二人の海
うっすら目を開くと、海の青が見えた。
降り注ぐ光芒が、水泡に反射して、宝石のように煌めきながら昇っていく。
手に力が入らない………。
呼吸も出来ない………。
足も、指ですら一ミリも動かせない………。
………なのに、体は楽だった。
(………ああ、これが「死」か)
上手く動かない頭で、そう考えた。だけど何故か、恐怖を感じない。ただ、自分の「死」を体が受け入れているかのようだった。
人は決して住むことの出来ない、死の青の中で、孤独に死ぬ。
寂しくはない。………ただ、後悔だけがあった。
(せめて、………一言だけでも、言いたかった………。)
それは、もう叶うことの無い願い。もう二度と………。
開いた目を閉じる。忍び寄る死に、身を委ねる。
「………。」
聞こえるはずの無い、声がする。
「………!」
幻聴ではない、あの人の声。
再び目を開けると、一つの見覚えのある影が見えた。
影は近づき、私の体を抱く。口の中に息が吹き込まれ、少しだけ意識がはっきりする。私を抱いたまま、影は海面へ昇っていく。
海面から、私達は顔を出した。
詰まっていた息を吐き出し、私は激しく咳き込んだ。そして、彼の匂いが鼻に付いた。
顔を上げると、涙を浮かべた彼がいた。
何か言わないといけないと思い、口を開きかけた時、
「良かった………っ、本当に………、良かった………!」
私は、彼の腕の中にいた………。
一章
静岡県のとある高校に、私「沢瀬海琴」は通っている。
静岡県の特色の茶畑、田んぼ、畑、ちらほらと住宅が立ち並ぶ、ありふれた市に私は住んでいる。だから、私は卒業後早々にこの市を出ると考えていた。
そして、こんな市に移り住む人は変り者だと思ってた。だけど私は………、
そんな変り者(偏見)に、恋をした………。
「沖野哲です。親の都合で、東京から転校してきました。これから、よろしくお願いします。」
私は、思ってた以上に語彙力が乏しいらしい。彼を言い表す、的確な言葉が分からなく、もどかしい。
言うなれば、彼は私の理想の彼氏像そのものだ。
背は一七〇センチ前半、穏やかな目、軽い微笑みが似合う口、痩せているのに、全く頼りなさを感じさせない………。ああもうっ、本当に何て言えばいいのか分からないっ!
………紛れもない、一目惚れだった。
「…じゃあ、沖野君は沢瀬さんの隣に座ってね。」
「はい」
(えっ?!)
私は一番後ろの、窓側の席だ。その隣は元々、誰も座ってない机と椅子があった。その席に、彼が向かう。目が合ったその時、私の顔を見て、一瞬だけ驚いた顔をした。他の人は、全く気付かないほどの刹那の反応だけど、私は目を合わせていたから気付いた。その一瞬が気になったけど、沖野君は既に穏やかな笑顔を浮かべていた。
沖野君が席に座った時に、
「沢瀬さん、沖野君に色々教えてあげてね。」
見計らったように任された。
「は、はい!」
私は慌てて答えた。そっと隣を見ると、
「沢瀬さん、よろしく。」
「う、うんっ。よろしくねっ!」
「じゃあ、明日も頼むよ。」
気になってた人と一緒になれることに、私は緊張し続けていた。
「あ、うん。また明日ね。」
何とか返事を返す。こんなに緊張したのは、高校の面接以来だと思う。そんな私に気付いていないのか、沖野君はそのまま教室を出て、下校した。
(はぁ………。)
緊張の糸が切れたのか、私は机に突っ伏した。それでも、心が満たされているようで、幸せだと思った。
その後、私は先生から呼び出されて、書類の整理を手伝わされた。気付けば六時半を回っていた。
サッカー部や野球部の掛け声を背に、私は校門を出て下校した。
薄く夕日が差す。辺り一面をオレンジと紺で染め上げるこの時間が、気に入っている。確か、黄昏時と習った。この世ならざるものと出会う時間、昼でも夜でもない時間。
幻想的な夕焼けを浴びながら、帰り道を歩いた。
そこは、帰路の途中にある丘だった。
丘の頂上には、影が一つあった。夕日に向かって座っている、影。普通は分からないはずなのに、私には、それが誰なのかが分かった。
「沖野君………?」
影が振り返る。あの端整な顔が、軽い驚きを見せる。
「沢瀬………さん?」
暫く私達は、向き合ったまま固まっていた。硬直からいち早く脱却したのは、沖野君の方だった。
「………こっち、来なよ………。隣、空いてるし………。」
突然の誘い(は、言い過ぎかな?)に私は、
「………うんっ、ありがとう。」
いつの間にか弛んでいた頬をそのままに、丘を登った。
「静岡って、東京より住みやすいな………。」
沖野君の声は、囁くようだった。だけど、私ははっきりと聞き取った。
「え?東京の方が便利だし、住みやすいんじゃないの?」
私の疑問は、ある意味当然とも言える。憧れていた都会生活よりも、田舎での生活の方が住みやすいとは、到底考えられない。
「いや、東京は何というか、毎日仕事のように慌ただしかったんだ。静岡は、時間の流れがゆっくりと感じられる。のんびりと出来る場所なんて、貴重だと思うよ。」
………知らなかった。東京には東京の大変さがあるんだ。
「………沖野君ってさ、何かのんびり屋さんなんだね。」
「かもね。正直忙しいのは苦手だな。」
二人して、クスクスと笑い合う。そして思う。この人の隣で、ずっと………。
「………あの、沢瀬さん?」
「ふぇっ?!な、何?」
「どうした?俺の顔に何か付いてたか?」
どうやら、沖野君の顔をじっと見ていたらしい。
「い、いいいやっ何でもないよっ。」
「?………そうか。」
落ち着きを取り戻すために、深呼吸をする。
「ああ、沢瀬さん。」
「何?」
沖野君から、話し掛けられた。よく考えたら、沖野君から話し掛けられたことは、これが初めてだ(今日、転校して来たから当然だが)。
「ふと思ったんだけどね。」
「う、うん。」
「俺の呼び方、名前で呼んでほしいな。」
「えっ?」
「何となく、「沖野君」だと距離が感じるし、もっと沢瀬さんのこと、知りたいし………。」
暫く私は、固まってしまった。そして、
「………ふふっ。」
「えっ?何で笑うの?」
「………ごめんね、何か私も違和感あったんだ。」
そう、「沖野君」だと何とも言えない違和感があった。
「じゃあ、「哲君」。これでいい?」
そう言いながら微笑みかけると、急にそっぽを向かれた。その頬は、夕日の中でも分かるほど赤くなっている。
「ヤバい………、沢瀬さん可愛すぎるよ………。」
その一言に、今度は私の頬が熱くなった。わざと仕掛けたのに、逆にカウンターを喰らったようだ。
「それ、反則………。」
私もそっぽを向いた。恥ずかしさのあまり、逃げ出したくなる。
「人の事、言えるのかよ………。」
哲君のこぼした一言は、風に飛ばされそうなほど小さな声だった。
「………じゃあ、私の事も名前で呼んでほしいな。」
五分ほど時間が立ったとき、私は哲君に話し掛けた。
「………いいのか?」
「うん、哲君だけ名前で私は名字って、おかしくないかな?私も、名前で呼んでくれれば、……もっと……哲君の事………。」
だんだん小さくなった声。言っている内に恥ずかしくなった。
「じゃあ、海琴さん。」
「………。」
何かまだしっくりこないから、首を傾げる。哲君もそう思ったのか、
「じゃあ、海琴。これならどうかな?」
その瞬間、パズルのピースが当てはまるような感覚がした。
