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「あの人達は…………いつも、ああなんですか?」
透子は遠慮がちに訊ねてみた。
切られた木を接ぎ木し、ありあわせで昼食をすませたあとだ。
湖に行く予定は当然、中止となり、居間で二人、お茶で一服していた。
「その…………あの人が本当に、《四姫神》ですか?」
「ああ。弱冠十二歳で就任ってんで、当時は話題になったな。五、六年前か?」
「ああいうことは、こちらでは普通なんですか? その、いきなり押しかけて来て、断られたら腹いせに大事な木を切っていくとか…………誰かに相談できないんですか? 悪いことをした人を捕まえたり捜査したりするような組織は…………」
「警邏兵のことか? その警邏兵を含む兵士達の、軍の頂点ちかくが《四姫神》だ」
「あの人が軍の最高責任者なんですか? あの年齢で?」
「最高責任者は国王だ。けど、《四貴神》を使役する《四姫神》は国の防衛の要の一つだ。《四貴神》は《四姫神》にしか使役できない。当然、《四姫神》の立場は強くなる。加えて梅家は艶梅国屈指の名門だ。王位を継がなかった王子の家系で、姓に国名の『梅』の字を用いているのが、その証だ。その梅家の当主の一人娘で数少ない女で、《四姫神》の地位にも就いているとなれば、態度の一つや二つ、でかくならないほうがおかしいだろ」
透子は感心してしまった。
(お金持ちのお嬢様っぽいと思っていたけれど…………本当に『名家の姫君』なんだ。王子の家系ということは、西洋での公爵みたいな家柄? …………公爵令嬢で、強い守護者がいて、将軍みたいな高位で、かつ美少女って…………もう、漫画やゲームの世界…………)
けれど。
「名門の姫君なのはわかりました。ですが名門で高位だからこそ、より厳しく己を律して、他者への共感や礼節が不可欠なのでは? あれでは地位や家柄を盾に、ただ横暴を働いているようにしか見えません。あの人の親御さんや…………それこそ国王陛下にでも、注意してもらうわけにはいかないんですか?」
「その日暮らしの庶民が?」
紅霞は手をふって笑った。
「梅家の当主も国王も、見知らぬ下層の男一人で《四姫神》のご機嫌がとれるなら、願ったりだ。俺をかばう意味も必要もない。そもそも世間的には、悪いのは俺だしな」
「? どうしてですか?」
「そりゃ、男同士は天にも国にも認められていない関係だからだ。天は『男女が夫婦となって子を産むことが自然』と定義しているし、国の法もそれを前提に作られている。特に《世界樹》の怒りを買って、じりじり人口が減りつづけている今の世では、子孫繁栄は最優先課題の一つだ。俺達みたいな男同士は、その課題の解決になんの貢献もしない『世の無駄』なんだ。気を遣う必要はないし、むしろちゃんと女と結婚して子作りに励むほうが『更生』だ」
紅霞は、ぐい、と茶を一息に飲み干す。
「梅花麗は名門かつ富豪の家柄で、本人も《四姫神》で、とどめに夕蓮一と謳われる美少女だ。夕蓮の男なら誰もが一度は夢見る高嶺の花、最高の良縁だ。それを拒否する俺のほうがおかしいし、ものの価値のわからない大馬鹿者、立場をわきまえぬ無礼者ってことだ」
透子は、投げ出すような自嘲の笑みの奥にあきらめを見つけた。
(ああ、この人は)
わかった気がする。
紅霞はすべてに対して、あきらめているのだ。
世間にも、自分の生活や人生にも、おそらくは伴侶の死にも。
その諦観が彼の考え方や生き方のベースにある。
あきらめているから、これ以上を望まない。つまり、変える気がない。
直接は、伴侶である翠柳の死が原因だったかもしれない。
死者は帰ってこない。それはこの世界でも動かしようのない、絶対の理のようだ。
そこに権力という、紅霞の身分や力ではどうにもならない横暴が重なって、紅霞はすっかりあきらめてしまったのだ。
