真が残っていれば、それを見るたび紅霞に思い出してもらえるかもしれない。


(できれば二枚、撮りたいな。日本に一枚、持って帰りたい…………)


 準備が整っていき、合間に部屋の掃除も済ませていく。

 そして原稿が完成し、何度も確認して荷物もまとまり、いよいよ透子は出版社を訊ねた。






 出版社に訪問を告げると、すぐに編集長がやって来て、満面の笑みで透子と紅霞を迎えた。

 透子がぶ厚い大きな封筒をさし出すと、編集長は蕩けそうな笑顔で受けとる。

 透子は編集長に説明し、前もって用意しておいた、印税を預かることを約束する文書に署名してもらった。透子も紅霞と共に署名する。


「なんで俺まで」


「必ず、私が受けとりに来られるとは限りませんから。いざという時のため、紅霞さんも代理で受けとれるようにしておきたいんです」


 そう言いくるめて紅霞に署名させる。

 受賞作の売れ行きはまだ伸びているそうで、透子は新たな重版分の印税を受けとって出版社を出た。


「旅費の足しにできますね」


 笑いつつ、その足で梅家にむかう。


「本当に透子まで来るのか? どこかで待っていたほうが…………」


《四姫神》花麗は留守といっても、梅家が透子の存在を知れば即、花麗に伝えるはずだ。


「紅霞さんと離れるほうが心配ですし。紅霞さんがちゃんと返済するか、この目で確認したいんです」


 透子は男装し、手首にも包帯を巻いている。極力、声を出さずにやりすごすしかなかった。


「本当に個人の家か?」と疑いたくなるほど高く長い壁に沿って進み、やっと門に到着する。


 門番はすっかり紅霞の顔を覚えているようで、紅霞が名乗らずとも使用人用の小さな戸を開けてくれた。

 梅家は豪邸だった。家というより『宮殿』だ。

 朱塗りの柱に朱塗りの欄干。柱には彫り物がほどこされ、回廊にはいくつも灯篭が吊るされて、屋根は青い瓦をびっしり敷き詰めている。絵にかいたような『中華風御殿』だ。

 寄ってきた使用人に「いつもの返済だ」と紅霞が告げると、客用の待合室に通された。

 磨かれた石の床の、天井の高い広い部屋で、黒光りする重厚な木のテーブルと椅子が置かれている。大輪の花が飾られ、それを活けるのは白磁の壺だった。


「豪華ですね…………」


「本当は俺みたいな庶民の入れる部屋じゃない。庶民の中でも大商人とか、千人単位の部下を従える将軍とか、そちら向けの応接室らしいぜ」


 気のない様子で紅霞が説明してくれた。

 どうやら、彼の身分と家柄では本来もっと粗末な部屋があてがわれるところを、令嬢の大事な客ということで特別扱いされているようだ。

 やがて、使用人は使用人だが『地位が高い』と思われる壮年の使用人が姿を現した。

 前合わせに帯をしめ、髪は油を塗って一つにまとめ、簡素な帽子(冠?)をかぶっている。色合いは地味だが、布や縫製の質自体は明らかに紅霞より上だった。

 男が向かいの席に着くと、同行していた小姓が流れるような仕草で茶を淹れ、湯気と香りがただよう。三人分の茶が並べられ、男のそばに紙とペンと小箱を置いて、小姓は退室した。

 男が口を開く。


「ようこそ、琳・榛・斉・紅霞殿。はて、そちらの方は?」


「翠柳の遠縁だ。仕事を捜しに夕蓮に来た」


「おや、あの方の」


 男は驚きつつも、じろじろと、頭のてっぺんから爪先まで透子をながめまわす。


「可愛らしい方ですな。亡き翠柳殿といい、華奢な男子が多い家系なのでしょうかな? あの方も、しなやかな若木のようだった。なるほど、この少年を我が家で雇ってほしいと」


「いいや。仕事はもう決まった。このあと挨拶に行くから、ついでに連れてきただけだ」


「おや。我が家に預ける気はございませんか? これなら働き次第で、すぐに小姓になれます」


「断る」


 紅霞は即答した。

 重い袋からどさどさと紙幣の束をかき出し、黒光りするテーブルの上に広げる。


「返済だ。残金、四百二十八万阮ある。確認しろ。これで返済完了だ」


 男が目をむいた。


「な、な、な…………!」


 にやにやと慇懃無礼だった男が一変して激しく動揺する。


「ど、どうやってこんな大金を、急に…………」


「どうでもいいだろ。とにかく、これで完済だ」


「い、いや、しかし、いつもの返済ならともかく、全額返済となるとお嬢様の意向を…………」


 受けとってしまったら『お嬢様(花麗)』の紅霞への貸しが無くなってしまう。

 二人の経緯を知っているのだろう、男は躊躇するが、紅霞に睨まれると、慌てて紙幣にとりすがった。


「十二、十三…………」


 一枚一枚、数える男の姿に(どれくらいかかるの…………)と透子は不安になる。


「二十六、二十七、二十八…………全額ある…………」


 数え終わった男は呆然と呟く。


「証文を」


「い、いや、しかし…………」


「証文を出せ。完済したからには、受けとる権利がある」


 なまじ並外れた美貌だけに、本気ですごんだ時の迫力はすさまじい。鬼の迫力に華の艶が加わり、魔女とか魔王はこのような顔ではないかと、横で見ていた透子も目が離せなかった。