「うんっ。そう呼んでね!」
満面の笑みで答えた。何気無く腕時計を見たのは、その時だった。
「七時半?!」
気付けば夕日はとっぷり沈み、星が煌めいている。
「嘘?!悪い、引き止めちゃって。」
「ううん、大丈夫だよ。それじゃ、またね。」
私は、急いで丘を駆け降りた。
「ああ、気を付けてな。」
私はすっかり暗くなった夜道を走った。心の中は温かく感じた。
家に帰って早々、お母さんに叱られた。当然だ。七時を過ぎても、何の連絡も無かったのだから。
いつもの私なら、気分は地を這っていたはずだけど、今日の私は違った。お母さんの叱る声も、どこ吹く風のように聞き流していた。一応形だけ謝っておき(適当に謝った時はその態度を注意され、かれこれ一時間以上叱られた)、さっさと風呂に入った。
湯船に浸かり、あの丘の出来事を思い返すと、自然と笑みが浮かぶ。
(幸せ………だなぁ………。)
再び頬が弛む。浴室の中で、私は幸せに浸っていた。
その時の私は、気付かなかった。否、気付かされなかった。
彼、哲君は私と話している間、ずっと悲しみの含んだ顔をしていたことを………。その事が後に、私達の関係を大きく変えてしまうことを、私は知る余地もなかった………。
二章
「………でね、沖野君とすっごく楽しかったんだよ!」
翌日の昼休み、私は友人の「設楽悠奈」と、「杉山美春」に、昨日の出来事を話した。
「あの沖野君と夕日かぁ………。」
「絶対合うに決まってるじゃん。いいなぁ、あたしも行ってもいい、海琴?」
悠奈は私達のリーダー的存在。毎日ポニーテールで髪を縛っている、体育系女子だ。
一方美春は、眼鏡を掛けた見た目通りの文系女子。おっとりとしている反面、ロマンチックでもある。
「え~、私達だけの場所にしたいよ~。」
「そんなこと言わずにさ~。」
「そうそう。」
彼女達とは、一年生の頃から仲がいい。きっかけは、名字の頭文字が並んでいたから。ただそれだけでずっと仲良くなれるのだから、縁とは不思議なものだ。
ちなみに、彼女達は彼氏持ち。つまり、私だけフリーだから、彼女達は何かと、私を男子と仲良くさせようとする。
「でも、海琴から仲良くしたいっていう男子が見つかるなんてね。」
「確かに。あたしたちがいくら頑張っても、『何かが違う。』なんて言って、結局全部断ったもんね~。」
「うっ、その節はどうも………。」
「いや、海琴が『この人だ』ていう男子を見つけてくれたから、私達は安心したんだよ。」
「………ありがとう、二人とも。」
何かと気にしてくれた二人。持つものはやっぱり友だ。
「それじゃあ、沖野君のどこが好きになったの?海琴の惚気話、聞かせてよっ。」
いきなり、野次馬根性丸出しで聞く美春。男気がさっぱり無かった私の恋は、美春の格好の獲物だ。こんな反応ばかり見ているからか、私の中での「おっとり」のイメージが崩れていた。
「ええぇー?!」
「おっ、いいね。私にも聞かせてよ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!私はまだ、哲君に気持ちを伝えてないのっ。焦らせないでよっ!。」
「ん?………哲君?」
「海琴、あんた沖野君のこと、哲君って呼んでるの?」
………しまった、つい二人の時の呼び方をしてしまった。
「え、えっとね………。」
慌てて話を反らそうとするも、後の祭り。美春が食いついてきた。
「ってことは~。私達がいないところだと、二人っきりで~。」
「うわぁぁぁぁっ!止めて止めて止めて~っ!!」
「おおっ、その反応は間違ってなさそうだね。」
「悠奈も止めてよっ!」
美春の目が光った気がする。この後はおそらく、自作物語を作るだろう。美春の趣味は、自分の妄想で物語を作ること。絶対に止めさせないと、私の恥ずかしい(彼女達にとっては面白い)妄想物語を披露するだろう。
「例えば、夕日の丘の上。たった二人だけの空間の中で、お互いに向き合って………。」
「駄目ーーっ!」
「ちょっと、海琴の恋物語の邪魔しないでよ~。」
「何がラブストーリーよっ!もう止め、ふぐっ?!」
悠奈に後ろから、口を塞がれた。体育系女子の悠奈の力は、男子にも引けをとらない。何のトレーニングもしていない私では、到底敵いはしない。
ふがもぐと訳の分からない言葉しか出ない。
見計らったように美春は、物語を語り続ける。
「夕日の中、もうお互いの事しか考えられない。『海琴………。』彼の口からこぼれる私の名前。徐々に近づくお互いの顔………。」
「ふぐ~~っ!」
今すぐに、止めてほしい。しかも、何故か美春の物語は、私の頭の中だけで思い描いたシチュエーションそのもの。必死に無謀な抵抗を続ける。
「自分の頬に手が触れ、近づく哲君の顔に、海琴は目を閉じる。もうすぐ触れそうになる唇………。触れる直前、『海琴、愛してる。』顔の前で囁かれた。」
「うわぁ~、いいねぇ~。」
どこが良いのよ?!もう止めてよっ!
私の願いも虚しく、美春は物語を続ける。
「(あぁ、この言葉が欲しかった………。)海琴はもう、何も考えられなくなり、近づく哲君の顔を………。」
お願い、もう止めて………。
ヤバい、だんだん涙が滲んできた。その時だった。
「俺の顔が、何だって?」
「うひゃぁっ?!」
「お、沖野君っ?!」
美春の後ろから、哲君が話し掛けた。
「う、ううん。何でもないよっ。気にしないでねっ。」
「?、そうか。まぁいいけど、海琴泣いてるよ。」
その時、初めて気付いたかのように、悠奈は手を離し、二人して謝った。
「ご、ごめん。楽しくなっちゃって、ついやっちゃった。」
「あたしもごめんね、からかいが過ぎちゃった。」
私は、滲んだ涙を拭いて、二人を許した。
その後、丁度良く昼休みの予鈴が鳴り、そのままお開きとなった。哲君は、元に戻った私達を見て、一安心したようだった。
その後、哲君は私の元へ近付き、
「それじゃあ海琴、帰りにな。」
そう言って、席に戻っていった。
周りで悠奈達が、懲りずに囃し立てていたが、私はそれを理解していなかった。正確には、耳に入ってはいたが、頭で理解をしなかった。
私はただ、哲君の言葉を頭の中で反芻していた。
下校時刻、哲君は校門近くで待っていてくれた。
小説を片手に、夕日に照らされながら桜の木に寄り掛かっている姿は、ドラマのワンシーンのようだった。そして、その光景に私は、何故か胸が痛んだ。
哲君は、誰とでも仲良くしている。同級生は勿論、上級生や下級生とも仲がいいと評判だ。そして、女子も同様だった。
唯一のハンデは、女子は全員名字で呼んでいること。確かなハンデだけど、いつでも覆すことの出来るものでもあった。
「………っ!」
私は慌てて頭を振った。こんな思いをして、いいことがあった試しがない。そう思って私は、軽く息を吸ってから、
「お待たせ。待たせちゃった?」
「海琴、大丈夫だよ。」
私達の光景は、恋人同士のように見えると思う。私は、顔を赤くして哲君と下校した。
「哲君。」
「何?」
「昼休みの時の事だけど、ありがとう。」
「ああ、その事?何言ってるんだよ。」
「えっ?」
「泣いている女子がいたら、助けることは当然だろう?それが、一番仲が良い海琴なら、尚更だよ。」
一気に顔が熱くなった。それなのに哲君は、私の異状を全く気付かなかった。
………もしかして、哲君は鈍感なのかな?
