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日和見駅前塾物語~エピローグ  作者: 山名 まこと
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安定を求めて

 自分の生きてきた中で、いくつか分かれ道があるけれど、小さいことの積み重ねがその分かれ道を作っていったのだろうと思う。

その電話は、面接から帰ってすぐに来た。

 「もしもし、こちらは、優心アカデミーです。水上仁様のお宅でしょうか。」

 仁は、もう来たかと思い、こんなに早く来るのは、やはりだめだったのかというあきらめとこんなに早く結論が出るのは、最初から決まっていたのかというちょっとした憤りをこの電話のあいさつのうちに覚えた。ただ、内容は、全く面接と関係ないことだった。

 「はいそうですが」

 「つかぬことをお伺いいたしますが、当所にお忘れ物をなさらなかったでしょうか」

 「どういうものですか」

 「たぶん、お札か何かを入れる財布みたいなものだと思うのですが」

 「少々お待ちください」と仁は、自分のカバンをごそごそあさった。

 「申し訳ありません。私のものです。」

 「さようですが、お預かりしておりますので、お時間がございます時にお越しください」

 「わかりました、すぐに伺います」ということを聞いて、相手は、少し慌てたように

 「いえ、そんなにお急ぎになさらなくてもいいのですよ」と言った。しかし、仁は、すぐにでも飛んでいきたかった。

 「でも、早いうちに参ります」という言葉に相手も、あきらめた様子で

 「それでは、お待ちしております」と返答をして電話を切った。


  アルバイトの募集を雑誌で見て、応募をした。1時から試験と面接を行い、帰ってきたのが4時過ぎだった。土曜日の午後なので、何もないとのんびり過ごしていたのが、また行く羽目になるとは。通学定期があるのとここから直通であったら30分もかからない場所にあったので、すぐに「財布」を回収に行った。

 財布といってもボロボロの札入れだから正確に言うと確かに「財布のようなもの」だった。年も押し迫ってきて、今年は、ちゃんとしたアルバイトも決めていない中で少しずつ使おうと、札と小銭を別々にして持っていた。ちょうど札がなくなったので、カバンに放り込んでいたところ履歴書を出すときに飛び出してしまったのだろう。お金を落としたわけではないが、何も入っていない財布を見られる恥ずかしさはあった。

 今日、二回目の訪問だ。1時の時は、あまり人もいなかった。午後5時を過ぎたあたりだとさすがに子供と先生たちで活気がある。人がいなくなるまで少し待つことにして、中の様子を見ていた。ここで働いている人たちは、みな白衣を着ている。白衣を着ていない人は、事務の女性くらいだ。駅前の横断歩道やここに自転車で来ている人たちの整理をみんなで行っていた。こう見ると、お医者さんでもなく、どちらかというと、実験をしている科学者に近い印象を受けた。時間が過ぎて、一斉に皆が建物に吸い込まれている。5階建てのビルだろうか。その全館に教室がある。小学生と中学生がここで勉強している。今の時間帯は主に小学生だが、中学生の姿も見える。この時期だと受験を控えた3年生だろうか。カウンターで担当の先生らしき人と話をしている。仁は、ようやく中に入る勇気を持てた。すでに10分以上がたっていた。暖かい恰好をして家を出たがやはり寒さは身に染みる。さっさと受け取って帰ろうとした。たぶん、電話をしてくれた女性だろう。名を告げるとすぐにわかったようで、ものを持ってきてくれた。「確かにそうです」といって受け取った。他には何もなかった。試験の結果は、後日ということだったので、あえてここでは、何もなかったのだろう。だめだったらだめでこのまま終わりにしてもいいのだが、もしかしたら、ここへも来ることもないかなと思った。受付の女性は、必要以上にニッコリしている気がした。やはり、話題になっているだろうなあ。どう見ても「ぼろぼろの布」でしかないものな。

 ここ「優心アカデミー」は、関東の中では、大手の塾に入る。有名中学高校への進学をうたっており、S県では、成績上位の生徒を伸ばす塾としている。とアルバイト雑誌には書いてあった。実は、半年前に受けており、その時は、「数が足りている」ということで断られてしまった。そこであきらめればいいのだが、アルバイト雑誌に自分の担当できる強化募集ということで、この日和見校舎での二回目の募集をした。これでだめならもうあきらめよう。そして、先生になることも無理だと思うしかないな。

 先ほどの白衣を着ていた人は、やっぱり高学歴なのだろうか。自分は、こうとは言えない大学で、入れたから入った学部をなんとなく続けている。志の上から「先生」にふさわしいといえないという自覚はあった。ただ、学部の関係上「先生」がどうしても多くなるし、ほとんどが教職課程を取っていた。いままで数々のアルバイトを行ってきたが、やはりここらへんで、「先生」関係のアルバイトをしたい。アルバイト雑誌で探したところ家庭教師は、学歴がものをいう感じだ。だから、塾でなんとか合格したかった。なんせ、今の大学以外全敗をしていた。前回も落ちている。落ちることにあまり落胆はしないが、アルバイトがないのは、ちょっと困る。とりあえず、今年度までは、学費を納められたが、次年度の学費のために少しずつでも今からためておきたい。それに。今でも信じられないのだが、彼女もちになり見通しを持った生活もしていきたい。彼女は、明確にやりたいことがあり、自分は、やりたいことがない。守りに入ろうとしていたのだろうか、日常的なアルバイトを望むようになっていた。今まで通り、短期集中のものだったらきっといくつもあったと思う。無謀な賭けに近かったかもしれない。だから、忘れ物の電話でももう終わったと考えてしまった。にっこりと笑う事務の女性の顔を最後にこの校舎ともお別れだと考えたのは、そんな経緯からだった。

 次の日に違う人の声で、電話がかかってきたときも同じだった。今度は忘れものではなかった。

 「水上仁さんのお宅ですか。わたくし優心アカデミーの今坂と申します。先日は、講師の応募をいただきありがとうございます。早速ですが、今後のことについてご相談をいたしたいので、本校においでいただく日程を調整したく思いご連絡差し上げました。」

 「えっ、はい。それでは、これからまいります」と即答したが、相手は、慌てた様子で、

「いえいえ、今すぐというわけではないので、そうですね、来週の土曜日の午後1時でどうでしょうか」と言い直した。

「よろしくお願いいたします」

「それではお待ちしております。失礼いたします」と電話が切れた。

 はたしてこれは、受かったのだろうか。でも、だめだからわざわざ来週来てくれとはいわないだろう。前回は、二日後に手紙が届いて、履歴書と「講師が足りている旨」の簡単な手紙が入っただけだった。

 あっさりと受かったような、ようやくたどり着いたような不思議な感覚だった。財布の忘れ物がよかったのだろうか。空っぽだったから、「お前がとったのでは」といちゃもんを付けられないためにとりあえず話だけは聞いて丁寧にお断りされるのだろうか。ここまでくるとネガティブ発想しか起きないがそれでも光明が見えた。響ちゃんにも連絡ができる。きっと喜んでくれるはずだろう。ぬか喜びにならないことを祈る。彼女と正式に付き合い始めてもうすぐ一年がたとうとしていた時期だった。

 それは、安定への始まりではなくて、波乱の幕開けであり、今につながる自分の生き方の原点になる出来事になった。誰かのために働こうとした最初のものになった。

 何が正しいかと考えてもみない時代だった。




 なるほど安定したかったのかもしれない。一定収入の魅力は、ちゃんとした収入だろう。高くなくても確実に。でもそれが、波乱を生むのだから皮肉なものだ。そんな皮肉な結果に今も従っている。それを楽しめるといい。

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