表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

しにたいと言いながらしにたくなくてあらがっていたあのヒトは1

別視点

しにたいと言いながらしにたくなくてあらがっていたあのヒトは



 昔話をしようと思う。

 そんな遠くもなく、ほんの十年前の僕とあのヒトの話。


 僕は普通の家で普通に暮らしていた。

 父がいて、母がいた。

 父はお城に勤める下士官で、母は家で近所の子ども達をあずかって世話をする仕事をしていた。

 少しだけ貧しかったけれど、毎日朝と夜に食べるご飯はあったし、両親は僕に優しかった。家にも、外にも、一緒に遊ぶ子ども達がたくさんいた。近所のみんなも僕と同じような生活で、物はなかったけど笑顔があった。


 そんなただあたりまえのようにあった生活は、一瞬でなくなった。


 僕はその日、家から少し離れた空き地に僕はいた。なぜそこにいたのかは、今となってはもう忘れてしまった。たぶんだれかと遊んでいたのだろうと思う。

 真っ黒な煙がもくもくと空に広がっていっていたのを見た。

 家に帰れば、もうそこには僕の家はなかった。

 黒いナニかしか、そこにはなかった。

 僕の家だけではなく、近所の家もなくなっていた。

 火事。

 火事が起こって、周りにも広がってしまったのだ。

 僕は父と母を捜した。

 いなかった。

 その日は父は非番で家にいたはずだ。母もいつものように家で近所の目が離せない子ども達のお世話をしていたはずだ。

 知っている人はみんな燃えてしまった。

 一瞬で。


 僕は父と母を捜し回った。

 どこまでも。どこまでも。

 家、近所、よく行くお店、お城、知らない道、知らない場所。

 どこにもいなかった。

 見つからなかった。


 何日も何も食べずに歩き続けた。

 いつの間にか迷子になっていた。

 もう僕の家には帰れないほど遠くに来てしまった。

 たとえ、帰る道がわかったとしても、帰るべき僕の家はない。


 僕がなにもかも失くして、何日目だっただろう。

 へとへとに疲れて、お腹が空いて、知らないどこかの路地裏に座り込んだ。


 座り込んで、狭い空を見上げていた。


 その瞬間、わき腹にナニかがのめり込んで、僕の軽い体は地面に叩きつけられた。

 いたい。

 痛い。

 なに。

 顔を上げると、怖い顔をした男のヒトが僕のそばを通り過ぎるところだった。

 怖い。

 僕は突然の理不尽な暴力に怯えた。


 それから、その路地裏でじっとうずくまって寝ていると、時々だれかに蹴られたり殴られたりするようになった。

 暴力をふるってくるのは毎回毎回、知らない違うヒトだった。

 僕はそれまで子どもにこんな風に暴力をふるうヒトがいるなんて知らなかった。

 なぜこんなにも痛いのだろう。

 なぜ僕なんかを蹴るのだろう。

 怖い。怖いよ。おとうさん、おかあさん。

 たすけて。たすけて。


 お腹と背中がぺったんこしてしまうくらいお腹が空いた。

 そのうち、いつしぬのかなあと考え始めた。

 考えても、考えても、わからなかった。わからなかったから、もうどうでもよくなった。


 そんなある日、僕は大勢の大きくて怖い顔をした男たちに囲まれた。

 そして、殴られた。

 蹴られた。

 引きずられた。

 踏まれた。

 持ち上げられ、落とされた。

 飛ばされた。

 叩きつけられた。

 なすすべもない暴力の嵐の中、男たちは僕を嗤いながら聞いたこともない汚い言葉で罵った。

 ひとことで言って、僕は不幸にも、リンチにあったというわけだ。

 ああ、しぬんだな。

 僕は今ここで死を悟った。もう少しで楽になるんだとわかった。

 ああ、やっとしねるんだ。僕は迷子じゃなくなるんだ。母と父のところへとイけるんだ。

『はあ。邪魔だな。』