「お、お待ちを…………」


 男は迫力に呑まれたように――――あるいは魔力に魅入られたように、どこか陶然と手を動かし、脇に置いていた紙を引き寄せてペンで金額を訂正する。

 そして本日の日付と《四姫神》の代理として受けとった自分の名を記入し、小箱から大ぶりの判をとり出して名前の横に押すと、紙を紅霞に差し出した。

 紅霞もその紙に自分の名を記して、完済を認める証文が完成する。

 すると、ぱしっ、と不思議な音が響いた。


「なんの音ですか?」


 なにかに気づいたように、紅霞が長い袖をめくる。

 すると露わになった二の腕に光る《印》があった。

 と、《印》は砂が崩れるように消えて、跡形もなくなる。


「消えた…………?」


 まばたきする透子に、紅霞が呆然と説明する。


「…………契約の《印》だ。《四姫神》の。必ず五百阮を完済する、という。…………これがある間は、どこにいても《四姫神》に居場所が伝わる。逃げられない」


 そういうことか、と透子は悟った。

 どうりで紅霞が今まで逃げ出さず、延々と《四姫神》に返済をつづけていたはずである。

 紅霞はゆるゆると笑顔になり、勢いよく立ちあがった。


「よし! 行くぞ!」


 透子は腕を引っぱられて慌てて立ちあがる。


「お、お待ちを!!」


 男も慌てて立ちあがり、紅霞の行く手を阻んだ。


「今、お嬢様に知らせを送りますので。食事を用意させます、どうぞ今しばらく…………!」


「断る」


《四姫神》花麗の帰りを待っては意味がない。

 手の平を返すように下手に出てくる男を無視して、紅霞は透子を引っぱり、部屋を出た。

 長い石の床の廊下をずんずん進んでいくと、背後から男の声が聞こえる。


「お待ちを、紅霞殿…………! 誰かおらぬか!!」


「走るぞ!」


 紅霞は透子の手首をつかんだまま走り出した。

 来た道を引き返すのではなく、回廊の欄干を飛び越えて庭に出る。

 そのまま門へと突っ走った。


(は、速い…………!)


 透子は彼より背が低い分、足も短いので、長身の彼に疾走されると、ほとんど引きずられる形になる。

 二十歳の肉体で良かった。もとの三十歳のままなら、ここまで走れたかどうか。

 ふりかえると数人の男達が追ってくるのが見えたが、そろって裾の長い服を着た使用人ばかりで、それが追走の妨げとなっている。

 透子達は捕まえる前に門にたどり着き、事態を知らぬ門番は不思議そうな顔をしながらもあっさり二人を通して、紅霞と透子は梅家の豪邸から脱出を果たした。

 そのまま、さらに走って角を曲がり、ようやく建物が見えないところまで到達する。追手が追いつく気配はない。

 紅霞はようやく足を止め、肩で息をする。透子は心臓が破裂しそうだった。


「こ、紅霞さん…………」


 紅霞は梅家の方角を見つめ、「はっ」と嘲りに似た笑みを投げつける。


「ざまぁみろ! すかっとした! 翠柳…………!!」


 紅霞は長身を折り、腹を抱えて笑し出した。目尻に涙がにじんでいる。

 少年のように屈託ない清々しい笑顔と、哀しみをにじませた涙だった。

 透子が胸をしめつけられるのに充分なほどの。


「紅霞さん…………」


「ありがとうな、透子。金は絶対、返す…………」


 透子は手を伸ばす。

 指先に紅霞の涙が触れて、紅霞も自分が泣いていることに気がついた。


「悪い。みっともねぇな…………」


 艶麗な顔がそむけられる。頬が薄紅色に染まっている。

 透子は首をふった。


「みっともなくないです。紅霞さんが自由になった証です」


 それだけ今まで抑圧されてきた、その反動だろう。


「自由…………」


 紅霞は呟いた。


「自由になったんだな…………俺は…………」


「はい。もう自由です」


「そうか」


 紅霞は泣きそうな表情を浮かべ――――透子に抱きついた。


「こ、紅霞さん…………!?」


「悪い、透子」


 紅霞は透子の肩に顔をうずめて、ささやく。


「全部、透子のおかげだ。――――ありがとうな」


 紅霞はそっと顔をあげ、すぐ目の前から透子の瞳を見つめる。

 透子は沸騰しそうになった。自分の顔は汗で汚れたりしていないだろうか。

 大きな熱い手が透子の両頬をはさむ。

 紅霞は、ふっ、と笑った。


「な、なんですか!?」


「いや。透子が男なら、今、口付け(キス)していただろうな、と思って」


 透子は絶句する。


「けど、透子は男が好きな女だしなあ。――――残念」


 紅霞は真っ赤になった透子の頬をなで、「行こうぜ」と手を引く。

 透子は残った手で己の頬に触れた。

 頬が熱い。きっと真っ赤だろう。


(大嫌い、この人)


 心から思った。

 なんでこちらばかり、こんなに動揺させられるのだろう。


(私ばかり、気持ちが強くなっていくみたい。紅霞さんは翠柳さんだけなのに…………)


 しめつけられる胸の痛みに、透子は紅霞に引かれる手をそっと抜こうとする。

 けれど紅霞の大きな手はしっかり彼女の小さな手を包んで、離さなかった。

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