1
晴れ渡った初夏の空。白いチャペル。家族や友人達の祝福。
純白のベールとドレスをまとい、白いタキシードを着た愛する男性の隣に立って。
水瀬透子は人生最高の日を迎えるはずだった。
ただ一人の乱入者さえいなければ。
「謙人!!」
高い天井に甲高い女の声が響く。
今日の新郎、透子の夫である工藤謙人がふりむく。
「愛美!?」
透子はむろん、チャペル内の参列者全員の注目を集める中、現れた女はヴァージンロードを駆け抜け、花嫁の前で新郎にしがみついた。隅で進行を見守っていたウェディングプランナーが制止する間もない。
「愛しているわ、謙人!! 結婚なんかしないで! あなたと結婚できないなら、あたし、死ぬから!!」
乱入者の女は潤んだ瞳で新郎を、透子の夫を見あげた。
「ええ!?」「どういうことだ!?」と参列席からどよめきがあがる。「ちょっと、あなた…………!」とウェディングプランナーもいそいで駆け寄る。
透子もあ然としていた。
とんでもないアクシデントだ。
けれど、この時点ではまだ「カバーできるトラブルだ」と信じて、落ち着きは失っていなかった。
「すまない、愛美」
新郎が、謙人が体ごと女に向きあう。
透子は信じていた。この時まで。
謙人は――――自分の夫は、自分を裏切らないと――――
「君が…………こんなにも俺を愛していたなんて――――」
「謙人?」
謙人の声と表情ににじむ喜びに、透子は違和感を覚える。
「全然、わからなかった。てっきり、君はあのモデルか、サークルの男と付き合っているとばかり――――」
「タクもヒロトも、ただの友達よ! あたしが愛しているのは、あなたよ! お願い謙人、他の女と結婚なんて、やめて!! あたしと逃げて!!」
「愛美――――!!」
謙人は抱きしめた。『愛美』と呼ぶ、若い女を。
「謙人!?」
「謙人君!?」「工藤さん!?」
透子は目を丸くし、参列者達も口々に驚愕の声をあげる。
謙人はしっかりと愛美を抱きしめたまま、顔だけ透子にむけた。
「悪い、透子。お前とは結婚できない。俺が愛しているのは愛美なんだ。お前とは結婚できない。俺が愛しているのは、お前じゃないんだ」
「謙人…………!!」
喜びに潤んだ瞳で、愛美が謙人の腕の中から彼を見あげる。
透子はなにが起きているのか理解できなかった。
透子の目の前で、透子の夫のはずの男が、透子の知らない女を抱きしめ、透子以外の女を『愛している』と言う。
「謙人君!! いったいこれは、どういう…………!!」
「いったん、その方は外に…………!」
参列席から透子の父が立ちあがり、ウェディングプランナーも乱入者を新郎から引き離そうとする。参列者達も顔を見合わせ、一秒ごとにざわめきが大きくなっていく。
謙人は愛美を見た。
「行くぞ、愛美。俺について来い」
「ええ、謙人。世界の果てまでついていくわ。あたし達、永遠に一緒よ」
謙人は透子に背をむけ、愛美の肩を抱いたままチャペルの大扉へと歩き出す。
「待って、謙人! どういうこと…………!?」
とっさに透子が伸ばした白い手袋の手は、ぱしっ、と乱入者に払われた。
「触らないで! 謙人はあたしのものよ! 謙人が愛しているのは、あたしなんだから!! 三十のババァのくせに、二度と謙人に近づかないで!!」
愛美は、ぐい、と手を引く。透子の手を払った際に、偶然だが彼女のベールの端に長い爪を引っかけていたのだ。
「あっ…………!」
愛美はそのまま手を引いて、透子のセットされた頭から白いベールと、パールの並んだティアラを奪う。痛みに声をあげた透子にかまわず、花嫁のものであるそれを無造作に自分の頭に載せると、「行きましょ」と謙人をうながして二人で走り出した。
「ドラマみたい! こういう風に、結婚式から好きな人と逃げ出すの、憧れてたの!! 愛してるわ、謙人!! 最高!!」
「俺もだ、愛美! 愛している!!」
悲鳴のような驚愕の声が、参列者達の中からあがる。焦りや非難の声にも、野次馬根性丸出しの黄色い歓声にも聞こえる声だ。
新郎と乱入者はなんの迷いもなくチャペルを飛び出し、二人の世界へと走り去っていく。どちらの顔も、望んだ愛を得た幸福と明日への期待に輝やいている。
愛美がかぶっていた透子のベールはふわりと、チャペルの外の石畳に捨てられて残った。
「どういうこと?」「どうなっているんだ!!」「工藤さん、まさか…………」
参列者達の声がチャペル内に響く。
一部は二人を追ってチャペルを飛び出したが、間一髪で、愛美が待たせていたタクシーに乗り込まれて終わった。
ベールを失い、セットの乱れた髪で、透子は呆然とその場にたたずむ。
息苦しい。ドレスが重くて動けない。
「透子! しっかりしなさい、透子!!」
姉の凜子が透子の肩をつかんで呼ぶが、その感触がとても遠い。
「透子!?」
透子は生まれて初めて『気が遠くなる』という経験を味わい、その場に倒れた。
水瀬透子は信じていた。
今日が人生最高の一日になることを。
自分達が幸せになれることを。
夫となった人が自分を愛してくれていて、けして自分を裏切らないことを。
この時までは。
信じていたのだ――――