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氷花葬送

作者: 由木遥佳

「あぁ、これはまた派手にやったね」

 頭の天辺から足の先まで真っ黒なローブに覆われた人間はあきれたように呟いた。見下ろす先、毛の厚い敷物の上には、いくつもの死体が転がっている。

「だって、僕の世界を壊そうとするから」

 傍らで頭を抱えながら呟いた男に、ローブ姿の人間はあきれた視線を向けた。とうに三十路は越えているはずだが、まるで子どものようだ。

「まぁ別におれはこまらねぇからいいけど。また補充すればいいんだし」

 それに、ここには素材もそろっている。

「……なぁ、コルニクス。僕のしていることは間違っているか?」

 男に名前を呼ばれ、ローブ姿の人間――コルニクスは振り返った。柔らかな笑みを浮かべてみせる。

「間違っているものか。ご主人様のやっていることは正しいよ」

 コルニクスの甘い言葉に、頭を抱えていた男は表情をゆるめた。コルニクスは直ぐさま男から視線をそらすと、階段を下りて死体に近寄る。

「こいつはまだ使える。こっちはだめだな」

 一つ一つ死体を確認しては、額に印を付けていった。すでに印を付けられていたものにも、上書きしていく。焼け焦げているものが多く、使えそうなものは少ない。最後に残しておいた一つの死体の前で、コルニクスはしゃがみ込んだ。

「満足そうな顔してるね。むかつくなぁ」

 ここにある死体のほとんどを作り上げた青年を見下ろす。確実に死んでいるが、それほど大きな損傷はない。魔法を使われたのは厄介だったが、死ぬ時はあっけなかった。まるで、役目は果たしたと言わんばかりに、あっさりと殺された。

 全ての死体を選別し終えたコルニクスは、外に下がらせていた兵士を呼んだ。印を付けた死体を一カ所に集めさせる。

コルニクスが長い袖をまくると、にぶく光る金属に覆われた手の甲があらわになる。精緻な細工を施された金属の中央には、深い紫色の魔法石があしらわれていた。

 魔法石は魔法を使う時に、使用者の負担を緩和する役割を持っている。

 手を伸ばし、死体の上に手のひらをかざす。歌うように、コルニクスは古い言葉を唱えた。

 それは、死者をよみがえらせる禁断の魔法。

 死者達はゆっくりと立ち上がる。その中にはあの青年の姿もあった。男は驚いてコルニクスを見上げる。

「その男は」

「守るために使うんだよ。これも全てご主人様の世界のためだ」

 全てを口にする前にコルニクスは男を黙らせた。男はほっとしたように眉尻を下げる。

「あなた」

 何十にも重ねてつるされた薄い布をかき分け、細い腕が伸ばされた。何かを探すようにさまようそれを優しく掴み、男は愛おしげに目を細める。

「あぁ、愛しい人。大丈夫。きみのことは必ず守るよ」

 そう言って、男は薄い手のひらに口付けた。

        

        +   +   +


 冷たい空気が肺になだれ込んでくる。痛くて痛くてたまらなくて、それでもなお走り続けた。



 雪が降っている。

 白い結晶は空から音もなく舞い落ちては、溶けることなく世界を塗りつぶしていく。どさっ、と木の枝にのしかかっていた雪が滑りおちた。また静寂が訪れる。

 地面は完全に雪におおわれており、周囲に立つ木々も枝葉をたゆませながらどうにか雪を支えている。このあたりには獣もいないのか、雪は白いままだ。ただ、一つの足跡と赤い滴りだけが白い世界を乱している。

 はらりと落ちた立花が白い肌に触れた。その瞬間、固体は液体に変化する。白い肌の少女は息をつめて一点を見据えていた。

 短く切られた真っ黒な髪。長い前髪が、青味がかった灰色の双眸にかかっている。真っ黒なまつげが白い肌に影を落とした。人形を思わせる整った顔立ちは少年めいている。陶器じみた白いおもては黒ずんだ血に汚れていた。まとう白い外套もまだらに赤く染まっている。

「走れ、フィロ――」

 耳の奥に名を呼ぶ声が残っているような気がして、フィロは手袋をはめた手で耳を押さえる。最後に見たのは、見慣れた背中。赤い炎が身体を取り巻いていた。走って、走って、走って、ここまでたどり着いた。

