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本編



 ぼくをしなせて。


 そうぼくは言った。

 あなたは目を見開いた。奇麗な瞳がこぼれ落ちてしまいそうなほど大きく。

 反対にぼくは目を閉じた。そのままずっと目を覚ますことのないように、と。


 ああ、大切な人に、恋人に、死を乞われるのは、果たしてどんな気持ちなのだろう。

 ぼくが求めるのはぼくをころしてくれる人だ。

 この愛する人に初めて求めたのが、ぼくの死だなんて、ぼくはなんてヒドくてズルい愚か者なのだろう。



 ぼくはずっと死を願って生きていた。

 生きていてもなにもなかったから。


 毎日だれかに暴力を振るわれていた。

 理由はない。

 ただ、ぼくにはなにもなかったから。

 なにも、親も、兄弟も、友人も、保護してくれる人も、なにもいなかった。

 だから、汚いどこかの路地裏で、ボロ雑巾のように、ゴミのように、小さく小さく転がっているしかなかった。

 口にするものは泥水とだれかのゴミ。

 いつも汚れていて、雨が時々それを洗い流してくれる。

 やせ細って、傷だらけで、異臭がする。

 ゴミのようだった。

 ゴミだった。

 それがぼくの日常だった。

 ココに生まれてからの当たり前だった。


 ただ、ぼくはそんな日常でも、怖れていたことがひとつだけある。

 死、だ。

 しぬことだけはできなかった。

 苦しくて辛い日々なのに、それから解放されたいと何度も思ったのに、しぬことができなかった。

 なぜなら、怖かったから。

 怖かった。しぬことが。とても。とても。



 数ヶ月前に、ぼくは囚われた。

 ゴミがまるでヒトのようになった。

 体を隅々まで洗われて、温かくて美味しいものを食べさせられた。

 まともな服を着させられ、雨を防げる屋根の下でふわふわの布団で寝た。

 そして言われた。


 オウキュウに行って、ヘイカに嫁げ。


 と。

 オウキュウはあの大きくて立派な建物のことだという。

 ヘイカというのはその建物の一番高いところに住んでいて、さらにここらへんで一番エライ人であるという。

 嫁ぐというのは、側に住んで、身を献げることだという。


 逃げる機会をうかがっている間に、オウキュウへ行く日が来てしまい、ぼくはオウキュウへ行った。

 その建物は外見を裏切らず、中も大きくてキレイだった。壁や床がピカピカしていて目が痛いと思った。



 ヘイカを初めて目にした。



「伴侶はいらないと、何度言ったらわかるんだ。」

「そうおっしゃらずに。ほら、美男美女がよりどりみどりですよ、陛下。」

「この中から王后になる者を選べ……か。テキトーにひとりだけそっちで選べば良いものを。」

「まあまあ、いいじゃありませんか。陛下にはお世継ぎは求められていませんからね。軽く考えてくださいよ。」

「それにしても、百人は多すぎだろう。」

「いやいや、そんなことありませんよ。王の伴侶を、と貴族たちに募ったのですから、これくらいの数で当然ですよ。むしろ少ないくらいです。」


 ヘイカはひとりひとりの顔をちょうど二秒ずつ見ていく。二百秒経って、静かにこう告げた。


「……前から二番目の一番左端、そなたを伴侶とする。以上、ここに集まった者は解散だ。家に帰ってもらおう。」


 指されたのはぼくだった。

 前から二番目の端っこにいたぼくをヘイカは指差した。

 状況をうまくつかめなくて考え込んでいたら、いつの間にか大きな部屋には、ぼくとヘイカとその隣に男の人ひとりと銀色の甲冑を着た人たちしかいなくなっていた。


「すまなかったな。急に伴侶に決めてしまって。嫌だったか?」


 ぼくの目を覗き込みながら、ヘイカはぼくを気遣う言葉を言った。


「……いいえ。」


 そう、答えるので精一杯だと装った。


「そうか……。まあ知っているとは思うが、俺の名前はアレクセイだ。あなたはアーシャと呼んでくれ。あなたの名前は?」

「……サヤ……。サヤ・ナータリカです。」

「サヤ……珍しい名前だな。ナータリカ家の者か。あそこにこのような美しい者がいただろうか……まあ、よい。サヤ、安心しろ。王后といってもなにもすることはない。俺は数年の間の捨て駒の王だからな。ささやかな贅沢でも楽しんでくれ。俺の相手もしなくて良い。なにか欲しいものがあったら、聞いてやろう。あなたに不自由はさせないと約束する。」