 僕の耳にそんな言葉が聞こえた。

 その言葉だけが耳に入ってきた。

 だれだろうか。異様に耳に残る声だった。

 僕はこんな声を出すようなヒトを知らない。

 僕にはもう誰もいない。

『ソレ、もういらないの? ぼくがもらってもいい?』

 不思議な声をしたヒトはそんなことを言った。僕をいたぶっている男たちを連れてきて、後ろでふんぞり返っている一際大きな怖い男に向かって。

 いらない。勝手にここに棲みついた邪魔モノだったからストレスの発散に少しばかり役だってもらっていた。持っていくならさっさと持っていけ。と、怖い男はそう答えた。

 その代わり、ここ数日間この場所を汚した代金をおまえが払え。と、いやな笑い声で怖い男は続けてそう言った。

『ふーん。べつにいいけど。三日後でいい? コレ、しにそうだから。』

 コレ、と僕の棒のように動かない腕を持ち上げながら、そのヒトはそう言った。

 ああ、それでいい。せいぜい楽しませてくれよ。と、ねっとりと気持ちが悪い声で答えた男はそこにいた男たちを引き連れてどこかへ行ってしまった。

 たすかった。

 たすかったのかな、僕は。

 わからない。

 けれど、理不尽な暴力は去っていった。

 痛みで動けない僕の体を引きずりながら、そのヒトは僕をどこかへ運んでいった。

『ここでいいか。』

 知らない路地裏でそのヒトの足は止まった。

 僕の腕を放し、道端に座り込んだ。

 ああ、静かだ。

 そこには僕とそのヒトしかいなかった。

 僕はなれない痛みに苦しみながら、まぶたを閉じて、近づいてくる暗闇に身をまかした。

『あ、ぼくを置いて寝てやがる。コイツ。』

 僕はコイツじゃない。ロキナっていう親にもらった大事な名前があるんだ。

『ん? なんか言ったか? ローナ? ああ、おまえの名前か。ローナっつーんだな。』

 ローナじゃなくて……。まあいいや。僕はローナ。今から僕は迷子のローナ。

 よろしくね、迷子のローナを拾った奇特で奇麗なヒト。


 くすぐったくて目が覚めた。

 目を開けると、僕を拾ったあのヒトの寝顔があった。

 そのヒトの髪の毛が僕の顔に少しだけかかっていて、くすぐったかったのだと理解した。

 僕は硬くて汚い地面ではなくて、なにかあたたかいものを頭の下敷きにしていた。

 膝枕をしてもらっていたみたいだ。

「あの……。」

 声をかけてみた。

 起きる気配はない。

 その寝顔に左手を伸ばしてみた。

 手が触れそうになる瞬間に、薄目が開いた。

「? ……ああ、おはよう。ローナ。」

 少しダル気で、でもどこか優しい声だった。

「おはよう……。ええと、」

「サーシャ。」

「……サーシャ?」

「ぼくはここらではサーシャって呼ばれている。キミもサーシャと呼んでいい。」

「うん。わかった。サーシャ。よろしく。そして、昨日はありがとう。あ、膝枕もありがとう。今どけるね。」

 起き上がろうとしたら、全身に痛みが走った。

 いたい。

 昨日の暴力によって全身が痛むみたいだ。

「そのままでいい。まだ動けないだろ。」

 崩れかけた僕の体勢をサーシャは元に戻した。

「どうして僕を助けたの?」

 気になっていたことをきいた。

「んー。なんとなく、かな。しいていうなら、ただ、しにたそうな目をしているなあと思ったから。」

 僕はそんな目をしていたのだろうか。そしてそれはあのとき初めて会ったヒトにまでわかるような目をしていたのだろうか。

「ところで、ぼくはキミを助けたわけなんだけど、その行動のおかげで、三日後……今から二日後にキミを殴りころそうとしたボスのところに弁償金を払いにいかなくちゃならなくなった。せっかくキミをぼくは拾ったのだから、ぼくはキミにすぐにしんでほしくない。でもキミはすぐにしにそうだ。だから、ぼくはキミにココで生きるためのやり方を教えようと思う。異論はある?」

