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 朝は容赦なくやってきた。

 王后様の誘拐事件は解決してしまったのだから、休日も終わりだ。

 嫌だなあと思いながらも、身支度を済ませ、自室から出た。

 食堂に行って、朝ごはんを食べた。

 昨日の僕の行動は、まだ、みんなに広まっていなかったようで、変に注目されることも、からまれることもなかった。

 無事に食べ終えて、自分の隊の今日の仕事を掲示板で確認しにいけば、午前は訓練、午後は見回り、だった。

 訓練のときに、養父と顔を合わせてしまうだろうと思うと、巨大な訓練場に行くのが億劫だった。何を言えばいいのだろう。まずは、謝罪かなあ。次に昨日の行動の理由という名の言い訳。そして今後の自分の身の振り方を教えてもらおう。処罰があるだろうから。

 いつもよりもゆっくりと歩いた。

 ああ、行きたくないなあ。怒られるのは面倒だ。サーシャ以外の他人からの感情を受け止めるのは苦痛でしかない。


 訓練場に着いた。

 着いたと同時に、同僚に捕まった。総隊長が呼んでいると、ご丁寧に教えてくれて、僕が逃げないように連れて行ってくれた。困ったなあ。

 訓練場を見渡せる正面中央に総隊長である養父がいた。

 あははは、気まずいなあ。

「13番隊兵ロキナを連れてきました!」

 同僚の言葉にうなずいて応える養父。

 どうしようもないので、無表情で突っ立っている僕。

 なかなか話し出さない養父。

 いつもと様子が違う養父に戸惑う、周りの人々。

 うーん。どうしよう。これ。さっき考えた通り、まずは謝罪をしたほうがいいのかな。

 気まずい空気を無視するように、僕は口を開く。

「……申し訳ありませんでした。」

 微妙な間が置かれた後、養父は、

「なにに対して、謝罪をしている?」

 と訊くので、僕は、

「昨日、会議に乱入したことと、勝手な行動をとったことです。」

 と答えた。

「……まずは場を移しましょう。」

 養父の隣にいた総副隊長が提案した。

 移動しようと、した、そのとき、訓練場にだれかが入ってきた。

「ローナ!」

 サーシャ?!

「王后様?!」

 養父やその周りが驚きの声を上げる。


 布がたっぷり使われた品の良い服に身を包んだサーシャが目の前にいた。その服から見える肌はすべて包帯で巻かれていた。動きはぎこちなく、歩くたびに痛みが走るみたいだ。それなのに、ここまでひとりで、歩いてきたようだ。どうして。



 サーシャは僕を上から下まで見た後、笑った。

 大笑いし始めた。




「あっははははははは!  ほんとだ!  ローナが!  あははははははははは兵士をやっているなんて!  すっごく似合ってる! あはははははは」

「サーシャ! 笑いすぎだよ!」

「だって、あはははははははあー面白い!」

「サーシャ、きみは今は王后様なんでしょ? そんな風に人前で口開けて笑っちゃダメなんじゃないの?! おしとやかで気品あふれた美しい王后様だって噂なのに! ほら、みんな、びっくりして、口がふさがらないみたいだから! 笑うなら口元抑えて! 幻滅させちゃうから!」

「あーははははっ。わかった、わかったから」


 そう言って、サーシャはなんとか笑いを止めた。

 広い訓練場にいるだれもが、王后様の登場によって、動きを止めた。僕と王后様の会話を耳にして、驚いていた。


「あー笑った笑った。はぁ。ローナ、聞いたよ。キミが、ぼくを助けてくれたんだって。ぼくと同時期にお城に入ってきたロキナという子が、ぼくを見つけて救い出してくれたって聞いて、最初はロキナってだれだろう? って思ったのだけど、どうにも引っかかる名前だと考えたら、そういえばローナはロキナっていう名前だったなあって思い出して。ベッドから抜け出してきちゃった。久しぶりに、キミの顔が見たくなって。」

