第四話 旅と観光のはずが、何故こうなったのかな?
ガリーナさんはどうしてあんなにも僕を気にしているのだろうか。悶々と悩みながら、ベッドで横になっていると控え目にドアを叩く音が聞こえる。観光者は同じ宿とは限らないけど、まさか?
「はい?」
ドアを叩く音は気のせいだったのか、音は止んでいた。僕は再び目を瞑って眠ろうとする。しかし今度は、けたたましくドアが叩かれている。それはまるで、はっきりと意志を伝えるかのように聞こえた。
「わ、分かりました! い、いま開けますから……」
ドアを恐る恐るゆっくりと開けると、そこにはガリーナさんが立っていた。
「ど、どうしたんですか?」
「……タイスケ殿」
僕の名前を言うと同時に、その場で正座をしてガリーナさんは頭を下げている。
「えっ、あの。ちょ、ちょっとガリーナさん? ど、どうして土下座を……」
「すまない。ワタシの不徳の致すところであった。タイスケ殿には数々の非礼を重ねてしまった。誠にすまない」
この謝罪は恐らく、バスの中でのことと、降りるときのことが関係していると思われた。
「ガリーナさん、頭を上げて下さい。むしろ僕の方も申し訳なくなってしまいますから……」
「ならぬ。如何にして謝罪しても済む問題ではない」
頑として聞かないガリーナさんをどうすれば動かすことが出来るのだろう。このままでは宿の女性達から非難を浴びて追い出されそうになるくらい、土下座をされている。
僕は一か八か、この場から動いてくれそうなハッタリとして、古風なガリーナさんにあえて勝負を挑んでみることにした。
「ガリーナさん! 僕と勝負しましょう。それで終いにしませんか?」
「……む? 勝負? それは古来より伝わる決闘というやつか!」
「はい。気のすむまで勝負して、最後まで戦い抜けばきっと心が晴れると思います。どうですか?」
「ふむ。よかろう! ソナタの真剣さ、伝わって来たぞ。それで手打ちとしよう! して、それはどうする?」
「ガリーナさん、水着は持ってきていますか?」
「うむ。海に行くと分かった時点で用意は出来ていたぞ。なるほど、タイスケ殿の心の内が読めたぞ。では、ワタシは一足先に失礼する。浜辺にて待つ!」
「はい!! お願いします」
よし、上手く行ったみたいだ。時代劇っぽいガリーナさんなら乗ってくれると思った。僕も急いで準備して、浜辺に向かった。
浜辺へ着いた僕は、海を背に腕を組み、仁王立ちで待ち構えているガリーナさんを見つけてしまった。何だかその一帯だけに人の姿がなく、近寄る気配も無いほど気迫が伝わって来る。
と言うか、あの姿は競泳水着というやつではないだろうか。身長は高くないけど、細い線でスタイルがよく、金髪がより映えるような色の水着だ。真っ直ぐな姿勢での立ち姿と、スタイルに見惚れてしまう。
「ガ、ガリーナさん。お、お待たせしました」
もしかして僕が知らないだけでオリンピックか何かに出た人なのだろうか。
「ところで、ガリーナさん。どうしてそんな水着なんですか?」
「何を言っているのだ? 真剣勝負の時はそれに見合った水着を着けるのは当たり前ではないか。ワタシはタイスケ殿の意気に触れて、これを着ようと決めたのだ」
「わ、分かりました」
対する僕はと言えば、旅でモテたい願望の為に密かに鍛え抜かれた上半身はともかくとして、水に濡れてもいいようなショートパンツを履いているだけだ。
さすがにこれはまずかったか。ただ単純に、泳ぐ口実で導いただけがまさかこんな展開になるとは予想だにしていなかった。
「まぁよい。では、ここから見えるあの沖合の平らな岩まで泳ぐぞ!」
「へ? あ、あんなところまで……ですか?」
「うむ。勝負と言えば遠泳が有効であるからな」
「い、いや、しかし、あの距離をこの格好で泳ぐとなると……」
「日本男児に二言はないはずであろう? ワタシはアナタとの勝負に胸躍る思いだ! いざ、尋常に勝負を所望しようぞ」
「わ、わかりました」
すでに体をほぐしていたのか、ガリーナさんはいつでも泳げるようだ。僕は軽く手足を動かして、息を整えて水に浸かる。
よし、行くか。そう思いながら、遠くに見える岩に視線を移す。
この勝負は勝つことが目的ではなく、単純にガリーナさんの気を晴らそうとするのが目的だった。とは言え、相手が真剣な思いで来ている以上は、出来る限りの泳ぎを見せてやろうと決めた。