「……ないよ。」

「じゃあ二日間よろしくね。もしもボスのところからぼくが帰ってこれたら、その後も面倒は見てあげるから。」

「帰ってこれたら? 帰ってこれないの?」

「ぼくがお金か、それに代わるような物を持っているとでも思う?」

「え?」

「ぼくはキミと同じだよ。なにももっていない。路地裏で落ちている汚いゴミだ。そんなゴミが払えるモノといったら、……なんだろうねえ?」

「な、なに?」

「ふふ。まあこの話はココで終わり。生きて帰れるかなんてぼくにはわからないから、この二日でキミにできるかぎり教えてあげる。生きる術を。」


 そのときのサーシャのなげやりな微笑みは、十年経った今でも覚えている。


 僕は膝枕をしてもらうのが好きだ。

 好きになった。あのとき、サーシャがしてくれたから。

 触れれば溶けて消えてしまいそうなほど、雪のように冷たくもろそうなその外見に対して、僕の頭皮に触れたその肌は明確な熱を持ち、確かにここにひとつの命が燃えているのだという安心感を僕にくれた。サーシャの膝枕は一生忘れないだろう。

 一日に一口の食べるものを見つけるのに苦労していた路地裏の子どもだったのだから、栄養なんてものは取れているはずもないので、決してサーシャの膝枕はやわらかくなかった。骨が当たって皮が薄いのが感じ取れた。

 けれども痛くはなく、むしろ心地よかった。

 あのヒトが、サーシャが、あたたかいのがわかったから。


 僕はとても幼かった。

 サーシャも僕とそんなに違わない歳のはずだったのに、サーシャは大人びていた。

 大人になるしかなかった。

 あの路地裏で生きていくためには幼いままではいられなかったのだ。


 僕がサーシャに助けられたあの後、サーシャは路地裏で生きていく術をすべて教えてくれた。

 路地裏特有の見えない決まりを無知な僕に教えてくれた。

 サーシャと出会う前の、僕がしばらく寝ていたあの場所は、居てはいけない場所だったようだ。あの場所は表から近く、ヒトがよく通る道で、しかも他人のテリトリーと被っていたらしい。だから、心やさしい人たちは通るときに警告として蹴ったり殴ったりしていってくれていたらしい。

 リンチされてしまったのは、そこのテリトリーを締めているボスに邪魔に思われて目をつけられてしまったからだった。

 無秩序な路地裏には秩序があった。

 僕はそんなことも全然知らなかった。

 僕はただの迷子だったから。

 知ろうともしなかった。

 周りで同じようにストリートチルドレンをやっている子たちや、怖い顔をして傷だらけの大きな男や変な匂いのする女たちを見ようとも思わなかった。周りを見てなにかを学ぼうとしなかった。

 生きるためにあがこうともしなかった。

 水さえ飲めば、数日は生きられると知っていたから、リンチにあうまでボーっとしてそこに寝っ転がっていることができた。

 それだけだった。

 迷子になってから僕は自分が生きる気力をも迷子にさせてしまったみたいだった。

 サーシャはそんな僕を救って拾ってくれた。迷子の僕の道しるべになってくれた。

 サーシャは他にもいろいろなことを教えてくれた。

 少しだけ動けるようになった僕を引きずるように連れまわして、生きるために必要なことを、幼い僕にもわかるように、何度も何度も言い聞かせてくれた。

 路地裏で生きるモノたちが通っていい道。入ってもいい廃墟。同じような子ども達が身を寄せているボロボロの建物。お金かモノさえあればどんなヒトにでもモノや食べ物を売ってくれるお店。残飯が捨てられている場所。お金さえあれば治療を受けられる病院。よく食べ物を恵んでくれるヒトが出入りする所。飲んでも大丈夫な水の得方。水浴びができる川。

 逆に、通ってはいけない道。場所。目をつけられるとヤバいヒト。そのテリトリー。路地裏の住人がしてはいけないこと。

 お金になるモノやお金を手に入れる術もたくさん教えてくれた。スリや盗みの仕方。その逃げ方。金品が残っていそうなお墓の場所。汚い大人が施錠してくれる危ない仕事の請け方。そのときの注意点。少年少女が中心のグループに身を寄せるときのルール。ウリの仕方。その準備と後処理。その相場。ヒトにモノを請うときの表情や態度の見せ方。