 止まれと命令してくれる人はもういない。きっと世界の果てまででも走り続けなければならないのに。一度立ち止まると、動けなくなった。

 もう少し行けばこの森から出られる。さらに行けば、人里もある。しかし、もういいのではないかという思いがフィロをその場へと留まらせる。

 フィロを拾ってくれた人。育ててくれた人。この世界に存在する理由なんて、もうないのではないか。

 いやぁ、大変だった。そう言いながらあの人が帰ってくる想像をする。でも、そんなことはあり得ない。そのことは多分フィロが一番よくわかっている。

 一緒に戦いたかった。一緒に戦って、一緒に死にたかった。

 静かに呼吸をすると、冷たい空気とともに死のにおいが肺を満たした。フィロの足元には彼女の仲間であったものの死体が寝かされている。二人で逃げ出したはいいが途中で追っ手に追いつかれ、戦った。追っ手が誰一人動かなくなるまで。フィロは生き残り、彼は死んだ。

 ざくり、と雪を踏む音が聞こえる。その音はゆっくりと、確実に近づいてくる。

雪が落ちた。フィロは動かない。フィロの目が男の姿をとらえた。手にした長い杖で雪面を突きながら、真っ直ぐにフィロのいる方へと向かってくる。

 ざくり。ざくり。

フィロはしなやかな筋肉に力をこめる。その気配はまるで獣だ。

 しかし、フィロは動かない。その場に根でも生えているかのように。ただただ男を見据える。

 男はフィロから五歩ほど離れた位置で立ち止まった。足元に寝かされた死体を見つめ、それからフィロに目を移し、首をかしげる。

 男の背に広がるゆるく癖のある髪が揺れた。限りなく白に近い金の髪。編みこまれた色付きの硝子球が光を弾く。眠たそうにも見える蜜色の双眸。やけに大きな瞳孔。フィロが人形ならば、男は彫刻のようだ。

 男が口を開く。静かな世界の中で、男の低い声はよく響いた。

「死んでいるのだね」

「そうよ」

フィロは淡々と答える。男は一歩フィロに近づいた。

 大きな男だ。フィロは男を見上げた。彼女と並ぶと頭二つ分ほど差がある。それでも、フィロは簡単に殺してしまえそうだと思った。戦いに身を置く者ではない。

「――どう送る?」

 唐突な男の問いに、フィロは首をかしげた。この男は何を言っているのだろう。

「死者をどう送る? 死者は、どこへ行く」

 男の言葉を理解し、フィロは少しだけ呼吸を乱した。張り詰めた緊張が一気に途切れる。

「……骨肉は、空に。血は、大地に。魂は、心に」

「そうか、わかった。きみをそこから動けるようにしよう」

 男はそう言うと、手にしていた杖で雪に覆われた地面を突いた。口を開き、何事かを紡ぐ。こぼれ落ちたのは、言葉とも歌とも判じがたい音。フィロの耳にはどこか心地よく聞こえた。もうほとんど使われなくなった、古い言葉だ。

男の髪に編みこまれている硝子玉のいくつかが光を帯びた。男の髪が風にあおられるように揺れる。

 ばさり、ばさり。

 白い雪の上に影が落ちる。フィロは空を仰いだ。くるりくるりと猛禽が円を描いて飛んでいる。死食鳥だ。ひゅぅ、と風を切る音がした。勢いよく滑り落ちてくる。仲間の骸に鳥が群がる。猛禽の鋭い爪が肉を裂き、くちばしが肉をついばむ。雪が溶け、血が大地にしみこんでいく。乾いた眼差しで、少女はじっとその様を見た。

