尽未来際不飽の柔餅
ーーーーー極月の晦。
風神の過ぎた戯れの影響はこの人間界にも及んだのか、風は燦々と人の群れを包む太陽とは裏腹の動きであった。この時期に羽目を外すのは人間だけではないのだな、と微笑ましく思いながら正月の買い出しを済ませ、自宅に戻ったことまでは鮮明な記憶の内にある。その後、Lサイズのピザを二人で数枚片付けつつ酒を飲んでいたのだがーーー。
目覚めると、俺は昨日の格好のままソファに寝かされていた。眼球のみを左へ移せば、ローテーブルに散乱していた酒瓶や空缶、ピザの箱はさっぱりとなくなっている。アルコールと肉の脂の混じった鼻をつく臭いの代わりに、台所から出汁のやさしい香りが鼻腔を通り越して胃袋に飛び込んで来た。未だ少し胸焼けの残る身体には味見をせずとも沁み渡るようだ。しかし可能ならば実食してみたい。そのような生理欲求に駆られ、視界を右に移してみる。オーバーサイズの長袖シャツにジャージの半ズボン姿で鍋に向かって背中を丸める人形があった。Tだ。ぱちぱち。ぱた。眠そうに瞼を二度、三度、瞬かせている。お玉を持つ右手ではなく、明後日の方向を向いているあたり、彼の方も完全に酒が抜けてはいないのだろう。自分の酔いも醒めないうちから俺を背中の痛くならないように寝かせてくれた上、片付けまで一人でさせてしまったようで、申し訳なさと感謝の意を感じずにはいられなかった。食欲と昨夜の礼のため、ゆっくりと身体を起こすとTの方へと歩いていく。頸の肉とズボン越しでもくっきりしている円い尻を目にした。状況が状況であるが故、不躾なのは重々承知している。ーーーのだが、途端に恋しくなって、背中から彼を抱き締めていた。
「ぬぁ、ノワールさん。おはようございます」
「おはよう」
「んふふ。朝からびっくりしたじゃないですか」
「昨日はすまないことをしてしまったな。毛布まで掛けてもらって…」
「いえいえ。全然構いませんよ」
「おまえだって、まだ酒は抜けていないんだろう」
「あー……はい、まぁ…、そうなりますかねぇ」
「本当にすまない。その、礼と言ってはまた厚かましいかもしれないんだが……」
「いやいや、何でしょう」
「おまえの味噌汁、嫌でなければ俺にも飲ませてくれないか」
「もちろんです。というか、これはノワールさんに召し上がってもらおうと思って作ってみたんですよ」
「俺に?この味噌汁、酔い醒ましにおまえが飲もうとしてたんじゃないのか」
「ノワールさん。これはお味噌汁ではないんですよ。ここにお餅を入れて食べる「お雑煮」という食べ物なんです」
「……人間界にはこんな食べ物もあったのか。正月の食べ物として鏡餅の存在は知っていたが、これは初めてだ」
「あらあら、博識なノワールさんが珍しい」
「煩い。おまえの鏡餅を食ってほしいのか」
豊満な尻と腹に手を伸ばすと、肩を竦めて擽ったがった。
「ひぅっ?!や、やめてください新年早々…!」
「あ、新年。そうだ、今日は元日か…」
酔っ払って眠っているうちに年が明けていたのだ。会話をしていて気付くだろうに、それが出来なかったあたりまだ酔っている。
「はい。遅ればせながら、明けましておめでとうございます」
「おめでとう」
「昨年はまさか人外の彼氏ができるとは思ってもみませんでした。それも悍ましい生き物ではなく、こんな美形の人外に出逢えたんですからねぇ。思いがけず果報な年になりました。いつもたくさん可愛がってくださってありがとうございます。今年もよろしくお願いします」
変わらぬ柔和な笑みで、俺には勿体ないほどの言葉を貰ってしまったかもしれない。魔界から来た俺を受け入れ、信じてくれた人間がくれた言葉の価値は実に高尚なるものなのだ。人間を信じるのにあまり気の進まない俺だが、彼の言葉に正直な気持ちで向き合う意思を呼び起こされた。
「……俺は。俺は、いつまでこの世界に居られるかはわからない。急に元の世界に帰れと言われるかもしれない。それでも、俺はおまえと一緒に居たいと思った。人間の世界でも、俺が居た世界でも。今年もおまえと共に時を過ごすことを許してくれるか」
我ながら些か重いことを言ってしまったかもしれない。そう後悔の念を抱いた折だった。
「……水臭いこと言わないでください。貴方がいなくなったら、誰が僕を可愛がってくれるんですか」
とても嬉しいことを言われているはずなのだが、感動と共に何故かよからぬ感情が沸いてくる。ーーーー頬を桃色に染めて恥じらいながら上目遣いをする。据え膳だ。それを食わぬは恥でしかない。
「すまん。雑煮、後で温め直して二人で食おう」
撫でるだけでは済まず美味そうな尻肉を鷲掴みにすると、Tから雌の顔が覗く。
「え、あの、な……ひっ、ン…!こんな、とこでッ……!」
「さっきのは誘い受、と見做して間違いなさそうだな。雑煮より先に丸ごと食いたい餅がある」
服越しに尻の谷間に熱くなった陽物を押し付ける。そろそろ抵抗が出来なくなる筈だ。
「あ、にゃっ…!ばか、ぁ…っ…!」
「台所でこういうことをする。実はやってみたかったことの一つでな。新年早々夢が叶って目出度い」
* * *
Tが折角作ってくれた雑煮を食べたのは、結局時計の天辺を一時間過ぎてからだった。朝食が昼食になってしまったが、偶の休みぐらい二人でだらだらと過ごすのも美しい幸せの一欠片だ。そうして食後はベッドルームに戻り、今から共に昼寝をする。ウトウトと目を閉じかかっている眼前の恋人の頬をぷに、と指先で摘んでみた。砂糖醤油の丸餅だった。