「……はい。」


 そうやって、ぼくはあなたの側にいる権利をもらった。


 そこからの生活は今まで味わったことのないものだった。

 ピカピカとした部屋で、ピカピカとした服を着て、ピカピカとした食事を毎日した。

 ぼくなんかをお世話する人も何人もついた。

 ただ、お風呂のお世話だけは断った。

 ぼくをオウキュウに寄越した人に言われていたからだ。他人に肌を見せるな、と。

 消えない傷が大量についていて、気持ちが悪い肌をしているんだそうだ、ぼくの肌は。

 もし万が一にもヘイカに寵愛を受るようなことがあって肌を見せたら、昔、事故にあったから、とでも言い訳しておけ、などと言われている。

 間違っても、ナータリカ家で虐待を受けたとは思われないようにしろとも言われている。

 そして、ぼくがスラム出身であることは秘密だと。



 オウキュウに来てから数日経って、この生活にも慣れてきた。未だに逃げ出す機会をうかがっていたが、なかなか難しかった。

 ヘイカは誰かになにか言われたのか、毎日、夜寝る前にぼくとお話しする時間を設けるようになった。

 ヘイカがお酒を一杯呑む、ほんのすこしの時間だけだったが、ぼくには長くてどうしようもなく無意に過ぎていく時間だった。

 無意だったはずだった。

 数日経ったとき、気がついた。

 ああ、自分はヘイカと過ごすこの時間が、嫌いではない、と。

 気がついてからは、物事がもっとはっきりと理解することができた。


 いつの間にか、どうしようもなく、惹かれていた。


 このヒトにならば、心を預けても、いい。


 自分を受け渡しても、いい。


 ころされても、いい。



 ぼくは、あなたを、愛したい。あわよくば愛して欲しい。




 今日もまた、ヘイカとの逢瀬の時間がやってきた。

 初めは無言だったのに、今では少ない言葉を交わすようになった。


「ヘイカ、今更ですが、ぼく……わたしは、あなたのことを、好いているようです。あなたに、恋、というモノをしているのだと思います。」

「……そうか。サヤ、俺は落ちぶれている王だ。未来はない。そんな俺でもいいのか?」

「はい。あなたがあなたでいる限り。お側にいたいです。」


 そして、ぼくをころして欲しい。あなたの手で。


「では、俺もあなたを愛そう。」

「はい?」

「サヤ、どうやら、ここ何日かずっと考えていたのだがな、俺は、その、あなたのことが嫌いではないようだ。むしろ、あなたと同じく、好きなんだと思う。だから、その、な?」

「はあ、はい」

「あなたを愛そうと思う。恋人になってくれ。」

「……はい」

「すでに書類上では結婚しているのに、恋人はおかしいかな?」

「いいえ、先ほどの言葉を聞いて、とても嬉しく感じました。ありがとうございます。」

「ああ、その、えっと、これからよろしくな。」

「はい、こちらこそ。」


 ヘイカは始終照れていたように見受けられた。

 ぼくの身の回りのお世話をしてくれている人に、この会話を要約して話したら、ヘイカはヘタレだと言っていた。ヘタレならばしかたがない。



 慣れない生活に息がつまりっぱなしであったが、ヘイカに会えることを糧に楽しく生きれた数ヶ月だったと思う。



 ヘイカと恋人になって、すこし経った。

 だんだんヘイカとは甘い触れ合いが多くなってきたとおもしろみを感じていた矢先だ。


 ぼくは誘拐された。らしい。


 前に路地裏でぼくを良く蹴ったり、乱暴したりしてくる人たちに雰囲気が良く似た人の形をしたなにかに、そう教えてもらった。

 ぼくはヘイカの邪魔だそうだ。

 陽の当たらない牢に入れられて、裸にされて、また路地裏にいた頃と同じ扱いをされた。

 ゴミのような食べ物に、雨の代わりにかけられるバケツの水。

 殴られ、蹴られ、口や穴には臭い棒を入れられ嬲られる。時に刃物で切られ、火で焼かれる。


 ああ、もう、ぼくはいいや。


 ぼくはあのあたたかなオウキュウにいていいのか、常々疑問に思っていた。最初は逃げ出そうと思っていたのに、いつの間にかしがみついていた。ココに居たい。けれども、居られない。

 ぼくにはなにもなかった。

 いや、なにもない。

 ヘイカは愛してくれると言ってくれたが、本当は邪魔だったのだろうと思う。

 考えてみれば、すぐにわかる簡単なことだ。

 ヘイカは頻繁に数年間だけの傀儡な王だと自分を揶揄していたが、ぼくから見てもそんなことはなかった。国の代表としての仕事をこなす優秀で立派な王だ。

 そんな王が王后にと選んだのが、こんな貧相で使えないぼくだとしたら、だれも納得しない。ぼくが本当は貴族の子ではなくて、孤児であることは、調べればすぐにわかることだ。

 ぼくをオウキュウに行かせたあの貴族は、ぼくのことがどうでもよかったようだった。ただ単に数合わせでオウキュウに生贄として行かせたゴミがなぜか正室になってしまい、貴族さんも驚いただろう。