そして、針で刺されたように胸が痛んだ。私達の関係は、まだ「一番仲が良い」止りなのか………。
その日、私達はそれぞれの趣味の話で盛り上がりながら、夕日の道を帰った。
それから、一ヶ月がたった。私達は、毎日のように一緒に下校していた。
私達の光景は、もう恋人同士の会話そのものだった。現に、私に声を掛けた他クラスの人は、
「二人とも、付き合ってるよね?」
と、ほとんど確定的な問い掛けをしてくる。
………私達はまだ、付き合っていない。
私は付き合いたいけど、哲君に拒否されて、今の関係が崩れ去ってしまうと思うと、どうしても一歩が踏み出せない。
………私はただ、哲君の近くにずっといたい。その思いを胸に秘め、私は哲君と下校している。
三章
私達の関係が変わり始めたのは、修学旅行前の事だった。
私達の高校は、受験シーズンと重ならないようにするため、六月下旬に行くことになっている。行き先は、北九州。長崎・福岡県を巡る。
………はっきり言って、楽しくは無さそうだと思った。今では、全く違うけど。
「へぇ、軍艦島のクルーズがあるのか。」
「哲君、軍艦島に興味あるの?」
今では人前でも、普通に『哲君』と呼んでいる。まさに恋人同士の呼び方となっているが、まだ付き合っていない。悠奈達から、
『いい加減付き合えば?』
なんて言われる。
(………本当のところ、哲君はどう思っているのかな?迷惑だなんて思ってないのかな?)
いつの間にか、哲君が彼女をつくってしまうような気がして、私は変に焦っていた。
「うん、少しね。」
「あんまり軍艦島について知らないけど、何で『軍艦』なのかな?」
「俺も詳しくは知らないけど、島そのものの形が軍艦に似ているからなんだって。」
「ああ、何となく分かるかも。」
そんな話をしながら私達は、軍艦島についてスマホで調べた。
「ん?軍艦島って東京よりも人口密度高かったらしいよ。」
「へぇ、今も?」
「いやいや、今は閉山して無人島だって。」
「あっ、そうだった。」
「…あの~二人とも。」
急に話し掛けられ、私達は声のする方に振り返った。そこでは、気まずそうな悠奈と美春が、微妙な顔をしていた。二人には無理を言って、自分の班に引き込んだことを今思い出した。
「私達のこと、忘れてない?」
「邪魔だったら、私達別の班に行くけど…。」
「ごめんっ!忘れてた。」
「「やっぱり………。」」
顔の前で手を合わせ、頭を下げる。
「いや、邪魔なんかじゃないよ。君達も話に入ってくれ。」
「沖野君………。」
美春が目を輝かせている。
「流石、大人だね~。」
悠奈は素直に褒めている。
「ねぇ沖野君。旅行中のホテルで、沖野君の部屋お邪魔してもいい?二人っきりでね………。」
美春が怪しげな声で誘う。何となく、嫌な予感がしたから、私は思わず、
「駄目ぇぇぇぇっ!!!」
教室いっぱいに私の声が響いた………。案の定、
「沢瀬さん、大声は駄目ですよ。というより、何が『駄目』何ですか?」
「あ、いえ、何でもないです………。」
呆れ顔の二人と微笑む一人の視線が、私の背中に突き刺さった気がした。
「にしても、海琴の『駄目ぇぇぇぇっ!』は驚いたよ。」
帰り道、哲君は私の予期せぬ醜態をからかった。
「もうっ!それ忘れてよ………。」
私は頬を膨らませて、そっぽを向いた。私は必死に拗ねているアピールをしても、
「だって、可愛かったから仕方無いだろ?」
「っ!!!」
この言葉で顔が熱くなる。なんてお手軽な人間なんだろう。
それから私達は、一言も話さなかった。何となく、話しにくい空気が漂っていた。
「なあ、海琴。」
しばらくすると、哲君が口を開いた。
「な、何?」
何だか、深刻な話をしそうな顔。だから、私は黙っていると、
「………いや、やっぱ何でもない。」
「へっ?」
「ごめん、まだ話せないから。」
「えっ、哲君?どういう事なの?」
訳が分からない。一体どういう事なのか、私にはさっぱりだ。
「本当に………ごめん。」
だけど、話しにくい事なのは分かっている。
「………無理に話さなくても良いよ。」
「えっ?」
「哲君が話しにくい話なら、大丈夫になった時に話して。私は、焦らせたりなんかしないから。」
「海琴………。」
哲君が口ごもるなんて、よっぽどの話なんだろう。だから私は、
「私は、待ってるよ。」
(あなたが話せる時まで。)
私は微笑んだ。すると、
「何で、………海琴………。」
泣きそうな哲君の声。目が潤み始めると、
「………ごめんっ!」
「あっ、哲君!?」
哲君はそのまま、走り去ってしまった………。
次の日、哲君は休んだ。
先生曰く、体調不良らしいけど、私は昨日の出来事が原因だと直感した。
「先生、私見に行ってきます。」
「行くって、沖野さんの家?」
「はい。」
先生は、何故か少し考えていた。しばらくすると、溜息を一つ吐いて、
「分かりました。プリントも一緒に、持って行ってください。」
「はい。」
私は、先生からプリントを貰った。そのまま戻ろうとすると、
「………沢瀬さん。」
躊躇いがちな声で、先生は私を呼び止めた。
「何でしょうか?」
「………あまり、沖野さんの家に行かない方がいいかもしれませんよ。沖野さんと特に仲の良い沢瀬さんなら、尚更だと思います。」
「………何故ですか?」
何だか嫌な予感がしたけど、理由を聞いてみた。
「それは、………沖野さんの家庭の事ですから、答えられません。」
「そうですか。」
「………行くのですか?」
「はい。沖野君は私の、大切な………友人です。」
『友人』という単語に、私は胸が小さく痛む気がした。
「………分かりました。気を付けてください。」
先生の言葉に、私は気を引き締めた。
「………はい。失礼しました。」
哲君の家は、普通の一戸建てだった。インターホンを押すと、
『はい。』
どこか幼い女性の声がした。
「あの、沖野君と同じクラスの沢瀬です。」
『………ちょっと待ってください。』
ドアが開くと、小学生位の女の子が顔を出した。
女の子は、私の顔を見て、呆然としていた。微かに開いた口から、小さく声が聞こえる。
「あの………。」
「あっ、沢瀬です。………哲君いますか?」
胸の前で、手を重ねて握っている。初めて会う私に、戸惑っているようだった。
「………お兄ちゃんは、熱を出しているので、今寝てます。」
たどたどしい言葉で、女の子は答えた。
「………そうですか。じゃあ、これを哲君に渡してください。」
私は、手提げから先生から預かったプリントを渡した。すると、
「あれ、………海琴か?」
家の奥から、哲君の声がした。
「哲君っ。」
「お兄ちゃんっ。」
哲君が姿を現した。バジャマ代わりにジャージを着ていた。マスクをしているが、熱が下がっているようだった。すると女の子は、
「お兄ちゃんっ、風邪なんだから寝てなきゃ駄目だよ!」
哲君の背中を押して、家の奥に押し戻した。女の子が戻ってくると、
「すみません………。お兄ちゃんは昨夜風邪を拗らせて、熱が出ちゃったんです。………今朝、ようやく下がったけど、念のため休んでいたんです。………プリント、ありがとうございます。」
「あっ、いえ、大丈夫です。………哲君の両親は、どちらに?」
自分の息子が風邪をひいているなら、心配しているのだろう。そう思って聞くと、大きく目を見開いて、涙を浮かべた。
「………いません。」
「えっ?」
「………お父さんとお母さんは、いないんです。」
そう言うと、女の子は嗚咽をあげて泣き出した。どうしたものかとオロオロしていると、
「………俺達の父さんと母さんは、三年前に死んだんだ。」
また、哲君が来た。
「お兄ちゃんっ!」
涙を流しながら、女の子は哲君を押し戻そうとする。哲君の言葉に私は、驚きを隠せなかった。
「………哲君、どういう事なの?」
「沢瀬さんも、もう帰ってくださいっ!」
女の子は、もう泣き叫んでいた。そして、
「うう、うわあぁぁぁん!!!」
とうとう泣き崩れた。
