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「そもそも、あんたはもう、五人も夫がいるだろ。名家から来た正夫(女性で言う正室)に、アンタが好きで選んだ四人(こちらは側室)。二人ばかり、実家に戻した奴もいたな。国の掟では『最低四人の夫』だ、充分だろ。俺を誘うより、今いる五人を末永く大切にしたらどうだ」
透子は木箱から足をすべらせそうになった。
(五人…………いえ、実家に戻した二人を足したら、七人の夫!? 高校生くらいの年齢で、もう七回も結婚しているの!? 一妻多夫制とは聞いていたけれど…………それでまだ、紅霞さんと結婚しようとしているの!?)
透子の中で、いかにも清楚可憐な雰囲気をまとった美少女の印象が百八十度、転換する。
当の少女は平然としたものだった。
「豊かな者が貧しい者に恵みを与えるのは当然ですわ。わたくしは高貴な血筋で《四貴神》も得た、選ばれた存在ですから、普通の女より多くの殿方を手助けする義務があるだけです。わたくしの夫となることで殿方は『《四姫神》の夫』というすばらしい肩書を手に入れ、梅家からの援助も得られる。紅霞、あなただってわたくしの夫になれば、こんな粗末な暮らしに耐える必要はありませんのよ? それどころか、夕蓮の街中があなたに跪きますわ」
「粗末な暮らしで悪かったな。俺は自分で稼いで、自力で暮らす。あんたに養われる夫の列には加わらない」
「他の者達に遠慮していますの? それとも嫉妬ですの? 紅霞が望むなら、他の夫は離縁してもかまいませんわ。正夫だけは家の付き合いがありますから無理ですけれど、あれはしょせん、政略ですもの。わたくしが心から愛するのは紅霞だけですわ」
「だから、そうじゃなくて…………いや、いい。とにかく帰ってくれ」
「花麗様、もう帰りましょう」
疲れたような紅霞の声に、別の声が重なった。
三台の馬車から三人の若者達が姿を現し、花麗に従うように彼女の左右に立つ。徒歩で付き従ってきた使用人達の中からも一人、使用人よりやや上等な格好をした青年が歩み出て、花麗の背後にそっと立った。
全員、大学生くらいだろうか。きっ、と紅霞をにらみつけてくる。
乙女ゲームにありそうな逆ハーレムシーンだ。
(あれが花麗さんの夫達…………?)
人数的にはそうだろう。細部までは視認できないが、夫は全員、長身で整った容姿をしており、それぞれに趣向を凝らした着こなしをしている。
誰もが『名家の若君』にふさわしい洗練された容姿だったが、それでも庶民のはずの紅霞の華やかな存在感にはかなわない…………と思うのは、透子の贔屓目だろうか。ただの普段着を無造作に着ただけでも、それが紅霞だと凛々しく艶麗な空気を放つ。
花麗の夫達はいっせいに妻をうながした。
「我が姫。これ以上、時間を浪費すると、せっかくの茶が冷めてしまいます。朱門様(花麗の正夫)もとうに湖に到着して、姫の到着を待ち焦がれておいででしょう。今日のところは、我々だけで茶を楽しみましょう」
「そうですよ、我が姫。こんな男、姫が情けをかけてやる価値もないですよ。姫の愛も価値も理解できない頭の悪い男じゃないですか」
「せっかくの聖桃国産の砂糖菓子なのにねえ。価値がわからない人間に食べさせることはない。我々だけで楽しもうじゃないか。さあ姫、機嫌を直して。せっかくの花の顔が台無しだよ」
夫達は口々に妻の機嫌をとる。
透子は紅霞が無言で眉をつりあげている気がした。が、紅霞は口に出してはなにも言わない。
背後にいた、おそらくは夫達の中でもっとも地位の低い一人が、別の使用人から何事か耳打ちされる。
「我が姫。正夫様から使いが。『こちらはすでに湖に到着している。早く来てほしい』と」
「もう! 少しは気を遣ってくださいな! 一ヶ月ぶりの逢瀬ですのよ!?」
少女はベビーピンクの袖をふった。
「ねえ、本当にどうして。わたくしは本気であなたを愛していますわ、紅霞。あなたのためなら最高の生活を用意しますし、本気で他の夫を捨てる用意もありますのよ? ここまで殿方に心奪われたことは、初めてですわ。運命に違いありません。なのにどうして、あなたはいつまでたっても、わたくしの気持ちをわかってくださらないんですの? わたくしは、あなたのためを思って言っていますのよ?」
「俺のためと言うなら、俺のことは放っておいてくれ。俺の伴侶は翠柳だ。運命があるなら、それも翠柳だ。他の奴は、男も女も要らない」
「翠柳、翠柳、翠柳って! もう、四年も経ちましたわ! 死人などいい加減に忘れて、新しい人生を歩むべきです!! ましてや、男!! いい機会ですわ、あなたはふさわしい優れた妻を得て、まっとうな家庭を築くべきです! 男同士なんて、しょせん天も法も認めない関係ですわ! あの男があの若さで死んだのが、その証拠です!! 天罰ですわ!!」
(な…………!)