 ぼくのお世話をしてくれていた人たちの中でも、ぼくが実は平民以下だということを噂している人たちがいたことはぼくも知っている。

 ぼくなんかが知っていることは、もちろんヘイカも知っていただろう。

 それでも、ぼくを愛そうなどと、ぼくの言葉に合わせて言ってくれたのだから、ヘイカはとても優しい人だ。

 優しすぎる、人だ。


 そんな優しい人の邪魔をぼくはしていたのだから、ぼくが今受けているこの終わりの見えない暴力は、ぼくへの罰なのだろう。

 罪を償うための帳尻合わせなのだろう。


 ああ、でも、ぼくは、もう、しにたい。


 苦しい。痛い。気持ちが悪い。

 だんだん、自分が人ではなくなっていくようだ。

 元のゴミになっていくようだ。

 ゴミであったときはここまで絶望してなかった気がする。

 ぼくはヘイカを愛してしまったから、こんなにも不幸を感じているのだろうか。

 偽りでもヘイカに愛されていた感覚を知ってしまったから、こんなに辛く感じるのだろうか。


 罵倒がぼくの心をえぐる。

 暴力がぼくの体をえぐる。

 強制的な快楽がぼくの汚さをあらわにする。


 もう、いやだ。

 もう、しにたい。

 でも、怖い。

 しぬのは、怖い。

 ああ、しにたい。

 ぼくを、ころして。

 ぼくに、死を与えてくれるのが、ぼくが一番愛した、ヘイカなら、ぼくは、しあわせだ。

 それが一番のしあわせ。

 ぼくの無上の喜び。


 贅沢すぎるかな。

 死を求めるなんて。

 でも、ぼくはこんな汚いぼくを一生赦せないだろう。

 汚いぼくを、愛するあなたに見られたくない。

 奇麗なあなたには、こんなに汚いぼくの姿を見せたくないんだ。


 だから、だから、ああ、愛おしいあなたの姿が目の前に、なぜ、どうして、やめて、見ないで、おねがいだから、


 ぼくをしなせて。




 長い間、真っ暗な水の中を漂っていた。

 そこに光が射した。

 ああ、ぼくは行かなきゃいけないの。

 ぼくを寝かせていてくれないの。

 だれかがぼくを呼んでいる。



 光が目に飛び込んできた。

 ああ、ああ、ヘイカだ。

 ぼくの大好きな、愛しているヘイカだ。


「あの……。」

「サヤ? サヤ? ああ、よかった。よかった。本当によかった。目を覚ましてくれてよかった。痛いところはないか? おかしいところはない? 水飲む? ああ、食事もとらないと。」

「ヘイカ……。」

「ああもう陛下じゃなくて、アーシャって呼んでっていつも言っているのに。サヤ、今医者を呼んでくるから。」

「アーシャ。」

「なあに?」

「アーシャ。ぼくをしなせてよ。ころしてよ。おねがい。おねがいだから。もう、ヘイカの邪魔にならないように。それにぼくは、汚いから。あなたに、ぼくを、ころして欲しい。」

「……サヤ……サヤ。」


 ぼくはひどくしゃがれた声で懇願した。

 ポタポタとあたたかい涙がぼくの顔に落ちてくる。

 ヘイカが泣いているのを初めて見た。

 困ったな。ぼくはいつしねるのだろう。


「サヤは邪魔じゃない。サヤは汚くない。サヤには死んでほしくない。生きてほしい。俺の側にずっといてほしい。わがままな俺でごめんね。ごめんね。俺はあなたをころせない。」


 嗚咽の中で言われるその言葉はぼくのこころに沁み込んでいく。


「ヘイカ……アーシャ、ぼくはなにも持っていない。ぼくは孤児だ。貴族でもない。ぼくはとても汚い。奇麗なヘイカが触れていいようなものじゃない。そんなぼくが救われる道があるのだとしたら、あなたにころしてもらうことだとぼくは思う。」

「そんなことはない。貴族でも貴族でなくてもなんでもいい。俺はあなたがいい。俺と一生一緒にいてくれないと、俺はいやだ。」


 なにを言っても、ヘイカはいやだいやだと言い募る。

 押してダメ、引いたらもっとダメ。

 ぼくはどうすればいいのだろう。

 どうしたら、しなせてもらえるのかな。


「周りの人はきっとぼくがいないほうがいいと考えてる。あなたがころしてくれないのなら、ぼくはここから出て行く。」

「なら、俺も一緒に出て行く。」

「え? それはダメ。」

「どうして?」

「だって、ヘイカは良い王様なのに。」

「そんなことない。愛する人ひとりをも守れない愚図な王だ。」

「だったら、ころしてよ。ぼくはあなたにころされれば、救われる。」

「それはできない。絶対に。いやだ。」


 これじゃあいつまでも平行線だ。

 ぼくは口を閉じて、目を閉じて、眠りについた。

 ヘイカはそんなぼくを飽きることなくじっと見ていた。


 疲れた。しねないみたいだ。

 ああ、残念だ。

 愛しい人にころしてもらえると思ったのにな。

 ああ、そうか、ヘイカはヘタレだったっけ。

 なら、仕方がないな。

 ぼくは、しぬことをあきらめよう。



 赦されるのなら、汚いぼくが、世界で一番奇麗なあなたと共に生きていこう。



 次に目を開けたときには、あなたの愛称である、アーシャと呼んで、笑いかけよう。




 そして、共に生きるんだ。あなたと。あなたがぼくをしなせるまで。






 おわり

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