海に入り、少しの間は陽に照らされた暑さで水の冷たさを感じることがなかったが、しばらく泳いでいるとさすがに体は冷えを感じるようになっていた。
前方を泳ぐガリーナさんには到底、追いつけそうになく、かと言って見える範囲で離されないように泳ぐのが精一杯だ。何よりもいかんせん、きちんとした水着ではないのに長い距離を泳ぐ僕自身にも驚く。
ややペースを落としながらも、岩に向かって泳ぎを続けた。ほどなくして、ガリーナさんだろうかすでに岩の上に立っていて、手を振っているように見えた。
そうか、もう着いたんだ。フッと気を抜いたのがまずかったのか、足が思うように動かなかった。確か僕は観光というか、旅に来ていたはずなのに、何故こうなったのだろうか。
「あ、足がつ、つった……あ、あああああ」
こうなると、素直に海の中へ沈んでいくしかなかった。もっと準備運動をするべきだったか……そう思いながら気を失った。
耳の中に海水が大量に入っているせいか、耳鳴りがひどい。いや、口の中全てに海水が流れ込んできた所までは覚えている。目の前は暗闇。むしろここはあの世なのかもしれない。自分の声も出せずにいる。
「……タイスケ殿!」
どこか遠くから僕を呼ぶ声が聞こえる気がする。そうは言っても、全身が恐ろしく激痛でどこも動かせずにいる。ただただ、遠くの声が近くに来るまでじっと耐え忍ぶしかなかった。
声と共に、時々、湿った水が自分の顔に伝って来ている。ここは海だから当然のことなのだけど。湿った水が妙に温かい気がする。そのおかげか、冷え切っている体の中で唯一、顔のパーツ、目と口は動かすことが出来るようだ。
僕は瞼をそうっと動かして、ぼやけた視界ながらも目を開けた。
「グレーの瞳?」
目を開けると、グレーな瞳と目が合った。同時に、体に流れ込んでいた海水が喉の奥から一気に出てくるのが分かる。
「うっ、ご、ごほっ、ぐっ……」
相当量の海水が体内に入りこんでいたようだ。とめどなく溢れ出て来る海水にまた意識が遠のく。
「目を覚まさぬか!!」
この声はガリーナさんか。こんなに僕の名前を連呼するなんて、僕はまた怒られるようなことをしてしまったのかな。
僕の名を呼ぶと同じ位に、口の中には空気が送られてきているみたいだ。口の中に……?
「ごほっごほっ、うぅっ……」
「き、気付かれたか!? し、心配したぞ。よ、よかった……アナタに何かあってはワタシはど、どうすればよいのだ」
僕の意識が戻ると、眼前のガリーナさんの瞳からは、大粒の涙が僕の顔に落ちて来ている。
「だ、大丈夫です。な、泣かないでください」
「アナタはワタシの……人なのだ。これが、泣かずにいられるか」
よく聞こえないが、相当に心配と迷惑をかけてしまったみたいだ。視線を左右に動かすと、大勢のギャラリーたちの姿が見えた。
みんな顔を赤くして涙を流している。ああ、そうか、僕は結構危ない状態だったんだな。ただの観光客なのにどうしてこんなことになっているのか自分でもよくわからなかった。
不謹慎だけど、ガリーナさんに支えられていると女子の肌の温かさを身近に感じることが出来て、密かに嬉しい。この状態のまま、どれ程の時間が経っていたのだろうか。多少動かせるようになって、上半身を動かして起き上がると辺りはすっかり夕方の暗さに沈んでいた。
それにしても、こうしてみるとガリーナさんの瞳の色は、吸い込まれそうになるくらいに綺麗な瞳だ。少し回復して分かるのは、全身隈なく激痛が走り、とてもじゃないが歩くことは叶わないようだ。
「……痛むか?」
「か、かなり」
「ならば、ワタシは最後までアナタの傍にいるしか手段はないな」
「さ、最後?」
直後、僕の腰辺りにガリーナさんは手を伸ばしてきた。勢いよく、あっさりと僕の体を抱えた。これはもしや、世に言うお姫様抱っこというやつでは?
「ガ、ガリーナさん、あ、あ、あの。こ、これはさすがに……」
「問題ない。このまま宿へ連れてゆくぞ」
「マジで!? やばい、恥ずかしすぎる」
怪我人の様子を見守っていたギャラリーがいるというのに、怪我をしているとはいえ、ガリーナさんに抱っこされるとは思わなかった。
「なに、ワタシがついている。周りは気にせず、目をゆっくりと閉じて、精神を冷静に保つのだ」
ガリーナさんの言葉通りに、目を閉じ、周りの雑音を気にせずになすがままに、ガリーナさんに身を預けた。激痛と共に、僕は再び意識を落とした。