透子は耳を疑う。
ぱあん! と大きな音が響いた。
周囲の空気が凍りつく。
スズメだけが呑気に羽根づくろいをしていた。
「なん…………あ、あなた、わたくしを叩い…………っ」
少女が頬に手をあて、仰天しているのが見える。「姫!!」と夫達も駆け寄り、使用人達の一部が主人を守るように取り囲み、一部がまたたく間に紅霞の両腕をとりおさえた。
「んまぁ、姫様!!」と年かさの侍女が声をあげて少女に駆け寄る。
「すぐに手当てを! まあ、下々風情がなんと野蛮な!」
「お前! なにをしたか、わかっているのか!? 姫は《四姫神》だぞ!? 梅家の令嬢だ!! その姫に…………」
「知ったことか!!」
使用人達に左右を押えられながらも、紅霞は激しく怒鳴った。
「《四姫神》だろうが令嬢だろうが! 俺の前で翠柳を侮辱するなら、命を賭けろ!! むしろ頬だけで済んだのを感謝しろ!! 翠柳には、あいつにはなんの非もない!! 今度、俺の前であいつを悪く言う時は、そのご自慢の顔が骨から砕かれる覚悟で言え!!」
(紅霞さん…………)
十七、八歳の少女相手に、二十四歳の男性が本気で喧嘩するのはどうかと思う。というか、うすうす察していたことだが、飛び抜けた美貌からうける印象とは裏腹に、この青年は短気というか、手が早い。有り体にいうと『中身はけっこうチンピラ』だ。
だが、大人気ない、と思いつつ、亡き伴侶のためにここまで怒れる紅霞には尊敬の念を抱いたし、ここまで守られる翠柳もすてきだと思う。
なにより少女の言い分は、詳しい事情を知らない透子が聞いてもひどかった。
(亡くなった人を悪く言うなんて…………)
透子は今すぐ紅霞に加勢したいもどかしさを覚える。
「もう、いいですわ!!」
甲高い大声が響く。
「帰りますわ!! こんなに頑固で物わかりの悪い方、せいぜい一人で貧しさに苦しめばいいんですわ!!」
裾をひるがえす勢いで少女は踵を返し、馬車に戻る。集まっていた使用人達が慌てて道をあけ、「それがいいですよ」と夫達が追従する。
馬車に乗り込む直前、少女はくるりと紅霞をふりかえった。
「あなたの言い分はよくわかりましたわ、紅霞。おっしゃるとおり、せいぜい苦労して借りを返してくださいませ。今月の支払いは、まだと聞いておりますわ」
「いつも月末に払っているだろ。今は月の半ばだ」
使用人達にとりおさえられながらも、紅霞はふてぶてしさを失わずに応じる。
少女は、むっ、としたかもしれない。「乳母や」と年かさの侍女を呼んだ。
細い指が、玄関近くに植わった、緑の葉を茂らせた柳の木をさす。
「あの木。目障りですわ。切ってくださいな」
「はい、姫様。ただ今」
侍女が『いかにも乳母』という、にこにこした様子で姫様の指示に応じる。
紅霞の声音が変わった。
「やめろ!!」
乳母は怒鳴る紅霞の前でこれ見よがしに片腕をあげ、木へと手をかざす。
透子は、乳母の手から星のように小さな光が四つ、飛び出したのを視認した。
すると柳の木が一枝、すぱっと切れて地面に落ちる。
透子は息を呑む。
(誰も触れていないのに、枝が…………あの光が《四気神》?)
光は何度も木に襲いかかり、そのたびにすぱっ、すぱっ、と枝が落ちていく。
「やめろ!! それは翠柳の…………!!」
紅霞の声が聞こえる。
透子は悟った。
あの乳母が一息に木を切ってしまわないのは、大事な姫様を傷つけた紅霞への罰、見せしめなのだ。使用人達に拘束されて動けない紅霞の前で、あえてじわじわと枝を落とし、より深く紅霞の心が傷つくように仕向けている。
(紅霞さん…………っ)
ひどい、と思った。
今すぐ飛び出したい、とも。
だが。
(絶対、駄目…………!)
透子は声をあげそうになる口を必死に手で押さえ、飛び出したい衝動を堪える。
(今、私が出て行ったら…………状況が悪化する!)
