瑤子とのこと
直接ではなく、間接的に続くつながりの面白さ。
小学部が終われば中学部が始まるその間20分、小腹を満たす程度にして7時15分から9時30分まで一気に走る。週1の授業とはいえ、二時間分行う。生徒を飽きさせないためにどうすればいいのか。生徒はシビアだ。勉強に関係ないことをやると喜ぶが、それだけだったら「授業料」に見合う対価を与えることができない。かといって、予備校の講義みたいになったらついていけない。大学の講義だったらもっとだろう(自分が付いて行っていないと仁は常に思っていた)。難しいのは「大学生」が先生をしているのではない。大学を出た人が先生をしているという形で話を進めていく。中には、いかにも自分は大学生ですという態度の人もいた。六大学の人もいたから一概にダメともいえない。浪人をした仁にとってもう卒業してもいい年に差し掛かっていたから大学生でないは通じる(年というだけも)。それに、ここで3年も過ぎれば古株になっているから社員さんと変わらない。社員で新任の人の場合は、自分よりも年下の可能性もあった。中学生は、特に人を見る。面白いことに、学歴をはっきりと言えない立場だと大学のレベルよりも生徒に対するアプローチが信頼度にかかわってくる。レベルの高い大学に入った人が生徒にとっていい先生とは限らない。特にできない生徒にとっては、できるのが当たり前という接し方をする先生は不評だった。そういう先生は、たいてい受験レベルの高いクラスを受け持っていた。
小学部から中学部に上がってきた生徒は、特に先生に対する要求は高い。勉強をするためと割り切っているところもあるが、中学受験を経験した生徒にとって受験は、常に追い立てられる存在になっていた。今度は、失敗できない。受験した中学の高校レベル以上の学校に入るのは、絶対だったそれが「失敗」を取り戻す方法だった。その中で、小学4年から続いている瑤子は塾に通うために塾に来ている子だった。勉強以外に面白いことがないはずの塾に通うことが楽しいらしい。勉強が好きというわけでもない。仁が初めて持ったクラスに入ってきた少女だったが、最初からにこにこ笑って「中学受験はしない」と話していた。だから6年生になっても受験するクラスに入らないで、公立中学でしっかりやるために、小学校内容を固めるクラスにいた。それでも熱心に勉強をするわけでなく、何度となく親は、塾をやめさせようとしていた。周りがみんな受験する雰囲気の中、小4から入塾している中で受験をしない子は、瑤子のほかに数名いるだけだった。他の子たちも受験だけは、しようかと考えているところもあった。他の子たちが中学受験であたふたしている中で週2回の塾通いを続けていた。古株だけに新しく入ってきた子にいろいろと教えていた。仁の情報も彼女からだいたい吹き込まれていた。瑤子に好かれていた仁は、そういう意味では、最初にいい情報を入れてくれたおかげで授業はやりやすかった。がつがつしなくていい分気が楽だった。小学部は基本持ち上がりで授業をしていたから瑤子が6年まで持ち上がって教えていた。中学部になるとそれぞれの学年担当が付くようになる。このとき仁は、中3の中のクラスを中心に持っていたので、瑤子が中学1年の時には、授業を持たない予定だったし、その通りになった。中1から新しい先生に持ってもらったほうが最初に中3を持つよりもいい。それに、先生のサイクルは、だいたい2年だった。そこで、仁は、たいてい3年生を中心に動かすことになる。5年目になっていた仁にとっては、いつ辞めてもおかしくない状況になっていた。卒業生を毎年出している感じになっている。実際今年で終わりにするつもりでいた。この時点では、教職一本に絞っていたので、他の職種の就職活動をしていなかったし、それどころではなかったが。週5日の塾と週2日の私立高校の非常勤講師そして、大学も週4日入っていた(実際は、2日行けばよかったが)。瑤子に、なんで教えてくれないのと妙な抗議をされたときに、瑤子を教えることはないだろうなと思いながらも来年か三年になったらという感じでごまかしていた。
中学でも瑤子は、中くらいのクラスだった。がつがつ勉強する気のない彼女には、ちょうどいい位置なのかもしれない。ほとんど老名の主の感じで、彼女が知らない先生は、ほとんどいなかった。彼女の目を通して先生の情報が流れている。時々、補講という形で彼女のクラスに入った。その後、予想に反してもう一年続けることになった時は、予定通り瑤子のクラスも持つことになる。この時も、しれっとした顔で、言ったとおりになっただろうといいのけた。仁には、焦りはなかったが、このままここで社員になる気はなかった。やりたかったのは、勉強だけを教えることではなかった。それを教えてくれただけでも自分には目的が持てた。大学自体は卒業したので、非常勤と週5の塾だけになった。やろうと思えば、教職の勉強ができた。そんな甲斐があったのか私立の高校へお誘いがかかった。人事のことなので、どうなるかわからないが、ここで空気を換えるのにちょうどよかった。
瑤子たちには、なぜかいつの間に伝わっていた。ただし、瑤子は、授業が外れた時みたいにすぐ飛んでくることはなかった。実際まだ授業は続いていた。いよいよ最後になる週についでという感じで、「約束破ったから次の授業の時に住所教えて」となげかけて去っていった。以前に、住所教えろと言われていたが、塾にいる間はだめ、卒業したら教えると逃げていた。実際中三の生徒におしえたことはある(といってもカードに書いてくれということだったので)。瑤子が卒業する前にこっちが卒業するのだから約束破りと言えばそうだろう。少しずつ瑤子から受験について相談を受けていた。というよりも、どちらがついでかわからないが。当時携帯もなく、通信手段は電話しかなかったので、直接のやり取りはまずいけれど手紙だったらと目をつぶっていたところもあった。他人の個人情報を流すわけにはいかないが自分のであれば自己責任であった。それに、塾を卒業した生徒がそのまま大学に行き、戻ってきてくれればうれしい。そういうつながりを持てるほうがもしかしたら、子供の代にもどってきてくれるという目論見もあっただろう。個人的な付き合いは、だめだが(それも社員以外規定はなかったが)仲良くすることに対しては、ゆるやかだった。生の情報が分かるのも魅力だった。面白いことに、瑤子とは、仁が卒業してからのやり取りのほうが頻繁になったかもしれない。といってもほとんどが報告だった。仁にとっての新しい生活と瑤子の生活と。リンクすることはなかったが、それぞれの世界で生きていることを確認しあうだけでも共有した空気を思い出せる。塾に通うことが好きな女の子は、塾の空気をいつまでも吸い続けていたかったのかもしれない。そんな空気が作れたことを仁は誇りに思っていた。彼女との手紙は、年賀状だけだがいまだに続いている。こういうつながりもありだな。とつくづく思う。
何というわけではないか、昔を知っている人とのやり取りは、時代がたってもその時に戻ることができるタイムマシンだ。