 ばさり。ばさり。

 猛禽が飛び立つと、骨が残された。

 男が再び杖を突く。

 白い骨は一気に風化し、風にながれた。フィロはまばたき一つせずその光景を眺めている。

 男が杖をあげ、フィロの胸に突きつけた。杖の頭にあしらわれた石の色が一瞬変わる。

 フィロは一度まばたいて、それから己の胸に手を当てた。

「魂は、心に」

 呪縛が解けたように、フィロは口元をわずかにゆるめた。溶けた雪だけが、そこに骸があったことを示している。

フィロは真っ直ぐに男を見上げた。

「あなたは、何?」

「私は葬送士。死者をあるべき場所へ送る者」

 朗々と、男は答える。首をかしげてから、フィロは質問の仕方を間違えたことに気がついた。

「私はフィロ。あなたの名は?」

「そうだね。いくつかあるけれど。……ナーダ、とでも呼ぶといい」

 不思議な口調だ。ナーダはフィロに向けてわずかに笑んだ。急に人間じみて見え、フィロはまばたいた。それから、言おうと思った言葉を思い出す。

「ありがとう、ナーダ」

「何だい、突然」

「私の仲間を送ってくれた」

「私は役目を果たしたまで。きみにお礼を言われることはない」

「でも、私は言いたかったの」

「……こうして感謝されるのは、初めてかもしれない」

 ナーダはどういう顔をしていいのかわからなさそうに眉をひそめる。

 不思議な人だ、とフィロは思った。

「おや、死だ」

 ナーダはぽつりとつぶやいた。同時にフィロが鋭い視線を走らせる。十メートルほど離れた場所でじっと息をひそめているものがある。生きているものとは違う。気配というよりも、においだ。死の、におい。

 フィロは飽きるほど口にした古い言葉を唱えた。独特の抑揚。魔法だ。首からさげた瞳と同じ色の魔法石がちかりと光を放つ。

フィロの左右の手に光が収束する。刃渡り二十センチメートルほどの片刃剣がそれぞれの手の中に現れた。氷でできた片刃剣は薄く研ぎ澄まされており、反対側が透けて見える。それでいて、肌の熱で溶けることはない。

 フィロは素早く気配の元へ走った。先程殺したはずの追っ手だ。その手には剣が握られている。中途半端に構えられた剣を右手の片刃剣で跳ね上げ、追っ手の腹を左の片刃剣で撫でた。ざくり、と肉が裂け、血がこぼれ落ちる。しかし追っ手は痛みを感じていないかのように再び剣を構え直した。

 切るだけでは止まらない。ならば。

 身を沈め、追っ手の足を払う。仰向けに転んだ。

フィロは追っ手の肩に全体重をかけて刃を突きたてながら、古い言葉を唱える。光が収束し、追っ手の四肢と大地をつなぐ氷の枷が打ち込まれた。氷は地面深くに根を張っている。追っ手は身をよじったが、立ち上がることができずにもがいた。

 これは死者だ。

 フィロの中に怒りがわいた。

 誰かが死者を操っているのだ。ゆがんだ世界をフィロが壊してしまわないように。死のない国へフィロごと取り込もうとしている。

 フィロの下で死者は笑う。無理に口を動かしているような、不自然な表情。

「なぁ、あんたも一緒に死のうよ。そうすれば、仲間とずっと一緒に生きていけるんだよ。あんたの死んだ仲間も、よみがえる」

 誘惑するように。死者はフィロの顔をのぞき込んだ。いつの間にか、死者の額に紫色の文様が浮かび上がっている。

「永遠に一緒だ。それって素敵じゃないか」

「よみがえる必要など、ない」

 死んだ者はよみがえらない。それがこの世界の理。

「なら、何でこいつ(・・・)は生き返ったんだ? 世界の理からはずれてるじゃないか」

「それは……」

 フィロの中に迷いが生まれた。迷いに食らいつくように、死者は言葉を重ねる。

「こいつにも、家族がいる。大切な人がいる。死んだって聞いたら悲しむだろうな。だったら、生きてる方がいいじゃないか。たとえ一度死んでいたとしても、生きている方が嬉しいじゃないか。それとも、あんたは奪うのか? この男の大切な人から、この男を奪うのか?」