女の子を家の中に入れるため、私は哲君の家に上がらせてもらった。しばらくすると、女の子は落ち着きを取り戻した。
「ぐすっ………。」
「「大丈夫?」」
「はい。………お兄ちゃん、沢瀬さん、ありがとう。」
「そうか。海琴、こいつは俺の妹の『真愛』だ。俺は、真愛と二人でここに暮らしているんだ。」
「そうなの?………もし良かったら、ご両親の事教えてくれないかな?」
すると、真愛ちゃんは動揺した。
「えっ、でも………。」
「………俺達の両親は、どこにでもいるような普通の親だった。」
「お兄ちゃん、良いの?」
「ああ、海琴は信用できる奴だ。………いずれ話さなきゃいけなかった事だしな。」
哲君の告白に、不謹慎にも私は嬉しくなった。
私を信用してくれている。
それは、ただの友達ではないということだから。
「ありがとう。信用してくれて。」
哲君は、返事の代わりの微笑みを浮かべた。けど、今まで見てきた笑みではなく、切なさを含んでいた。
………胸が締め付けられる気がした。
「………父さんは会社員で、母さんはパート勤めだった。本当に、普通の家庭なんだ。………三年前、父さん達は結婚記念日に今まで貯めていた貯蓄を少し崩して、ハワイ旅行に行ったんだ。俺達は、ある程度大きくなっていたから、俺達を祖父母の家に預けて、二人で旅行に行った………。八月にな。」
「えっ、三年前の八月って確か、大型台風がハワイ諸島に直撃したはず………。まさか!?」
私の頭の中で、最悪のシチュエーションが浮かんだ。三年前、ハワイ諸島に歴史上稀に見る、超大型台風が直撃し、住民や観光客が沢山亡くなった。確か、数千人の人達が被災したはず。その中に、哲君と真愛ちゃんのご両親が………。
「………ああ、多分海琴が想像している通りだ。ハワイ旅行に行った父さん達は、海に流されたという通報があったらしい。………父さんは水泳部に所属していたから、俺は大丈夫だろうと思っていた。その四日後、………父さんと………母さんが………死んだって………連絡が………きたんだっ。」
哲君の目に、涙が滲んでいた。どれ程悲しい事なのか、私には想像出来なかった。
哲君は、嗚咽混じりに話を続けた。
「………その時は、全く実感が無かった。………父さんと母さんの………変わり果てた遺体を見て、………ようやく、死んだって………分かったんだ………!」
きっと、寂しかったんだろう。一番上の兄・姉は、下の弟・妹達に心配させたくなくて、たった一人で気丈に振る舞うものだ。哲君の告白は、真愛ちゃんにとっても初めて聞いたらしく、目を大きくしている。
「………哲君。哲君と真愛ちゃんが一番最初に会った時、二人とも驚いた顔をしているのは、何でなの?」
「………。」
答えにくい話なのかもしれない。二人とも、目を伏せてしまった。
「………実は、」
口を開いたのは、真愛ちゃんだった。
「あなたの顔が、………私達のお母さんと………似ているから………です。」
「えっ?」
まさかの返事に、私は聞き間違えかと思った。
「………ああ、海琴は俺達の母さんの面影があったんだ。」
「………そう、だったんだ。」
納得した。二人とも、私の第一印象は二人の母親だったんだ。
何となく私は、この二人を助けたい、力になりたいと思っていた。
私は少し悩んだ後、
「………ねぇ、いつも二人っきりでご飯食べてるの?」
「うん?………まぁそうだけど………。」
「私もお兄ちゃんも、………一応料理は出来るので、………二人で作って食べてます………。」
「………もし良かったら、私の家にご飯、食べに来てくれないかな?」
「「えっ?」」
「ただいま~。」
「「お、お邪魔します。」」
私はいつも通りに、哲君達はおずおずと私の家に上がった。
奥のキッチンから、お母さんが顔を出した。
「あらあら、いらっしゃい。あなたが哲君かしら?」
「あ、はい。海、いえ沢瀬さんには、いつもお世話になっております。」
お母さんは、ガチガチに緊張している哲君を見て、優しそうに(お母さんのあんな笑顔、見たことない!)笑った。
「良いのよ、そんなにかしこまらなくても。いつもみたいに『海琴』って呼んでくれても構わないわよ。」
「あっ、いえそう言う訳には………。」
「本当に良いのよ。そうじゃないと、皆肩凝っちゃうわよ。それよりも、早く上がってね。海琴、今日は手伝い良いから、しっかりもてなしなさい。」
そう言って、お母さんは奥のキッチンに戻って行った。
「うん、分かった。じゃあ二人とも、とりあえず私の部屋に来て。」
「う、うん………。」
「お、おう………。」
私の部屋は、八畳間の東側の部屋だ。もう一人、弟がいる部屋は、反対側の西部屋。中学二年だから、多分部活でまだ帰って来てない。
「………あんまり綺麗じゃ無いけど、まぁ入って。」
「失礼するよ………。」
「お邪魔します………。」
パステルカラーを基調とした、いかにも女子っぽい部屋。ライトグリーンのベッドに、二人は腰掛けた。
「十分綺麗だと思うけど。」
「うん、良いなぁ。」
「そうかな?………よくお母さんに『片付けなさい!』って言われてるんだけどね。」
「いや、一体どこを片付ける必要があるんだ?」
実は、………もし哲君が家に上がった時に備えて、結構前に片付けていたのです。
だって、片思いの相手に汚い部屋なんて見せられないじゃない。
そんな苦労を知るよしもない哲君達は、しきりに私の部屋を褒めていた。何となく、くすぐったかった。
「ご飯、出来たわよ~。」
他愛ない話で盛り上がった私達を、階下からお母さんが呼んだ。
「あ、はーい。」
そう答えて、
「じゃあ、行こっか。」
「うん。」
「はい。」
哲君達は、優しい笑顔で答えた。兄妹だからか、笑い方もそっくりで、少し羨ましかった。私達は、姉弟だからなのか、あまり似ていない。性別は違うのに、あの綺麗な笑顔がそっくりなのは、私達の姉弟が出来ることではない。そんな、小さな共通点が一つでも、私達にあれば良いのに。
「!!………旨い。」
「………美味しいです!」
哲君達は口々に、お母さんの料理を褒める。いつも食べているお母さんの料理を褒められると、自分の事のように嬉しくなる。
「あらあら、そう言ってもらえると嬉しいわぁ。」
今日は鰆の焼き魚、きんぴらごぼう、油揚げと豆腐の味噌汁と普通の夕食だ。だからこそ、家の味があってホッとする。
「海琴は毎日、こんな旨い料理を食べているんだな。」
「うん、そうだよ。」
そう言いながら、ご飯を口に運ぶ。お母さんの料理がありがたいものだということを、哲君達の話を聞いた後だと余計にそう感じる。
お父さんは残業で、弟は部活でまだ帰って来てなかった。そんな時がここ最近、少しずつ増えてきた。それに伴って、寂しさも感じるようになった。こうなることは、仕方がない。分かっていても、そうあってほしくないと思う気持ちもあった。
今日は哲君達が夕食を食べに来てくれた。
今日であるからこそ、嬉しく感じる。
(………幸せだな。)
笑い声がする食卓。それが幸せであり、尊いものだということを知った。楽しい食卓の中、私は思った。
(………これだけは、悠奈と美春に言えないな。)
その後、哲君は無事に回復し、普通に学校に通うようになった。
この時、学校を中退したいと先生に話していたことは、ずっと後になってから私は知った。その原因の一つが、私であったことも………。
四章
「ねぇ、美春。」
「何?」
「………あの二人、何か距離感が前より近くなってない?」
「確かに………。何かあったのかな?」
「もしかして………、告白したのかな?」
「あっ、あり得る。ってことは、とうとう海琴も彼氏持ちになったんだ!」
「おお~。」
「早速、昼休みに聞こう!」
「根掘り葉掘り、ね?」
クスクスと不気味に笑う、友人二人。
………その時哲君と話してた私は、背筋に寒気を感じた。
「うぅ………。」
いつもの通り、私達は一緒に下校した。
