2 自己紹介
(上手く話せたかしら)
適当に相手すれば良い、とイミュから言われていたが、アレスの物腰の低さについ自分も同調してしまった。
寝首を掻かれぬように、と前以て忠告されていたので、ある程度身構えながら、彼の四肢や首、至るところに魔法の糸を張り巡らせ、いつでも殺めるようにしていたがそれも杞憂だったようだ。
(それにしても、アレスは身長がとても高かった)
ベッドから立ち上がったとき、こんなにも背丈があるのか、と内心とても驚いてしまった。魔法で客間に運ぶときにも、ある程度の大きさはあるとは感じていたが、まさか自分の頭2つ分ほどの差があるなんて。
あんなにも見上げるということに慣れていないアリアは、見慣れない青年にドギマギしてしまった。
真っ直ぐに見つめてくるコバルトブルーの瞳。泥で鈍ってしまっていたが、恐らく輝くような金色の髪。端正な顔に低すぎない爽やかな声。本当に憧れの絵本の中の王子様がそのまま出てきたようだ。高鳴る鼓動をゆっくりと呼吸することで落ち着ける。
しかし、一体彼は何しにここへ来たのだろう。宰相の差し金か、はたまた別口か。私が触れることができたことも、目覚めたあとも魔力を感じなかったことも気になる。
(アレスは一体何者……?)
対応には十分気をつけろ、とイミュに言われたが、正直その対応をどうすれば良いのかわからない。
(イミュの代わりに、私が市場へ行けば良かった……!)
今更なことを思いつつ、勝手に変なものを拾ってくるのが悪いんですよ、と小言を口にする彼を思い浮かべながら、一時でも早く帰ってくることを願った。
******
「お風呂どうもありがとうございました」
用意された簡易の服を身に纏い、アレスは言われた通りの部屋へ入室した。泥で固まっていた髪は綺麗サッパリと泥が流れ、本来の輝く金色を取り戻している。
「いえ、あ……食事、口に合うといいんですけど…」
綺麗に飾られた食卓。彩り豊かな豪勢な食事がそこにあった。追手から逃れることで精一杯で、食事のことなど失念していたアレスの身体は食事を目にし、匂いを嗅いだ途端ぐぅぅぅと、それはそれは大きな腹虫を鳴らした。
「……申し訳、ありません……」
羞恥で身を縮こませると、小さくクスクスと溢れる笑い声。そろっと彼女を見れば、身体を震わせながら笑いを抑えるのに必死なようだった。
「毒など入っておりませんから、ぜひ。もしご不安でしたら、私が先にいただきましょうか?」
フッと表情を緩めた笑顔に胸が高鳴る。今まで見たことない美貌の少女に見つめられ、耳まで赤くなりそうだ。
「いえ、ご心配には及びません。ありがとうございます、いただきます」
匙を入れると、出来立ての証である湯気が立つ。久々の食事に心躍らせながら、無我夢中で食事を口に運んだ。
「アリア、帰りましたよ」
中性的な声が聞こえる。顔をそちらに向ければ、こちらも顔がとても整った美青年がそこにいた。
「あぁ、起きられたんですね」
「えぇ、先ほど。イミュ、ありがとう。食材片付けておくね」
アリアと呼ばれた少女は、イミュと呼ばれる青年から食材の袋を受け取ると、そのまま別の部屋に行ってしまった。残された2人。イミュはジロッと品定めするようにアレスを見つめる。
それに対して、蛇に睨まれたかのように口が止まるアレス。お互いに沈黙が流れる。その沈黙を破ったのはイミュだった。
「王都の騎士様とお見受け致しますが、何故このような辺鄙な地へ?」
尋ねられ、口籠るアレス。追われた理由など、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。言って信じてもらえるか。
(そもそもこれは理由として通用するのか……?)
言おうか言わまいか逡巡する。だが、ここで下手な嘘をついても、何故かこの青年には見破られる気がした。
「……追手から逃れて、ここに来たんです」
「ほう。追手、ということは何か罪を犯したのですか?」
「いえ、あの……罪、というか……」
アレスが歯切れ悪く口籠ったところで、アリアが戻ってくる。2人の雰囲気に何となく状況を察したようだが、イミュはアリアを一瞥しただけで再び視線をアレスに戻した。その瞳は続きを促している。
「ヴィヴィアンナ皇女殿下から、その……囲いの中に入れ、と仰せられて、それを断ったのですが、それで……」
モゴモゴと騎士らしからぬ物言いで口にしつつ、チラッとアリアとイミュを見れば、呆れた顔をしていた。
そりゃそうだ、皇女の囲いという名の愛人の一員になれ、と誘われたのを断って、命を狙われるなんて馬鹿げた話である。
イミュが溜息をつくと視線をアリアに向ける。アリアはその視線を受け、小さく頭を振った。
「嘘はついていない。彼が嘘が得意だというなら話は別だけど、そもそもあの皇女のこと、そういう話は考えられる」
アリアは少し俯いて、思案顔で顎に手を当てる。その様子を静かに見つめた。このような姿も美しい、なんて心の片隅にでも思ったのは、
不謹慎だとは思うが。
「……恐らくまだ追手は近辺に潜伏しているはず、こちらにご迷惑をおかけするわけには参りませんので、食事をいただいたら早々にお暇させていただきたいと思います」
「もうすぐ日が暮れますが、行く宛ては?」
「いえ、特にはありませんが……このまま皇女に諦めていただくまで逃げ延びようと思います」
「あの皇女の性格上、難しいように存じますが」
「それはそうですが……。そもそも、失礼ですが貴女方は皇女殿下のことをご存知なのですか?」
2人を真っ直ぐ見つめると、彼らはお互いを見合う。そして、アリアがゆっくりとこちらを向いた。
「……貴方は翠玉の魔女をご存知ですか?」
「?……はい。嘘か誠か存じませんが、一晩で一国を滅ぼしたとかいないとかそのような話を聞いたことが……」
「そうですか」
アリアは顔に手を翳す。光の眩さに目を閉じたあと、彼女の瞳を見つめれば、その輝きは金色ではなく綺麗な翡翠の色をしていた。
「まだ、自己紹介をしてませんでしたね。私がその翠玉の魔女、アリアです」