生きることを。幸せをつかむことを。
こんなにも若く美しく艶麗でありながら、彼の根幹を成すのは『どうにもならない』という諦観、そこからくる『期待しない、希望を持たない』という生き方なのだ。
透子は胸が痛んだ。
まだ二十四歳なのに、ここまで自分の人生をあきらめなければならないなんて。
けれど、その事実に対して透子ができることは思いつかない。
「あきらめなければ、努力すれば、いつか良い事がある」と言うのは簡単だが、信じさせるのは大変だ。
人間、問題が起きた場合は、よく他人を動かしたり変えたりして解決しようとし、それが簡単な方法のように思われているが、他人も自分も同じ人間だ。
すなわち、他人を変えるのは自分を変えるのと同等、もしくはそれ以上の覚悟や熱量が必要になる、というのが透子の意見だった。
そして透子にそこまでの覚悟や熱量があるか? と問われれば、即答はできない。
紅霞の現状に対して手を貸したい気持ちはあるが、透子は二年後にこの世界を離れる予定の、お世話になっているだけの居候だ。果たして、そこまで踏み込む資格はあるのか。
(でも)
だとしても、一つだけは伝えたい。
透子は自分のお茶を卓に置き、紅霞と向かい合うように座りなおした。
「この国では、たしかに国王や名家や《四姫神》の権威のほうが強いのだと思います。紅霞さんには抵抗の術がないのかも。でも、これだけは間違えないでください。紅霞さんは悪くない」
紅霞の艶麗な美貌を正面から見据える。
「紅霞さんは悪くありません。紅霞さんは間違いなく、迷惑しているんでしょう? 大切な木まで傷つけられて…………そんなことをする権利は誰にもありません。国王だろうと《四姫神》だろうと、他人の大切なものは尊重する、それが最低限の礼儀のはずです。紅霞さんが受けているのは立派なパワハラとセクハラです。悪いのは《四姫神》さんのほうですよ」
紅霞は目をみはった。
「ぱわはら…………え? どういう意味だ?」
「ええとですね…………」
透子は頭を押えた。そこの説明からか。
「簡単に説明すると…………『パワハラ』は『パワーハラスメント』――――『暴力や権力を用いた嫌がらせ』、『セクハラ』は『セクシャルハラスメント』――――『性的な嫌がらせ』という意味です。暴力や権力を利用して、嫌がる相手に不当な要求をしたり、強制することです。たとえば職場だと、雇われている側は『逆らったら仕事をもらえなくなるかも』と考えると、雇用主には逆らいにくいでしょう? そういう、自分の優位な立場を利用して不利な相手に不当な要求をしたり、悪口などで相手の尊厳を傷つけたりする行為を、私の国では『パワーハラスメント』と呼んで近年、問題になっているんです」
透子は説明しつつ、あちらの世界で得た知識を総動員する。
「『セクシャルハラスメント』は『バワハラ』の一部ともとらえられています。たとえば、上司が部下に対して仕事とは無関係なデート…………ええと、逢引きに誘ったり『恋人になれ』と要求してきたりすることです。部下のほうにその気がなくても、上司が相手だと断りにくいでしょう? 『断ったら心証が悪くなるかもしれない』って。…………私は、紅霞さんが《四姫神》さんからうける仕打ちは、パワハラとセクハラだと思います」
目を丸くする紅霞に、透子は身を乗り出した。
「だって紅霞さんは《四姫神》さんのこと、好きではないんですよね? 紅霞さんは今でも翠柳さんを愛していて、彼以外の方と結婚する気はないんでしょう? でしたら《四姫神》さんは、紅霞さんのその気持ちを尊重するべきなんです。誰にも紅霞さんの気持ちを曲げさせる権利はありません。それが対等な関係というものだし、相手の気持ちを尊重する態度なしに、円滑な夫婦関係が築けるとも思えません。厳しい言い方をしますが、《四姫神》さんは紅霞さんを下に見ているんです。だからこそ、自分との結婚を無理強いできるんです。紅霞さんが彼女を嫌うのは当然と思います。誰だって自分を下に見る、大切にしてくれない相手は嫌です。彼女がやっていることは、れっきとしたパワハラやセクハラなんですよ」