 こいつ、と死者は語る。自分の肉体を他人のものであるかのように。

 ぐらり、と世界を揺さぶられる。信じていたものが崩れてしまいそうになる。

 もう、大切なものはない。なのに、どうしてこんなに必死になっているのだろう。殺されてしまってもいいのではないか。もう一度、あの人と一緒にいられるのならば――。

 沈んでしまいそうになる思考をどうにか引きずりあげる。フィロは強く死者を睨みつけた。

「あなたは、誰?」

「死を悼む者だ」

 あざ笑うように、死者は答える。

「――困った人だ。そんなことが赦されるはずがないだろう。その子を誘惑しないでもらえるかな」

 いつの間にか、ナーダはフィロの真正面に立っていた。フィロはナーダを見上げ、息を詰める。

 感情の抜け落ちた、彫刻のような相貌。口元からは笑みが消え、ただ無表情を浮かべている。

「辿るべき道へ戻るんだ」

 ナーダが古い言葉を紡ぐ。髪に編み込まれた硝子玉が光る。

 ぼう、と死者の体に火が点いた。四肢を押さえていた氷が溶け、水蒸気になる。なのに、死者の身体に触れているフィロは何の熱も感じない。

死者の体はあっという間に焼けてしまった。骨のひとかけらも残さずに。灰は風に流れ世界へと散る。

 目を閉じて、祈るようにフィロは胸に手を当てた。死者の言葉がまだフィロの中に残っている。ぐらぐらと揺れそうになる心を押しとどめた。

 目を開けて、再びナーダを見上げる。物憂げに、それでいて何も考えていないようにも見える面差しで、ナーダは目を伏せる。先程よりは、少しだけ人間らしい。

 この人は一体何なのだろう、とフィロは考える。葬送士、というのは彼の仕事であって本質ではない。それとも、葬送士であることがナーダの本質なのだろうか。

死者を焼いたのは魔法だ。髪の硝子玉はきっと魔石だ。

魔力のこもった宝石は魔石と呼ばれている。魔石は一つにつき一種類の魔法を使うことができた。それぞれに相性があり、使用できる魔石に巡り会えることはなかなかない。この男はその何種類もある魔石を使いこなすというのだろうか。そんな話は聞いたことがない。

ナーダは座り込むフィロに手を差しのべた。

「大丈夫かい?」

「平気」

 小さく首をかしげてから、フィロはナーダの手に掴まった。手袋をはめた手はフィロのものよりも二回りほど大きい。

 ふと、フィロはあの人の最後の言葉を思い出した。

「――走れ、フィロ。お前はもう自由だ」

 自由、という言葉を繰り返す。それはとても不思議な響きだ。

 そう。逃げることではなく、自由になることが最後の命令。ならば私は。

「取り返す」

 残してきた仲間。もしかしたら、さっきの屍人形と同じようにされているかもしれないのだ。なら、取り返さなければ。そして、きちんと葬らなければ。

 ナーダの手を離す。

「ナーダ」

 男の名前を呼んでみる。ナーダはどうした、とでもいうように首をかしげた。

「あなたは、私の他の仲間も送ってくれる?」

「全ての命を送ることが私の役目だからね」

「一緒に来て欲しい」

 真っ直ぐな眼差し。真っ直ぐすぎる心。

 来た方向へと歩き出そうとするフィロを、ナーダは呼び止めた。

「これからどこへ?」

「仲間の死体を取り返しに」

「それはわかっている。真っ直ぐに向かうつもりかい?」

「だって、早く送ってあげないと」

 じれったそうなフィロに、ナーダは目を細めた。

「そのまま行くつもりかい?」

「だめ?」

「そうだね。よくはない」

 ナーダはフィロの手をつかんだ。そのまま歩き出す。その思いもよらぬ力強さにフィロは目を見開いた。

「一度、隣の町へ行こう。それからでも遅くはない」

 まるで、何もかもを見通しているかのような。その力強さに、フィロは何となく従ってみることにした。彼女が大人しく付いてくることを確認すると、ナーダは歩く速さを落とした。