「十年前に一度名乗ったきりだったのに、サーシャは僕の本名を憶えていたの?  あのとき、ちゃんと聞き取れていたの?」

「まあね。ちなみにぼくの本名は教えていなかったけれど、サヤ、だ。とっくの昔に棄てた名なのに新しく考えるのが面倒で、今はまたそう名乗ってる。」


 サーシャことサヤは、そこまで言って、一呼吸置いた。


「ローナ。ぼくを助けてくれてありがとう。あのヒトたちはぼくをころしてくれないから、困っていたんだ。」


 ああ、僕がしたことは、間違っていなかったのか。


「そして、キミの前から姿を消してしまったこと、謝りたい。ごめん。」

「……!」


 僕の頬を伝って水滴が零れ落ちた。


「離すつもりはなかったのに、ぼくはキミの手を離してしまった。キミがこうやって兵士になってくれなければ、ぼくはキミに逢うことはもうできなかっただろう。」


 サーシャの手が僕の目元に触れる。包帯の隙間で触れたサーシャの手はあつかった。包帯が僕の涙で濡れていく。


「ぼくは手を離してしまった。だから、キミはもう、自由だ。なにをしても、いい。好きに生きて、いい。キミの空は、もうあの建物の隙間から見えるだけのものじゃなくていいんだ。」


 ぼくのためだけに生きなくて、いいんだ。


 そう言い放った。




「サヤ!」


 訓練場に騎士を連れたヒトが現れた。


「ヘイカ……?」


 王様だそうだ。


「サヤ、捜したよ。絶対安静だと言われていたのに、ベッドから抜け出してどうしたんだ? まだ動き回ると痛みがひどいはずなのに。」


「お礼を言いたくて……。」


 王様はこちらを向いて、納得したようにうなずいた。


「たしか、ロキナといったか。会議に急に入ってきたかと思ったら、無謀にも単身でサヤを助けてくれた者だったな。私からも礼を言いたい。」


 王后に続いて王まで現れたものだから、周りは騒然としている。


 別に僕は王様からの礼は必要ない。欲しくない。

 それよりも。


 僕は体勢を整えて、サーシャの前にひざまずく。こうべをたれ、両手で養父から返してもらった実父の短刀をサーシャに捧げる。

 できるだけ朗々しい声で宣誓をする。


「僕、ロキナは、サヤにこの身を捧げる。いついかなるときも僕はあなたの剣となり、盾となる。あなたの光となり、闇となる。僕の心と体はあなたのものである。僕のすべてをかけてあなたへの忠誠を誓う。どうか、この誓いを受け入れてください。」


 サーシャはゆっくりとまばたきをした。そして笑みを浮かべた。


 僕の首の鎖骨に近いところに、黒い細かい文字でできた環が浮かび上がる。


 契約が成された。


 そこにいた誰もが息をのんだ。

 僕がしたのは、この国に伝わる契約のひとつ。相手に一方的に自身を捧げる誓いだ。

 この国の誰もがこの宣誓に憧れ、そして恐れる。体から心、そして人生までもをその相手に捧げるのだ。捧げられた身は、捧げられた相手のものとなる。これは、誰にも、王でも覆すことができない。

 捧げる相手を見つけることができるヒトは非常に少ない。そして、その宣誓が成功することもほとんどない。成功すると、僕のように首に誓いの紋章が刻み込まれる。一度刻まれたら、この身は相手のものとなる。相手に逆らうことはできず、相手の鼓動を感じることができる。

 この宣誓が成り立つのは、捧げる側も捧げられる側も、どちらも心から了承しているときだ。自分は相手のもので、相手はそれを自身のものだと思っていなければ成立しない。

 小さい頃に親から教わり、憧れ、夢に見る。大人になれば、夢は夢で終わるのだと悟るヒトがほとんどだ。

 そんな誓いを僕は大勢のヒト、しかも王様の前で、この国の王后様となったサーシャにしたのだ。そしてそれは成立した。


 他のヒトの目にはどのように映ったのだろう。

 この前入ったばかりの見習いが、美しい王后様を前に舞い上がって一時の勢いで誓いを立てた、などという勘違いをされていないと良いのだが。


「どういうことだこれは……?」

 王は信じられないと呟く。契約が成されたことがまるでありえないことのように。

 実際、ありえないことだったらしい。このときの僕は知らなかったが、この契約は双方の魂の相性さえも吟味されるらしく、魂が合う相手は千万人にひとりの確率で、しかも相違なく宣誓をして受け入れる関係までいく相手であるのはもはやありえないと言って良いものだったらしい。

 そんな雑事を雑事に扱うのは我らが王后様。


「そうね。ちょうどいいかもしれない。ね、ローナがぼくの秘書になってよ。探していたところだったらしいからさ。……ヘイカ、この者、ロキナをわたしの傍に置くことをお許し願います。ロキナは物覚えが良く、器用であり、自ら考える頭もあります。足りないのはわたしが中途半端にしか教えなかった教養と腕っぷしだけです。鍛えてくださる教師をつけてくれませんか。」