花麗が紅霞に執着しているのは明らかだ。
その花麗の前に、紅霞の家から透子が飛び出して来たら。
自分の求愛をはねつけた恋しい男が、自分の知らない女を家に入れている、と知れば。
透子でなくとも、神経を逆なでされるはずだ。
紅霞もそれを察したからこそ、透子に『隠れろ』と指示したのだ。
(今は我慢するしかない…………紅霞さん…………っ)
少女漫画の十代のヒロインだったら、「やめてー!」と叫びながら両腕をひろげて、紅霞か、あの木の前に飛び出してかばう場面に違いない。
けれど透子は肉体は二十歳でも、中身は三十歳だ。
後先考えずに飛び出すような愚はおかせない。
透子は必死に、体内で暴れる腹立たしさと己に対する不甲斐なさに耐えた。
「翠柳…………っ!!」
しぼり出すような呻きが耳に届き、ほぼ同時に、ひときわ大きな葉擦れの音が響く。
「さ。これですっきりされましたでしょう、姫様」
「そうね、こんなものね」
乳母のにこにこした声に、少女の声も晴れやかに応じる。
「さあ、行きましょう。湖で朱門様がお待ちよ」
少女は馬車に乗り込み、御者が手綱を操って、馬が動き出す。
「ごきげんよう、紅霞。また日を改めてうかがいますわ。それと、この怪我も貸しに加算しておきます。気が変わったら、いつでもいらして」
最後にそんな言葉を残して、使用人達に囲まれた馬車の列がぞろぞろ去っていく。
うなだれた紅霞の表情は透子からは見えなかったが、列が充分に離れたのを見計らって、彼を拘束していた使用人達も腕を解いて去っていく。
玄関の前に紅霞だけがとり残された。
透子は木箱から飛び降りる。
長い裾をつまみあげて廊下を走り、玄関を飛び出した。
「紅霞さん!!」
紅霞は呆然と、いや悄然と肩を落として、切り倒された木のそばに立っていた。
長身なのに、切り株を見おろすうしろ姿はとても頼りない。
「紅霞さん…………」
透子はかける言葉が見つからない。
ぼそぼそと、紅霞は切り株を見おろしたまま、独り言のようにしゃべった。
「翠柳の…………あいつとの結婚の記念に植えた木だった。名前のとおり、緑の柳のような…………しなやかで青くさい…………そのくせなかなか折れない、頑固な…………あいつにぴったりの木だと思ったから…………」
紅霞の足もとに、緑の細長い葉をつけた枝が何本も転がっている。
「男と女の結婚式は派手にやる。正夫でなくても宴を催すし、庶民の家でも酒と肴は用意して、夜遅くまで盛りあがる。けど、俺達みたいな男同士でそういうことをするのは、稀だ。式は周囲に『結婚した』と知らしめるために行うものだ。籍を入れない男同士の結婚は、知らせる必要がない。なにより、天にも法にも認められない。だから式は行わない。…………行えない。でも、それだと寂しいから」
にぎりしめた紅霞の拳がふるえる。
「なにか、証になるものが欲しかった。だから、この木を植えた。誰も知らなくても、俺達がたしかに『一生、二人でいる』と誓い合った、その証に。この木はずっと伸びていた。翠柳がこの家からいなくなってからも、ずっと。だから俺は絶対に、この柳だけは折ったり枯らしたりしないと…………」
透子は聞いていられなかった。
裾をひるがえして室内に戻る。そして廊下を走って目当ての物を探し出し、ひっつかむと、紅霞のもとに駆け戻った。
「接ぎ木しましょう!!」
「…………あ?」
「木を起こしてください! 見たところ、切り口はとてもきれいに切られています! これなら、早く接ぎ木すればくっつくかも…………!」
紅霞が、はっ、とした表情になる。
透子は両腕に抱えた、雑巾にするためのぼろ布と細めの薪を地面に置き、手にとった一枚を細長く破く。
「その幹を持ってください。切り口を元通りにくっつけて…………」
「わかった」
紅霞が倒れていた幹を持ちあげる。幸い、柳の木はまだ細く、紅霞一人でも持つのに支障はなかった。切り口を切り株に近づける。
「そのまま固定していてください」
透子は切り口と切り株がぴたりと合ったのを確認して、薪を添え木がわりに、くるくるとぼろ布を巻いていく。
不安だったので場所を交替し、紅霞が男の力でしっかり布を結んだ。
同じ要領で他の枝も添え木していく。
「ひとまず、これで様子をみましょう」
「…………ああ」
透子の言葉に、紅霞はまぶしそうな表情で、ふたたび立ちあがった柳の木を見あげた。
「…………お昼にしましょうか。なにか作ります」
二人で家の中に戻る。