「どうやって仲間を取り返すつもりだったんだい?」

「城に、乗り込む。そして、返してってお願いするの」

 あまりにも真っ直ぐな答え。

「きみは甘いね」

 ナーダの言葉はどこか面白がっているように聞こえた。

「少なくとも、このままの格好ではだめだね」

「だめなの?」

「目立ってしまう」

 フィロの姿はすでに知られている。そのまま姿を現わせば、格好の標的になること間違いなしだ。

 二人はただただ歩き続けた。進むにつれて、段々と雪が深くなっていく。

「きみはこのあたりの生まれではないね」

「どうして」

「このあたりは、火葬が多いから」

 葬送は信仰と関係する。この土地では確かに火葬を主とする信仰が根強い。鳥葬はこの辺りの地方ではほとんど見られないものだ。

「私は拾われて、命を与えられた。どこで生まれたのかもわからない。ただ、お頭の信じるものを信じるだけ」

 前だけを見て、フィロは答える。ナーダは面白そうにフィロを眺めた。

「死のにおいがきみを取り巻いている。なのに、きみは呼ばれていない。きみがどうして死なないのか、不思議でならないよ」

「そう。それはきっと、私が殺したものと救えなかったものの執念ね」

 淡々と、フィロは返す。

「フィロは私がこわくないのかい」

「こわくないわ。だって、死はいつだって隣にあるもの。あなたは死と同じにおいがする」

「そうだね。私は死のようなものだ。みんな、私がくると悲しい顔をする」

 葬送士が現れるのは、死を前にした時だ。

 生者が死を嘆き悲しむと、魂が縛られ、動けなくなる。それを解放して、死者の魂をあるべき場所へと送るのが葬送士の役目だ。

「きみは悲しくないのか」

「悲しいわ。でも、送られた魂は幸せなのでしょう。だから、悲しまないわ」

 少女の眼差しは強い決意に彩られている。ナーダはゆるやかに笑んだ。


        +   +   +


「ちっ。厄介なやつが出てきやがった」

 コルニクスは舌打ちした。波紋に乱され、何も映らなくなった水鏡を苛立たしげにひっくり返す。金属製のそれは高い音を立てて床を転がった。ばしゃんと水が飛び散る。

 逃げた少女の動向を見張るだけのつもりが、思わぬ戦闘になってしまった。

 少女は死者をよみがえらせる魔法の本質を知っている。この情報を外へ持ち出されては面倒なことになる。

 少女を見張る目を失い、行動が読めない。何よりも。

 死者を殺すことは簡単ではない。城に一人残った青年も、何度も立ち上がる死者達には勝つことができなかった。

だが、死者は殺されてしまった。否、送られたのだ。

 水鏡に最後に映し出されたもの。冷たい、彫刻のような面。コルニクスは何度もその姿を目にしたことがある。

葬送士にかぎつけられたのは痛い。

 コルニクスは荒くため息をついた。

「この国も潮時か……」


        +   +   +


 とあるお城にとても仲のいい夫婦が住んでいました。二人の愛は永遠に続くのだと、誰もが信じて疑いませんでした。ですが、ある時奥様が亡くなってしまったのです。奥様を愛していた領主様は、それはそれは嘆き悲しみました。三日三晩泣き続け、涙も涸れ果てました。その嘆きが神様にとどいたのか、なんと奥様は生き返ったのです。領主様が心の底から喜んだことは言わなくてもわかるでしょう。

それ以来、二人はまた仲睦まじく暮らしているのだといいます。そして、その国からは死がなくなり、皆幸せに暮らしている、と。



 死のない国があるという。本当かどうか調べてこい。

 それが、フィロ達に与えられた仕事だった。もし本当に死のない国があるのならば、死者をよみがえらせることができるのならば。不死者の軍隊を作ることも可能なのではないか。

 打算と欲にまみれた命令。どんな命令であろうとも、フィロはただ仲間の選択に従った。お頭とフィロともう一人。たった、三人ぽっちの仲間。

 情報を集めた結果、どうやら本当に死者をよみがえらせることができるということがわかった。実際に、領主に頼んで生き返らせてもらった、という話はいくつも耳にすることができた。しかし、どうやって生き返らせているのかまで知る者はなく、また実際に生き返ったという者に会うことも叶わなかった。

 結局、三人は城に潜り込むことにした。警備をくぐり抜け、たどり着いたのは、城の中で一番美しい部屋。最奥には大きなステンドグラスがある。そこに描かれている女性は、生き返ったという奥様だろうか。

 外には多くの兵士が居たというのに、この場所には誰もいない。まるで近付くことを恐れているかのように。

「誰かいるの?」

 か細い声が聞こえたのは、この部屋には不似合いな、大きな寝台の中。何重にも薄布が張り巡らされており、中はよく見えない。

 内側から、布が掻き分けられる。布の幕に切れ目ができ、中の人物がうっすらと見えた。

「っ」

 思わず息を詰める。

「あなた達、私を殺しに来てくれたの?」

 そう言って、女は悲しそうに笑った。


        +   +   +


 城に続く道を歩く者がいる。この辺りでは見かけない顔だ。どこからやってきたのだろうか。

背の高い男はずるり、ずるりと大きな長方形のものを引きずっている。それは、氷で作られた棺だ。にじむように透ける棺の中には、今摘んだばかりに見える花が敷き詰められており、その上には一人の少女が寝かされている。

 固く閉じられた双眸。色のない唇。腰までとどく黒髪が花の上に広がっている。彼女のまとう純白のドレスは死装束だ。

 まるで人形のような少女の骸。

「そういえば、二つ向こうの国では氷の棺を海へ流すらしいわ」

「まぁ、そんな遠いところから?」

「親子かしら。まだ若いのにかわいそうに」

「助けてもらえるといいわね」

 人々は思い思いに囁き合う。

 死のない国。この国がそう呼ばれるようになって、どれほどの時間が経っただろう。死者を連れて城を訪れる者は、少しずつ増えている。それだけ話が広まってきているのだろう。この国の人々にとって、珍しい光景とも呼べなくなってきていた。死者を連れた彼らの表情は一様に絶望に彩られており、ただ瞳の最奥にかすかな希望を宿して城へと向かっていくのだ。