「どうした、海琴?」
「………最近、哲君と話をする機会が増えてるからか、昼休み悠奈達に『もう、付き合っているんでしょ。』何て言われたり、質問攻めだったよ。」
「えっ⁉」
よほど意外なだったのだろう。哲君は目を見開いた。
「………何か疲れた。」
「………なぁ海琴、何て返した?」
「普通の友達だって言ったよ………。」
また、胸が痛む。いや、以前より痛みが強くなっている。きっと、自分の気持ちと比例しているんだ………。
「そうか、………そう、だもんな。」
何故か哲君が落ち込んでいる。
「どうしたの、哲君?」
「お、俺だったら………。」
そう言った途端、顔を手で隠しながら背けた。頬どころか、耳や首筋まで赤くなっている。
「哲………君?」
訝しくなった私は、首を傾げる。
その時、哲君が強く息を吸い込んだ。そして、
「俺だったら、『付き合っている。』って返す!俺は、海琴が好きだからっ!」
………その後の事は、はっきりと覚えていない。
ただ、気が付いたら私は、自室のベッドの上でうつ伏せになっていた。
………頭が働かない。
………何も考えられない。
心臓が、激しく脈打つ。未だかつてない強さで、鼓動を感じる。顔も真っ赤になって熱い。それなのに、何故か心地いい。
夕日の中、哲君と隣り合っていた時のように感じた、あの気持ち。本来あるべきシチュエーションだと思った。
(哲君………てつ、くん………。)
涙が溢れる。歓喜の涙が何か、初めて知った。
………嬉しい、嬉しすぎる。
薄暗い部屋の中、私は一人で泣き笑いを浮かべていた。
翌日、哲君は何故かばつの悪そうな顔をしていた。
「海琴、………昨日は、ごめん。」
「えっ?」
「俺も言おうと思ってなかったんだ。だけど、………このままじゃ後悔するような気がして、………気付いたら、あんなこと口走ってた。………本当にごめん。」
昨日からずっと、嬉しくて仕方がなかった。だけど、
「何で『ごめん』なの?」
「………俺が告白した途端、走って逃げたから、海琴は………迷惑だったと思ったんだ。」
「あっ………。」
そうだった。あの時の私は、嬉しさよりも恥ずかしさが勝って、思わず走り出したんだったっけ………。
「本当にごめん、海琴。俺………。」
「違うの。」
「えっ?」
「あの時は、ただ驚いただけ。本当は、嬉しかったの。」
「………。」
そう、私は嬉しかった。自分の想い人に告白してもらって、たとえそれが意図していないものだったとしても、嬉しかった。
………だから、………だから伝えたい。
「私はっ!」
私の気持ちも。両思いだったと分かったから尚更、伝えたい。
「哲君に告白してもらって、とても嬉しかったの!」
………私達は今、教室にいる。当然、他のクラスメイトもいる。そんな中、私ははっきりと言ってしまった。
「沖野君、とうとう告白したの………。」
「転校して三ヶ月位で告白はスゲェ………。」
………そんな会話が、ちらほらと聞こえてくる。
「「あっ………。」」
((何やってんのよ、バカップル………。))
とでも言いたげな視線が二つほど感じて、私達はいたたまれなくなった………。
「ようやく、海琴も彼氏持ちかぁ~。」
昼休み早々、美春は私達に話し掛けた。
『私達』というのも、今日は哲君も私達のグループに入っているからだ。
ついでにいえば、悠奈の彼氏「落合大地」と、美春の彼氏「川口喬介」もいて、三組のカップルグループになっていた。
「そうそう、やっとだねぇ~。」
「もう~、いい加減からかうの止めてよ。」
私はさっきから、ずっとからかい続けられている。
「まぁそう言うなよ。悠奈はけっこう前から、心配し続けていたんだ。少し位大目に見てやってくれよな。」
大地君は、悠奈と同じく体育系の男子。大人顔負けの筋肉の持ち主だけど大の猫好きという、かなりミスマッチな性格。ちなみに悠奈は、そのギャップに惚れたらしい。
「そうだね、美春もずっと心配してたしね。」
一方喬介君は、美春と同じく文系っぽい男子。『文系っぽい』というのは、外見がそう見えるだけで、本当は理数系男子だからだ。特に化学が得意らしく、学校内で上位五位以内を維持するほどの頭脳を持っている。
美春とは、元々幼馴染だったらしい。ドラマなんかでありがちな恋愛シチュエーションだと思ってたけど、うっかりそれを言ってしまった時は、正直もう思い出したくないほど、美春が荒れた。
「海琴って、そんなに心配されたのか?」
「………うん、二人はもう彼氏いるから、何かと男子を紹介されたんだ。」
あの時は大変だった。
週に二~三人ほど紹介される時もあった。その時はもう、うんざりしていたけど、今になってみれば、その心配がよく分かり、ありがたいものだと思った。
「………一応、断ってたんだよな?」
哲君が、恐る恐る聞く。
「そうだよ。」
途端にホッとしたように、哲君は肩の力を抜いた。
「そっか、………良かった。」
その時、
「あっ、でも一人だけ、海琴が気になった男子いたよね?」
思い出したかのように美春が、口を出す。そうするとまた、哲君が身構える。
「えっ、誰!?」
「フフッ、内緒。」
「えっ!?海琴、誰なんだ!?」
私は、哲君以外に気は全く無かった。正真正銘、哲君が初恋の相手である。
だからこそ分かる。美春は、哲君をからかっているだけだと。
「いないよ、哲君以外の男子は気になってないし。」
「本当か?」
「うん。」
それなのに美春は、
「え~、忘れたの?去年の二学期頃に紹介した彼のこと。」
当然、いるはずがない。
美春の性格を完全に知っていない哲君は、冷や汗をかいていた。
「そういえば、沖野もこっち来たときに、海琴以外の女子を可愛いって言ってたな。」
美春の発言に乗じた大地君の発言に、
「ええっ!?どういうことなの、哲君!?」
今度は私が慌てた。
「いや、海琴落ち着け。俺はそんな………。」
「確かに、そんなこと言ってたね。沖野君、どういうつもりなのかな?」
喬介君も、問い掛ける。穏やかそうな彼が発言すると、何故か本当のことを言われている気がする。
………実は、かなりのイタズラ好きであるけど、この外見で言われると騙されている気がしないから、本当に質が悪い。
すると哲君は、顔をしかめて肩を震わせた。そして………、
「んなこと、する訳ねぇだろうが!!」
「………。」
「ご、ごめんね。」
「………フン。」
「ご、ごめんなさい、哲君。」
哲君は、帰りまで機嫌が悪かった。私がいくら話し掛けても、全く反応してくれなかった。
「………本当、ごめんなさい。」
辛抱強く謝っていると、
「………海琴。」
「は、はいっ。」
「俺は、そんなに信用できないか?」
「そんなこと無いよっ!」
反射的に、私は否定する。
「冗談であっても、あれは傷付いた。………いや、冗談であったからこそ、俺は傷付いたんだ。」
「………ごめんなさい。」
私はただ、謝ることしか出来なかった。すると、
「………はぁ、俺は海琴に冷たく出来ないな。」
苦笑の交じった声が聞こえた。
「いいよ、もう気にしてない。」
哲君が、困った顔をしながら許してくれた。思わず顔を明るくしたら、また、顔を背けられた。
「海琴、これだけ聞かせてくれ。」
「何?」
「………俺のどこが好きなんだ?」
「え?」
私は戸惑った。予想もしていない質問だった。
「………俺は、海琴が母さんに似ていたから近づいた。だけど、接していくうちに、海琴の優しさに触れて、人の………海琴の温かさを知ったんだ。
………そして、惹かれたんだ。
………ずっと、守りたいと思ったんだ。
海琴は、俺のどこを好きになってくれたんだ?」
どこって言われても………、
「哲君なら、もう分かってくれていると思ってたんだけど………。」
「やっぱり、海琴の口から聞きたいんだ。………駄目か?」
そう言って、私の顔を覗きこむ。
「っ!!!」
………駄目、反則だよ!そんな顔して覗きこまれたら、断れないじゃない!!
