1 出会いは唐突に
産まれてからずっと1人だった。
家族もいなければ、親の顔すら知らない。人付き合いなどしたこともなければ、教えられたこともなく、どのように会話し、どのように人と接すれば良いのかわからなかった。
結果、私は都合のいいように利用され、取り返しのつかないことをしてしまった。
だから、私は人を避けた。人を避ければ、声も届かないし、悪意も向かない。傷つけることもないし、自分が傷つくこともない。
「人……?」
王都から、遠く離れた僻地にある我が家の裏手に、恐らく王家直属の騎士であろう格好をした、泥だらけの物体がそこに横たわっていた。
恐らく崖から落ちたのであろう、鎧は無惨にも凹み、傷だらけで、すぐに顔を判別できないほどの汚れようだった。
(どうやって私の結界を通り抜けたの……?)
ここら一帯は自衛のため結界を張り、人目につかないようにしている。結界はある程度の魔力を持つ者は弾き返され、中に入ることができないはずなのだが。
人間であればある程度の魔力を備えているはずなのに、目の前の存在からは少しも感じない。
まさかの出来事に狼狽するが、手を翳して生命反応をみた限りでは死んではいないようだ。
触れられることを確認して、泥がついて鉛色になっている髪をゆっくりと掻き分けると金色の睫毛が少し揺れた。動くと思わず、バッと慌てて手を離す。あまりに動揺し、心臓が跳ね、胸が痛い。
ゆっくりと顔を覗き込むと、まるで絵物語の王子のような端整そうな顔がそこにあった。
唯一好んだ絵物語の王子に似ている彼。少なからず惹かれてしまったこの感情を持て余しながら、このまま見殺しにすることはできなかった。
(もし、この騎士が私を殺しに来たとしてもそれもまた運命、か……)
己の災厄に嘆息しつつ、私は空に印を結ぶと騎士の身体が浮かせ、そのまま家の中へと連れて行った。泥だらけの重装備のまま布団に寝かせるのはしのびなかったので、魔法で装備を剥ぎ、客間で寝かせたところでイミュがやってくる。
「アリア、これは?」
「わからない。なぜか結界内に落ちてたから拾ってきたの」
「そんな、捨て犬を拾ってきたみたいな口調で言わないでください。明らかに騎士ですよね、しかも王都の。面倒ごとを持ち込むなんて貴女らしくないですよ」
「そうね、そうなんだけど……。たまには人助けをしてもいいかなって思ったの、かな……?」
「今更、昔の罪滅ぼしのつもりですか?」
「別にそんなつもりじゃ…っ」
「とにかく、寝首掻かれぬように気をつけてくださいよ。貴女がいなくなったら私も困りますし」
「……そうね、気をつける。ねぇ、イミュ……起きたらどうしよう」
「そんなもの自分で考えてくださいよ。適当にあしらえば良いんじゃないですか?ですが、対応にはくれぐれもご注意くださいよ。さて、私は街に買い出しに行ってきます」
「あ、うん。いってらっしゃい。……あ、食材多目にお願い、この人も食べるだろうから……」
イミュは騎士を一瞥すると、不快そうな表情をしたが、アリアは気づかなかった。イミュを見送ると、彼を治癒するべく身体に癒しの氣を溜める。そして、顔にかかった泥で固まった髪を掻き上げると、ゆっくりと彼の唇に口付けた。
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「……ん、……っ」
身体を起こすとズキンと頭が痛み、思わず顔を顰める。強く打ったらしい場所を押さえながら、見渡すと、見慣れない小綺麗な部屋がそこにあった。
自身を見下ろせば、相変わらず泥だらけではあるが、鎧や剣などの重装備は外されている。さすがに懐にある短剣までは取り除かれていないようだが、騎士として剣を奪われるというのは不覚である。
なぜ、このような状況になったのか、確か気を失う前は、追手から逃げ延びようと攻撃を避けたはいいが、高い崖から足を踏み外してしまって……それから……?
全身怪我だらけだったはずのわりには頭痛はすれど、痛みはない。特に、腕や脚など強く打ったり攻撃されたりしたはずなのに、打撲も切り傷もそこにはなかった。
(一体どういうことだ。そもそもここは……)
「目が覚めました?」
涼やかな声に顔を上げれば、可憐な少女がいた。白銀の髪は長くキラキラと光り、陶磁器のような白い滑らかそうな肌は程よい曲線を描き、瞳は金色に輝き、ふっくらとした厚みのある唇は綺麗な桃色をしていた。
まるで造りもののような神々しい美しさに、つい目が奪われる。
「もしかして、声……出ない……?」
ハッとして、我にかえると「いえ、そうでなく!失礼しました!」と気持ち大きな声が喉を出てくる。相手の少女は驚いた様子で目を丸くした。
「私はアレスと申します。助けてくださったんですよね?どうもありがとうございます」
「え、あ、……どう、いたしまして……?」
視線を彷徨わせながら、唇を震わせつつ響く声はとても美しい。
つい彼女を見ると惚けてしまうが、助けられてこんな醜態をずっと見せているわけにもいかず、ベッドから身を乗り出し腰掛けるように足を下ろす。
「……あの、いきなりで申し訳ありませんが、剣と鎧は……」
「あ、えと……あちらに置いてあります。ある程度は綺麗にしておきましたが……」
所々凹みや傷があるものの、泥などの汚れが落とされた鎧などが、部屋の入り口辺りに置かれていた。
「重ね重ねありがとうございます」
「いえ、あ……お風呂入ります?それともお食事の方がいいですか?」
まさかそんな申し出があるとは思わなかったアレスは、一瞬間を置く。そこまで世話になるのは……との思いが頭を掠めたが、今更感は否めないので、ここは素直に甘えることにした。
「では、先にお風呂をお借りしてもよろしいでしょうか」
「えぇ、では案内しますね」
立ち上がれます?と尋ねられ、頷くとゆっくりと立ち上がる。彼女は少し目を瞠ったあと、こちらへと部屋を案内してくれた。1人暮らしのわりには立派な浴室。綺麗に掃除が行き届き、女性らしい小物がちらほらある。
この少女は何で生計を立てているのだろうか、と下衆な勘繰りをしてしまうが洗髪用品やタオルなど色々説明する姿に、そのような下世話な思考も霧散した。
では、お風呂が終わりましたらそちらの部屋にきてください、と戸を閉められ彼女が遠ざかるのを感じると、ハァと小さく息をついた。
生きている、この事実に安堵する。だが、果たしてこの後どうするか……追手はまだそう遠くないところにいるだろう。私を諦めてくれればいいが、そう思いながらも、あの頑固な姫が諦めるような気がしない。
そういえば、先ほどの彼女の名前を聞きそびれた。彼女は一体何者なのだろうか。誰かと住んでいるのか、はたまた1人暮らしだろうか。
あまり長居してもこちらに迷惑をかけてしまうだろう、早々に立ち去らねばな、など沸いてる湯船にゆっくりと浸かりながらグルグルと思考を巡らせ、嘆息と共に瞳を閉じた。




