6 朝
古い夢だった。アレスと出会ったからだろうか、あの本が恋しい。城から逃げ出してから、私は憧れていた王子様のように苦境に抗えているだろうか。
もう一度読みたい、久々に思い出した絵物語を手にしたい。そう思いながら、ゆっくりと布団から起き上がる。
アレスを見て、あの王子様の本を所望するなんて、あからさますぎるだろうか。あの付き合いの長い使い魔のこと、きっと私があの本の購入などお願いしたら、絶対に嫌がられることだろう。
寧ろ、買ったことがバレたら燃やされるかもしれない。しかも昨日の今日だ、彼とまたいざこざは起こしたくない。買うなら彼がいないとき、そして隠すなら彼にバレないところにしなくては。
絵物語に思考を奪われながら、アリアは寝間着から普段着に着替えるのだった。
「おはようございます」
久々にゆっくり寝ることができて、アレスは逃走中だというのに、騎士になって以来のスッキリとした朝を迎える。アリアは既に朝の仕度をしているようで、食卓には食事が並んでいた。
「おはよう、アレス。よく眠れました?」
「はい、おかげさまで。ありがとうございます」
ありきたりなやりとりをすると、イミュがそこへ現れる。2人をそれぞれ一瞥すると、深々と頭を下げて挨拶をされた。
「おはようございます。起きられましたか、では庭の水やりをお願いします」
「イミュ、まずは食事を済ませてからでもいいでしょう」
「つくづく甘いですね。まぁ、いいですけど」
「だから、そういうのじゃないって言ってるでしょ」
「私は昨夜魔力をたっぷりといただきましたので、食事は大丈夫ですから、街に行ってきます」
では、と冷たい瞳でギロリとアレスを見ると、そのままイミュは行ってしまった。
何故だかわからないが、彼にはあまり好かれていない、というか敵意を向けられている気がする。一体何かしてしまっただろうか。
アリアはアリアで少し額を押さえながら、小さな声で何か独りごちているようだ。こちらにはよく聞こえないが。
「何か、すみません。お2人のお邪魔をしてしまっていて」
「あぁ、いえ、気にしないで。……イミュ、彼は私の使い魔なんだけど、ちょっと気難しいのよ」
「使い魔、ですか」
「えぇ、私の半身というか、片割れというか、そういうもので。……だからか、ちょっと私に対してお節介の気があるのよね。気を遣わせてしまってごめんなさい。とりあえず食事にしましょう。そのあと庭のお手入れを手伝ってもらうわ」
「承知しました。何なりとお申し付けください」
「そういうとこ、騎士気質ですよね」
「すみません、気に障りましたか?」
「いえ、あまり近くで騎士を見たことなかったけれど、読み物などで読んだ騎士と振る舞いが似てるなぁと思って」
「読み物ですか……」
食卓につき、食事を取りながらヴィヴィアンナ皇女殿下からも同じようなことを言われたことを思い出す。彼女は恋愛ものの絵物語が好きで、囲いの中の人物にはそれぞれ絵物語でのお気に入りの人物に当てはめて名を呼んでいた。私は確か……
「カロス……」
「え?」
「あぁ、すみません。私はカロスという騎士に似ている、と以前言われたことがありまして」
「それって、『太陽の騎士』という絵物語のカロスですか?」
「えぇ、確かそのような名の書物かと。ご存知でしたか?」
「えぇ、私も読みましたから。確かに、カロスという騎士に似ているかもしれないです」
金髪碧眼で物腰が柔らかく、太陽のように明るく快活。また、紳士で情に深く、とても腕の立つ騎士、というのがカロスという騎士らしい。そういえばそんなことをヴィヴィアンナ皇女殿下からも言われていたような気が。
あまりに熱心に言われることに恐れてよく聞いていなかったが、その特徴に対して私がそんなにその騎士に似ているとは思えないのだが。
見た目は確かに、当てはまっていると言えば当てはまっているが、あくまで見た目だけの話である。
「私はそんな大層な存在ではないですが」
「あの皇女のこと、見た目さえよければ良かったのではないでしょうか?あの囲いの中の方は、どなたも見目麗しい方々ばかりいたように思います」
アリアは顔を顰めながらパンをちぎり口に入れている。あまり仲が良くなかったのだろうか。詮索するのも気が引けたので、特にその反応に関しては追求しなかった。
実際私も逃げ出した身、正直あの皇女殿下は好きにはなれなかった。任務とはいえ、側仕えの騎士として任命されていたが、騎士というよりハーレムの一員であったといっても差し支えがないだろう。
私という存在よりもいかに自分の理想の人物を侍らせられるかに執着していた。理想の言葉、理想の振る舞いを求め、それができなければ罰が待っている。なんと理不尽な仕打ちであろうか。
「そういえば、家族は大丈夫ですか?もし逃亡されているのなら、家族に影響があるのでは?」
「私は孤児なので家族はおりません。ですから逃げようと決意できた、というのもあります」
実際家族を想い、あの囲いを抜け出そうにも抜け出せぬ者はいた。自分が逆らうことで家族に迷惑をかけるということは想像に難くない。それほどまでにあの皇女殿下の執着は強く、また権力は絶大だった。
「私と一緒ですね」
「失礼ですが、アリアも孤児でいらっしゃるのですか?」
「私も多分孤児……だったのだと思います。気づいたときには1人でいましたので。それをゴ……宰相に拾われた、と聞いています。だから正直、家族とかそういうものに疎くて。あと人付き合いも苦手で、私がもし気に障るようなことを言っていたら言ってください。改善します」
確かに人付き合いが苦手なのだろう、初めて言葉を交わした頃に比べて幾分かは緊張しなくはなったようだが、身体を強張らせているのは見て取れた。警戒心を持っている証拠だろう。
彼女も逃亡の身だと言っていたし、なかなか気が抜けぬ生活をしていたのだろう。そこに、私みたいなどこの誰とも知らぬものが来たら警戒するのも無理はない。
翠玉の魔女という罪人である彼女が、なぜここで生活しているのかわからないが、国1つ滅ぼせるほどの魔力を持った伝説の魔女でさえも逃げ出すことがあるのかと思うと、なぜか親近感を覚えてしまう。
「貴女の振る舞いに特に問題はないと思います。淑女の振る舞いそのものだと思いますよ」
世辞ではなく率直な意見だったのだが、彼女は少し逡巡したあと、口元を押さえて少し上目遣いで睨まれた。
何か失言をしただろうか。
「そういうところがカロスと同一視されるもとだと思います」
「?」
「いえ、何でもありません。食事を終えたら流しに食器を置いておいてください。私は先に庭に出てます」
そう言って、そそくさと自らの食器を下げると、アリアは行ってしまった。
(うーん、やはり何か下手を打ってしまったようだ。女性というのは難しい)