だけど、そんなこと言えるはず無く、私は話した。
「………全部。」
「例えば?」
「っ、………だって格好良いんだもん。」
そう言った瞬間、私は堰を切ったように、
「その立ち姿も、優しい目付きも、口調も、抱えている悩みも全部好きっ!哲君そのものが好きで仕方ないのっ!!」
もう止まらない。
「私は!」
涙が溢れて、哲君の形が崩れて見える。
「一目惚れだった哲君と両思いになって、どうしようも無く、嬉しくて!!」
呆然としている貴方も好き。泣いてる貴方も、笑っている貴方も、全てが………、
「私はっ、………哲君が………大好きなの!!!」
………言ってしまった。
私が秘め続けた想いを………。
「………フフッ。」
「え?」
「ごめんごめん。………たまに思うんだけど、海琴ってけっこう突発的だな。」
「むぅ………。」
私が膨れていると、
「………そんなとこも、俺は好きだけど。」
「えっ!?」
まさかの発言に、顔を赤くしながら哲君を見た。そして、嬉しさがまた、込み上げてきた。頬を弛ませながら、私は言う。
「………ねぇ、もう一回言って?」
「えっ、いや………。」
「よく聞こえなかったの、もう一回。」
「だ、だから………す、好きだ。」
「ねぇ、もう一回。」
「も、もういいにしてくれっ!」
哲君はそのまま、走り去ってしまった。
顔を真っ赤にしていたことに、私は気付いていた。
五章
六月の上旬、私は晴れて彼氏となった哲君と修学旅行の買い出しをしていた。もちろん、二人きりで。
「ねぇ、この服どう?」
試着室のドアを開ける。
アイボリーのブラウスと淡い桜色のフレアスカートを着て、哲君の前でクルリと回る。
「あ、ああ。………似合ってるよ。」
哲君はたどたどしく答える。そんな答え方も、私は気にならなかった。哲君は照れてるだけだと分かっているから。
「フフッ、ありがと。」
そう微笑み掛けると、哲君は更に顔を赤くした。
「………海琴、わざとだろ。」
そう呟きながら、哲君は試着室のドアを閉めた。
「私の服は一応大丈夫だね。後は、哲君の服かな?」
「うん、コーディネート頼むよ。」
「任せて!」
私達は手を繋ぎながら、店を歩いた。どこからどう見ても、カップルそのものであることが、幸せだった。
「あ、沖野君。」
目の前で哲君に声を掛けた女子がいた。クラスメイトで、底無しの明るさを持つ女子の「花崎樺澄」。いつもクラスの中心にいる女子でありながら、もうひとつ裏の顔を持つことで有名だ。
「カップル二人で買い物?」
一見人懐っこい顔で笑い掛ける。
「ああ、そうだよ。」
哲君がそう言った瞬間、私に一瞬だけ樺澄は睨み付けた。本当に一瞬だったから、私だけ気付いた。
「いいなぁ、海琴ちゃんは。沖野君と二人でデートなんて。」
もう普通の顔で笑っている。
「そうあって欲しいな。海琴、ちょっとトイレ行って来るから待っててくれ。」
哲君は繋いだ手を離した。
「あ、うん………。」
そのまま哲君は、歩いて行った。
「海琴ちゃん、沖野君と付き合っているんだ。」
さっきとは違って低めの声で、樺澄は話し掛けた。彼女は、人のものを欲しがるような女子。見た目の通り、男子には人気があるものの、女子の人気はほとんど無い。
付き合い始めたカップルの、男子を狙って落とすから、女子のアンチが多い。
「………そう。」
「沖野君と海琴ちゃんは、お似合いだと思うよ。」
樺澄は近づいて、私に抱きついた。だけど耳元で、
「………海琴ちゃんは良いかもしれないけど、沖野君はどう思っているのかな?暗い性格の貴女が恋人だなんて、沖野君は迷惑かもしれないけどね。」
「えっ?」
「気付いてなかったの?普通は考えるはずだけど。所詮は自己満足なんだよ、海琴ちゃんがやっていることは。」
全く気付いてなかった。哲君は私といるときは、よく笑ってくれている。恥ずかしく顔を赤くしている。いろんな表情を見せてくれる。それなのに………。
「沖野君は、迷惑って思っているはずだよ。」
樺澄はどっかに行ってしまった。私は、樺澄の言葉で固まっていた。
「おーい、海琴。」
哲君は、樺澄と入れ違いで来た。
「あれ、花崎さんは?」
「………。」
私は哲君が来たことに、全く気付いていなかった。
「どうした?」
「あっ、ううん。ごめんね、ぼうっとしてた。」
「おいおい、気を付けろよ?」
苦笑いしながら哲君は、手を差し出した。だけど私は、いつものように喜びながら手を繋げなかった。
そんな私に訝しくなったのか、
「………花崎さんに、何か言われたのか?」
と、囁いた。
だけど、
「………ううん、本当に大丈夫だから。」
樺澄の話が本当だとしたら、それが怖くなって私は聞けなかった。
その日以来、私は哲君を避けるようになってしまった。
「海琴、何で沖野君を避けるようになったの?」
数日後、美春達に追及された。感情の無い目で、問い詰めるかのように。
「………哲君から聞いた?」
「いや、何にも。ただ、海琴達が疎遠になっているような気がしただけ。」
彼女達は、本当に鋭い。私達の雰囲気が変わったことに、すでに感付いていた。
「………何でも無いの。ただ、………。」
「ただ?」
「………私、哲君に迷惑、かけてる気がして………。」
「「………。」」
二人は何も言わない。
「………二人でいると、幸せなの。………その度に私は、『ずっと好きでいたい。』、『離れたくない。』って思うの。でも、………それが哲君にとって、迷惑なのかもしれないって思ってきた。」
ここは教室で、他の人の目もある。だけど、もう我慢出来ない。涙ながらに私は、全てを話した。
「………私の気持ちがっ、哲君にとってっ、迷惑なだけだと思うとっ。」
嗚咽交じりの告白。それだけ私は、苦しかった。
「もうっ、どうしたらいいのかっ、分かんなくなっちゃうのっ!」
とうとう私は、机に伏せて泣いた。苦しい思いをぶちまけて、私は醜く泣き崩れた。
「「はぁ………。」」
美春達の溜め息が聞こえた。私は無性に腹が立って、
「何で真剣に聞いてくれないの!?真面目に話してるんだよっ!!」
それでも、美春達の態度は変わらなかった。すると今度は、悠奈が口を開いた。
「じゃあ聞くけど、海琴は沖野君を信用してないの?」
その発言に、私は反論しようとした。しかし、悠奈の方が早く話始めた。
「あんた、気持ちは同じだって聞いたんでしょ?他ならぬ沖野君から。その言葉を完全に信用してないから、そんな風に考えるのよ。」
………言い返せない。確かにそうだった。哲君から同じ気持ちだと聞いたはずなのに、それが夢のような気がしていたから、私は幸せな反面、怖かったんだと思える。
「二人に何があったのか知らないけど、」
逐一真実を告げる悠奈に、黙って耳を傾けていた。
「互いに好き同士だったんでしょ?」
涙が止まらない。だけど、気にしてなかった。
「だったら、それでいいじゃない。せっかく実った恋を、みすみす手放すなんて、するんじゃないよ。」
スッと心が軽くなった。もしかしたら、その言葉を待ってたのかもしれない。
「………うん。私、信じる。」
それはある意味、決意だった。
私はその後、哲君をあの丘に呼んだ。
「哲君。」
彼は何も言わない。そのまま、私の次の言葉を待っている。
「私、怖かったの。………哲君と付き合ってから、自分だけが舞い上がっているんじゃないかもって。哲君はそうじゃないかもって。………迷惑だったのかもって。」
これは、私の思ってたこと。
「………だけど、………哲君が好きだって言ってくれたことを、私は信じる。………貴方も同じ気持ちだってこと、信じたいの。」