透子はきっぱりと断言した。断言することが大切だと、身を持って知っていた。
紅霞は「信じられないことを聞いた」と言わんばかりに呆然としている。
「いや…………でも…………俺は…………俺達は、俺と翠柳は男同士だし――――」
頭を押えて言葉をしぼり出す紅霞に、透子は言い募った。胸に感じる小さな痛みは、あえて無視する。
「…………人を好きになるのに、天の教えとか国の法律は関係ないと思います。同性愛は、たしかに自然の理からは外れているのかもしれません。でも、好きになる時は好きになってしまうのが、人の心でしょう? まして紅霞さんの場合、翠柳さんも同じ気持ちだったんですから、問題ないと思います。誰はばかることなく、堂々としていればいいんです。あ、いえ」
透子は自分の言葉を自分で即、訂正する。
「堂々と、というのは難しいかもしれません…………世間を相手にするって、とてつもない意思の力や心の強さが必要だし…………誰にでもできることではないです。『それができれば始めから苦労していない』という話ですよね。でも…………それでも、自分や自分達を悪く思ったり、恥じる必要はないと思うんです。誰に言えなくても…………一生、秘密にするしかないとしても…………紅霞さんも翠柳さんも、自分達の気持ちに堂々としていればいいと思うんです。自分達二人の間では『なにも悪いことはしていない』って自信を持っていいと思います」
「…………男同士だぞ?」
ふるえる紅霞の唇が、さらに言葉を重ねる。
「天にも国にも、認められない関係だ。子孫だって残せない。なのに」
自身を嘲るような悔しさをかみしめるような、今にも泣き出しそうな複雑な紅霞の表情に、透子は自分の気持ちをさらけ出した。
「私は、紅霞さん達がうらやましいです」
紅霞が、はっ、と顔をあげる。
「私は紅霞さんも翠柳さんも、うらやましいです。お二人は愛し合って結婚して、翠柳さんが亡くなったあとも紅霞さんは翠柳さんを愛していて、生涯、翠柳さん一人だと宣言して、彼の遺した木を大事に守っていて。私は」
こらえられなかった。
「私は、謙人にそうしてもらえなかった…………!!」
涙があふれた。
透子は両手で顔をおおうが、その指の隙間から次々、透明な滴が膝にしたたる。
「私は、謙人にそうしてもらえなかった…………! 謙人が選んだのは、私じゃなかった…………! あの人は私との結婚式に、私の目の前で、私ではない別の女を選んだんです! そして、逃げた! 私を置いて! あの時、悩みに悩んで選んだウェディングドレス姿の自分が、どれほど滑稽に思えたことか! 謙人は私を捨てて、他の女を選んだんです!! 謙人の『ただ一人』は私じゃなかった…………!!」
「透子」
「紅霞さん達がうらやましいです。翠柳さんがうらやましい。謙人は私が死んでも悲しんだりなんかしない。あの人がいさえすれば、満足なんです。私はすぐに忘れられる…………っ」
嗚咽がもれる。言葉にならない。
励ますつもりが、自分が迷惑をかけてしまっていた。
「すみませ…………ちょっと…………」
涙をとめられない透子は、いったん席を外そうとする。
口を押えたまま立ちあがった彼女の袖を、紅霞がつかんだ。
「あ…………ええと」
視線をあちこちにさまよわせた末、透子を見あげて言う。
「行かなくていい。もう少し、ここに…………その、透子の話を聞きたい」
透子は紅霞に引っぱられるように、彼が座っていた長椅子の隣に腰をおろした。