 気安い言葉で僕にそう言い放ったかと思えば、王に対して要求を押し付けて見せる。

 ああ、どこにいても変わらずサーシャはサーシャだ。ひとつ異なる点があるとすれば、サーシャは王を特別な目で見ている、という点だ。サーシャに大事なヒトができるなんて、いったいだれが想像できただろうか。


「サヤ、その者を秘書にするのは構わない。教師もつけよう。しかし、ひとつ確認したいことがある。サヤとその者の以前の関係を詳しく教えてほしい。」

 訓練場に居合わせただれもが聞きたがっているその問。

 僕が口を開く前に、サーシャが言う。

「拾い物です。」

 その後に続く説明をだれもが期待したが、サーシャはそれで充分だと言わんばかりに口を閉じた。

 サーシャ、それは間違いでもなんでもないけれど、意味がわからないと思うよ。もう少しマシな回答はなかったのかい。ほら、王様が困っているでしょう。

 仕方がないので僕が口を開く。

「十年前に拾われました。僕がころされそうになっていたときに、サーシャが……サヤ様が助けてくれました。その後はきょうだいのように一緒にいました。僕とサヤ様の関係を正確に言うならば、師匠と弟子の関係です。」

 きょうだい、ししょう、でし、それなら、まあ、いいか、と王の唇は動く。

「子どもの体温は高くていい抱き枕でしたから。」

 王の目が点になる。

 サーシャ、わざわざ惑わすような発言は……ああ、サーシャの目がイタズラをするときの目だ。わざとか。しかたのないヒトだ。

「サヤ様、小さいときの話はしなくても良いのでは?」

「あら? 小さいときだったかしら。まあそういうことにしておきましょう。とにかくヘイカがお気になさるような関係ではありません。」


 ここでの会話はそんなところで打ち切られた。

 深い仲にあったであろうことは確実ではあるが、それが恋愛関係かと訊かれると困る。僕はサーシャのことを母のようにも父のようにも友達のようにも恋人のようにも思っていたから。すべての感情をサーシャに預けていた。反対にサーシャは僕にもなにも感じていなかったように思う。それこそ、「拾い物」だと思っていたのだろう。ただの抱き枕、呈のいい暇つぶし、便利な同士、そんなところだ。僕とサーシャは、ふたりでいるときの空気が心地よかった、ただそれだけの繋がりだった。


 その後、養父に危ないことに首をつっこんだこと、ひとりで突っ走ったことを怒られたり。

 王后奪還をよくやったと同僚たちに褒められたり。

 僕は隠密たちに裏道の走りっぷりと門番を誘惑したときの手腕を褒められて情報部隊に引き抜かれそうになったり。サヤのほうが上手いとバラすと、みな納得して去っていき、そのことでサヤから昔のように小突かれたり。

 王から直々にお礼をもらったり(後腐れがないだろうとお金にしてもらった)。

 サヤと僕の宣誓の契約が本当はありえるような確率ではないことを知ったり。その契約によって僕は永久にサヤのものであることが認められたり。

 あの美味しい飯屋兼情報屋の元にサヤたちと食べに行ったらマスターに迷惑がられたり。

 いろいろ、いろいろなことがあった。


 そして、僕は無事にサーシャことサヤ王后の秘書になった。秘書になるまでの壮絶な扱きは思い出したくもない。これで僕は名実ともにサヤのそばにずっといられる。それだけで僕はいい。もう少しがんばって生きてもいいかなと思える。サヤのそばであれば僕はもう迷子にならないのだから。

 サヤは僕のおかげか、取っ付き難いイメージは剥がれ、美しくてユーモラスもある親しまれる王后となった。年がら年中、王といちゃいちゃらぶらぶしていて僕らはうんざりもする。王といるときのサヤは良く口にする言葉がある。「しぬときはぼくをころしてから」そう言ってウインクをする。


 路地裏で今でも囁かれる噂がある。我らが王后様は、この薄汚れた裏路地でも白く妖艶で気高い王后だった、と。



おわり

完結です。

また違う視点のものはもっとギャグになるのですが書く予定はありません。


王后という呼称は王の正妻きさきという意味で使っていますが、まあ雰囲気で。軍の階級?などもファンタジーということで勘弁してください。


サーシャ(サヤ)は少々(前世?の)記憶がある設定があったので、ストリートチルドレンっぽくないチルドレンだったわけですね、たぶん。それにしては倫理観がぶっ壊れているのは……。


サーシャ(サヤ)もローナ(ロキナ)も王も、おそらくはっきりと性別の記述がない(ようにしたはず)なのですが、そこはどう捉えてくださっても大丈夫です。

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