呆気に取られた顔をしていた哲君は、次の瞬間、私の腕を引っ張った。
「あっ………。」
そして私は、
「………信じてくれ。俺のこと、気持ちを。」
哲君の腕の中に包まれていた。
「哲君………。」
「俺はこの前から、海琴に避けられている気がした。………俺は、飽きられたのかもって思ったんだ。………怖かったんだよ、俺も。」
ああ、こんな気持ちですら、私達は同じなんだ。
「もう、避けないで。行かないでくれ。」
哲君は私の頭を、力一杯胸に押し付けた。痛いけど、嬉しい。
私も哲君も、涙を浮かべていた。
六章
六月下旬。
とうとう私達は、修学旅行として北九州に行った。
私と哲君は、ホテルの部屋以外、出来る限り一緒に行動することにした。バスや電車の中でも、私達は隣同士に座った。ちなみにその前は悠奈&大地君カップル、後ろは美春&喬介君カップルを座らせた。
悠奈達は、恋人の隣に座ることが恥ずかしがって嫌がったが、私が強制的に座らせた。朝からずっと、私を睨み付けていたのに、今では隣同士にさせたことを、感謝までしているものとなった。
彼氏の存在、恐るべし。(って、違うな。)
今回の修学旅行は、三泊四日。二日目に、哲君が最も楽しみにしている、軍艦島クルーズがある。
頻りにその事を話して目を輝かせる哲君が、何だか可愛かった。
それでも、一日目の観光も楽しく巡れたことが、とても嬉しかった。
ハプニングがあった。しかし、犬も食わなさそうな痴話喧嘩だった。
「ねぇ喬ちゃん、この服どう?」
「なっ………んなこと俺に聞くなよ………。」
「え~。はっきり言ってよ~。」
美春&喬介君カップルが軽く揉めてる。要するに喬介君が、美春の服の感想をはぐらかして、しっかりと答えてないことが原因らしい。ちなみに美春は、喬介君を昔から「喬ちゃん」と呼んでいる。
「大体、男に服の感想を求めるんじゃないよ。」
何故か喬介君は、開き直ってしまった。そして、
「感想聞かれても、どう答えりゃいいのか分かんねぇもんだよな、沖野?」
哲君を巻き込んだ。しかし、
「別に見たままのこと、言えばいいだろうが。」
流石、私の彼氏。だけど私は、そんな哲君を試してみたくなってきた。
「じゃあ哲君、私の服はどう?似合ってる?」
「ああ、似合ってるよ。この間の服も良かったけど、今日の服も海琴らしいな。」
恥ずかしがる様子もなく哲君は、感想を言い切って微笑んだ。
「マジかよ沖野………。」
呆然と立ち尽くす喬介君の横で、私は哲君の感想に悶えてた。
「沖野君でも、あれだけ言ってくれるのに………。」
美春は、喬介君に不満げな目を向けた。
完全に傍観者となっていた悠奈&大地君カップルは、二人揃って呆れた顔をしていた。
そんなこんなで一日目は、あっという間に過ぎてしまった。
そして二日目となった………。
「オェッ………。」
「………気持ち悪い。」
待望の軍艦島クルーズは、時化た海で行われた。左右だけではなく、上下にも揺れるため、私は生まれて初めての「船酔い」をした。
はっきり言って最悪な環境。目を瞑っておけば、最初は何とか抑えられるけど、しばらくすればさらに酷く酔ってきた。
しかし哲君は、
「スッゲー!アトラクションみたいで楽しいな!」
………先生含めたクラスメイト全員が船酔いしている中、一人だけ平気な顔をしていた。
………流石です。
「………はぁ、気持ち悪い………。」
私は船の甲板に出て、外の空気を思い切り吸い込んだ。
海岸でしか感じられなかった潮の香りが、心地好い。目を開ければ、空こそ曇っているものの、所々差し込んでくる日が輝いていた。
「わぁ………。」
私は、大海の風景に感動した。
気持ち悪さを忘れて柵に手を置き、身を乗り出した。
………すごい。
この素晴らしい海の風景は、言葉では表すことなど不可能だと思わせた。その時、
「すごいね、この景色。」
正直、顔も合わせたくない人の声がした。
「樺澄。」
「この海を、沖野君と見たいね。」
樺澄の口調は笑っているものの、目は笑っていない。むしろ樺澄の目は、怒気を含んでいるように見えた。
「初めてだよ、私がアピールしても振り向いてもらえない男子なんて。」
………いや、怒気なんて生やさしいものじゃない。
「この頃、貴女達を見ていると無性に腹が立つのよ。」
目にするのは初めてだけど、この感情の名を、私は知っている。
「何で貴女を選んだのか、何で私じゃないのかってね。」
私に向かって、歩いてくる。
「私は、貴女を………。」
近づく樺澄が怖い。目の前に立つと感情の正体を確信した。
この感情は………、
「殺したくなったの。」
………『殺気』。
私は既に、柵を背にしているから、樺澄から逃げられなくなった。
「い、いや………。」
自然と呼吸が荒くなる。そんな私を見ている樺澄は、見たことの無い歪んだ笑みを浮かべた。
「何が嫌なの?私の邪魔になるくらいなら、いっそ死んでくれた方が都合がいいの。」
そう言って樺澄は、両手を私の肩に置いた。樺澄がしようとする事は、もう分かった。
「私は沖野君が欲しいの。だから、貴女はいらない。」
そのまま樺澄は、固まっていた私を押した。
「………さよなら。」
直前に樺澄の言葉が聞こえた。
私は、恐怖のあまり声を出せないまま、頭から海に落ちた。
六.五章 ~沖野哲サイド~
楽しみにしていた、軍艦島クルーズ。
俺は昔から船に乗った経験があるから、クラスの中で唯一船酔いをしなかった。
しかし、皆はそうではなく、顔色が悪くなっていた。晴れて恋人となった海琴も、どうやら船酔いをしたらしく、顔が青くなっていた。
「大丈夫か?」
海琴はそれでも、気高く笑顔を見せて、
「うん、大丈夫。ありがとう。」
「………甲板に出て外の空気を吸ったらどうだ?少しはスッキリするよ。」
「そうなの?分かった。」
海琴はヨロヨロと、甲板に向かった。
海琴が出ていった直後、何故か樺澄さんも甲板に向かった。この間、海琴を脅したことを聞いた俺は、極力樺澄さんと一緒にいないようにした。
………何もなければいいのだが。
数分後、樺澄さんだけ戻って来た。しかし彼女は、自分の席ではなく俺のところに来た。
「沖野君、ちょっと来てくれる?」
「ん?構わないけど。」
その時から海琴関係だと思っていたが、俺はとりあえず樺澄さんと甲板に出た。
「私ね、沖野君が好きなの。付き合ってよ。」
唐突に俺は、樺澄さんに告白された。
「悪いんだけど、俺は………」
「海琴ちゃんと付き合っているから?」
「分かっているなら、話は早い。だから、ごめん。」
俺は謝った。すると、
「………その海琴ちゃんが死んだら?」
「………えっ?」
海琴が………死んだら………。
「海琴ちゃんはさっき、ここから海に落ちたの。この時化だし、もう死んでるんじゃないかな?」
………何を言っているんだ?
「まだ分からないの?海琴ちゃんはもう死んだの。だから、貴方はフリーになった。だから、私と付き合っても問題ないの。」
………海琴が………死んだ?
俺の頭は、樺澄さんの言葉の理解を拒絶している。しかし、同時にその言葉が頭に貼り付いている。
「ねぇ、付き合ってよ、お願い。」
他の男子なら簡単に誘惑されそうな、甘い声で誘う樺澄さん。しかし、
「………嫌だ。」
「えっ?」
「海琴が死んだなんて、信じない!もう二度と、海で大切な人を死なせたくない!」
そう言って俺は、甲板を走った。そのまま柵を踏み台にして、海に飛び込む。
「ちょっと、沖野君!?」
柵から樺澄さんの声が聞こえたが、俺は荒れ狂う海を必死に泳いだ。
(頼む、………生きていてくれ。死なないでくれ!)