 最終手段としての、劣悪な環境の孤児院の場所も。

 他にもたくさんのことを教えてくれた。



 サーシャは約束の三日後になるまで、ギリギリまで僕に生きろと言っていた。

「生きろ。ぼくが拾ったキミは、ぼくのモノだ。簡単にしぬな。あらがって、自分の思うとおりに生きろ。ヒトとしての尊厳なんて捨てて、生に貪欲になれ。キミはぼく以外の誰にも縛られるな。他人の支配からすべて逃げろ。ぼくはしにたい。けれどもしにたくない。死が怖い。だから、ローナ、キミは生きるんだ。」

 サーシャの言うことは難しく、ほとんど理解できなかった。けれども、僕は生きなければいけないということだけはわかった。


 サーシャは僕を拾ってから三日後の朝にはいなくなっていた。


 そして、サーシャがいなくなってから三日後、サーシャは帰ってきた。


 ボロボロになって。

 

 僕を見つけると、気丈に笑った。


 奇麗だと思った。


 サーシャは奇麗で、気高かった。


 どんなに汚れていても、奇麗であった。


「サーシャ……。」

「ははは。あいつら、容赦ないのな。ほんと。今回こそはしねるかなあと思ったのに。生きちゃった。ローナにもう一度逢いたいなあと思ったらさ。」

 ここまで帰ってきちゃった。と、僕にすがりつくように抱きつきながらつぶやいた。


「サーシャ。おかえり。帰ってきてくれてありがとう。」

「うん。ローナ。ただいま。待っててくれてありがとう。」


 それからはふたりで助け合いながら路地裏で汚く生きた。

 ほとんどサーシャに頼り切って生きていたけれども。




 サーシャとそうやって暮らして、何年経ったときだろう。おそらく十年くらいだった。


 ある日、サーシャが僕の元に帰ってこなくなった。


 僕は捜した。捜して捜して捜し回った。

 親を捜し回ったように、また同じように、捜し回った。

 見つからなかった。

 ただ、情報は手に入った。

 サーシャは、お貴族様に連れ去られた、らしい。と。


 僕はまた迷子になった。

 けれども今度はなんとか生きていくことができた。

 サーシャが教えてくれたことを糧に、しんだように生きた。


 ひとりになって何日か経った、そんなある日、僕は捕まった。

 近々こちらの地区の路地裏のテコ入れをすると聞いていたにもかかわらず、サーシャがいなくてどこか腑抜けていた僕は、あっさりと捕まってしまった。

 この国は福祉関連の対策に熱心だと、サーシャは言っていた。そのため、こういったスラムにいる無職な僕らを定期的に取り締まり、捕まえて、保護や仕事の施錠を行っている。それは良いことなのだが、悪いことをしているヒトは、それで捕まればそのまま処刑。路地裏に住むような僕らは当然、盗みや犯罪をたくさん犯している。そういったやつらしかいないのが路地裏なのだから、テコ入れが行われるときは他の地区や安全な場所に隠れているのが普通だ。それなのに、今回、僕は隠れきれなかった。

 サーシャがこれを知ったら、バカにしたように笑うだろうなぁとぼんやりと思った。

 兵士のひとりが、僕の顔をまじまじと見ながら、こんなことを言った。

「おまえ! ロジーナか!? いや、違う! あいつは火事で死んだから、……そのひとり息子のロキナか!」

「ロジーナ……おとうさんを知っているの?」

 ひさしぶりに父の名前を耳にした。

「やっぱり! そうかそうか。あの火事の日に、息子の死体だけが見つからなくて、探してたんだよ。生きてたんだな、本当に良かった。」

 そういって、その兵士さんは泣き出した。


 その後、僕の父の知り合いだったというそのヒトに僕は引き取られた。

 引き取られたというよりは、後見人になってもらって、見習い兵士にならせてもらった。


 というワケで、僕は盗みもウリもせずとも生きていけるようになった。

 見習いといえども、きちんとした職について、食べる物も寝る場所も着れる服も、わずかながらのお給金ももらえるようになったのだ。



 そして、その何か月か後、今、僕の目の前には、この国の王后だという、美しいヒトが、サーシャの顔とソックリなヒトが、サーシャと同じように、僕を見て…………大笑いしている。

 どうしてこうなった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