七章
海に落とされて、私は必死にもがいた。しかし時化た海の波は、私を海中に押し込むかのように襲ってくる。
次第に私は、海の中に沈んでいった。
………既に意識が朦朧としていた。
(ああ………、死ぬんだ、私………。)
沈んでから、どのくらい時間がたったのだろう。
私は、死の青を眺めていた。苦しくないのが、唯一の幸いだった。
(せめて、………一言だけでも、伝えたかった………。)
もう二度と、叶うことの無い願い。
(哲君………、大好きです………。)
「………。」
聞こえるはずの無い、哲君の声。死の間際の幻聴か?
「………!」
いや、違う。幻聴なんかじゃない。
瞼を開けると、一つの影が見えた。徐々に近づく影は、間違いなく哲君の影だった。
哲君は、私を抱き抱えた。口に息を吹き込まれると、意識が少しだけはっきりした。哲君は私を抱いたまま、海面へ昇っていった。
海面から顔を出すと、私は激しく咳き込んだ。そして、哲君の匂いがして、私は哲君に向き合った。
涙を浮かべた哲君は、次の瞬間、
「良かった………っ、本当に………、良かった………!」
ぎゅっと私を抱き締めた。
「海琴が………っ、死んだって………っ、樺澄さんから言われて………。俺は認めたくなくて………、必死に泳いで探したんだっ。………無事で、本当に………良かったっ!」
ただ私を探すために、時化の海を泳いでくれた。その事が、とてつもなく嬉しかった。
哲君の体に腕を回し、
「ありがとう。………ありがとう、哲君っ。」
泣きながら、感謝した。
荒れた海の中で、海水でぐしょぐしょに濡れていたけど、私達はそのまま、抱き合った。
生きていたことに、思いが通じ合っていたことに、危険を省みないで助けてくれた哲君に、私は嬉しくなった。
………ありがとう。
その後、偶然通り掛かった漁師の船に、私達は無事救助された。
そのまま病院に搬送され、治療を受けた。二人して点滴をして、病室のベッドに移された時、担任と学年主任の先生が駆け込んで来た。どうやら私達は行方不明として、警察に通報されたようだった。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。」
担任と私がこんなやり取りをしている横で、
「えっ?じゃあ君は彼女を助ける為に、自分から飛び込んだのかい?」
「そうです。」
哲君と学年主任の先生が話していた。
状況を聞いていた担任は、
「何で私達に言わなかったんだい?」
と、哲君に聞いた。すると哲君は、
「自分の彼女を守らなくて、彼氏は出来ないですよ。それに、その時は海琴を助ける一心で、その事に頭が回らなかったんです。」
当たり前とでも言うような顔で答えた。
私は、哲君の横で顔を赤くして悶えた。
そして、甲板での一部始終を話した。樺澄の暴挙に担任は、呆然としていた。
病院を出た後は、警察署に向かった。行方不明者は無事救出されたという広報を聞きながら、私達は事情聴取を受けた。先生に話したことをそのまま話した途端、警察官達は慌て出した。長々と話をしてようやくホテルに着いた時は、既に十時半を過ぎていた。
「遅くなっちゃったな。」
「うん。」
手を繋ぎながら私達がホテルに入った瞬間、
「「海琴っ!!」」
「「沖野っ!!」」
あのカップル二組が駆けつけて来た。
「悠奈、美春。」
「遅くなった。大地、喬介。」
私達は遅くなったことを友人達に謝ると、
「馬鹿、んなことはどうでもいい。」
「海琴と沖野君は大丈夫なの?」
と、喬介&美春カップル。
「怪我は無いんだよな?」
「時間より、あんたらのことが心配だったの。」
と、大地&悠奈カップル。
ここまで心配掛けていたことに気付き、
「ごめんなさい。」
「ごめん。」
改めて二人で謝った。それと、
(心配してくれて、ありがとう。)
私は、心の中で感謝した。
ホテルの部屋に戻り、ベッドに寝転がった時、スマホがメールの着信を伝えた。
『海琴、今大丈夫か?』
仰向けになった体を慌てて反転させ、返信した。
【うん、大丈夫だよ。どうしたの?】
『今、屋上にいるんだ。星とか綺麗だし、こっちにおいでよ。』
【分かった、すぐ行くね。】
私は跳ね起き、軽く体を拭いてから、スマホだけ掴んで部屋を出た。
少し長い階段を登りきり、屋上のドアを開けた途端、あの涼しい海風が顔に当たった。月と星だけが明るく見える屋上で、柵に肘掛け、こちらを背にした影を見つけた。
「哲君………。」
呟くほどに小さく漏れた彼の名前。それが聞こえたのか、影は振り返った。
「海琴………。」
私の名前を呟きながら、あの優しく、穏やかな笑顔を浮かべた。
「哲君………、ありがとう。」
彼の隣に立ち、星を眺めながらお礼をした。
「何言ってるんだ、海琴の彼氏は俺だ。当然だろ?」
「フフッ、そうだった。」
そう言いながら私は、哲君の肩に頭を預けた。
「私ね、嬉しかったの。このまま死ぬと思ったら、哲君のことしか考えられなくなって………。そんな時に哲君が助けてくれたから、本当に嬉しかった。」
これは、嘘偽りの無い私の本心。
「そんな時まで、俺のこと考えてくれたのか………。ちなみに、俺のどんなこと考えていたんだ?」
「………私の気持ちを、もう一度伝えたかった。」
私は今一度、哲君に向き合った。そして、
「………大好きです。」
私は哲君の首に抱き付いて、耳元で囁いた。
「俺もだよ、海琴。………好きだ、誰よりも。」
哲君は私の体に手を回し、同じく耳元で囁く。
時化ていた海は、いつの間にか凪いでいた。
雲ひとつ無い星空の下、私達は抱き締め合った。
「海琴………。」
「哲君………。」
互いに顔を近づけ、目を閉じた。そして………、
………キスをした。
触れるように優しく………。
私達は、幸せを強く感じていた。
死の危険を感じた最悪な一日が一瞬にして、哲君と結ばれた最高な一日になった。
終章
その後、私達は無事に修学旅行を終えた。
樺澄は今回の暴挙により、退学処分を受けた。二日目以降会うことは無かった。そして、私達には一言も謝ることなく、どこかへ行ってしまった。
翌週の月曜日。
「おはよう、哲君っ。」
「ああ、おはよう。」
私達は二人で登校するようになった。それでも私は、哲君に甘えたくなっていた。
「哲君………。」
「ん、どうした?」
私は何も言わずに、哲君の右手を握った。
「えっ。」
「手………繋ご?」
途端に哲君の顔が、真っ赤になった。すぐに顔を背ける哲君。でも………、
「………校門前までだからな。」
私は、顔を明るくさせて頷いた。
「うん、ありがとう!」
そう言いながら、今度は哲君の腕にしがみつく。
「お、おいっ。それは流石に………。」
「大丈夫っ。校門前まででしょ?」
「何が大丈夫なんだよ………。」
私はこの人が、哲君が大好き。可愛いところも、恥ずかしそうに顔を背けるところも、そして、危険を省みないで助けてくれた格好良いところも、全部好き。
(ずっと、一緒にいようね。)
これは、私の処女作です。元々文章を書くことが好きで、読書は時間を忘れるほどでした。
そんな中、自作小説を書いてみたいと思い、この作品を投稿しました。頭の中で考えたストーリーを文章化させることに、ここまで苦労するとは知りませんでした。
そんな時に、私は親友達に応援されました。今回の登場人物には、感謝を込めてその親友達の名前を使わせていただきました。もちろん、親友達の許可を得ています。
さて、上記でも述べた通り、この作品は初めて投稿したものです。その為、少々読みにくい箇所もあるかと思いますが、ご容赦ください。最後まで考えたストーリーなので、ここまで読んで下さったことに感謝します。この後書きでさえ、初めて書くものです。出来ることなら、温かく読んでください。
文章がまとまらないため、ここで最後にさせていただきます。このストーリーを応援してくださった親友達に、このサイトを紹介してくださった友人に、そして、最後まで読んで下さった読書の皆様に、心から感謝します。
ありがとうございました。