 城へと続く道は森へと入りなお続く。踏み固められ、黒くくすんだ雪道。やっとの思いで男は城の前にたどり着いた。

 城の門が開かれる。

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げ、棺を引いていた男はそっと笑った。



 男は城の中で最も美しい部屋に通された。城の中だというのに火が焚かれている気配がなく、吐き出す息は白いままだ。この部屋の中に兵士は居ない。ここまで案内してきた者とは、部屋の入り口で分かれた。誰も彼も、この部屋へは近寄りたくないようだった。

 部屋の奥は数段高くなっており、そこに領主が立っていた。三十路を過ぎたくらいの、まだ若い男だ。その後ろにあるのは、天蓋付きの寝台だろうか。さらに後方にはステンドグラスがあり、外からの光が室内を色とりどりに染めている。部屋の壁にはこの城の主と、その奥方の肖像画が飾られており、等間隔で黒い木の箱がいくつも立てかけられていた。

「この国では死者をよみがえらせることができると聞きました。どうか、私の娘をよみがえらせてください!」

 膝をつき、男は切に訴える。その真摯さに、同情した領主は頷いた。

「僕にも大切な者を失う痛みはよくわかる。いいだろう」

「ありがとうございます」

 何度も感謝の言葉を重ね、男は深々と頭を下げた。今にも涙を流さんばかりだ。束ねた淡い金髪が床に落ちる。編み込まれた硝子玉がちかりと光を弾いた。

「では、今から秘術を行う。お前は外に出て――」

「だめだよ、ご主人様。そいつを生き返らせることはできない」

 領主の言葉は遮られた。寝台の後ろから、真っ黒なローブをまとった人間が現れた。面倒くさげに頭をかきながら、コルニクスは男を見下ろす。男は顔を上げ、読めない表情でコルニクスを見上げる。

「どうしてだ、コルニクス。お前ならどんなものでも生き返らせられると言っていたではないか。それに、どうして出てきた」

「その小娘、死んでないから」

 コルニクスの言葉に領主は目を見開いた。まさか、と言いたげに少女の骸を見下ろす。

 棺に収められていた人形は、ゆっくりと目を開いた。灰色の双眸は氷と同じくどこまでも澄んでいる。身体を起こすと長い黒髪は花の上に残された。短い黒髪の少女は棺桶から出ると己の足で立つ。

「お前は……!」

 領主が大きく目を見開いた。逃がした少女の顔は覚えていたようだ。

氷の棺はフィロの魔法で作り出したものだ。魔法で作られたものは、使用者の指定したものには影響を及ぼさない。

フィロは真っ直ぐに領主を見上げた。ドレスの裾が揺れる。少しだけ煩わしげにそれを払った。

「な、何をしに来た」

「仲間の死体を受け取りに来た。それだけ」

「それだけ?」

「えぇ。それだけよ。この国のことはどこにももらさない。あなたの大切な人にも手を出さない。誓うわ。お願い、仲間の死体を返して。送ってあげたいの」

 フィロの真っ直ぐな言葉に領主は心を揺さぶられたようだった。迷うように、視線をさまよわせる。

 この国に、何より愛しい人に手を出さないのならば、死体くらい返してもよいのではないだろうか。この娘の強さは先程の追跡でよくわかっている。たった一人生き残ったのだ。返さないと言えば、きっとまた沢山殺すのだろう。躊躇なく。

「わ、わかった」

「だめだよ、ご主人様。その小娘はよくても、後ろの男はそれだけで引くつもりはないんだから」

 ナーダは氷の棺に手を入れると、花の下から杖を取り出した。花弁が棺からこぼれ落ちる。

「何だ、お前は。何をしに来た」

「私は葬送士。死を安らかに送る者」

 まるで歌うように。ナーダは優雅に一礼した。

「勝手に魂を縛ってもらっては困るな。世界のバランスが崩れてしまう。世界の王が怒っている」

 ナーダはただ穏やかに見上げる。

その横顔にフィロは冷たいものを感じた。あの時と同じだ。感じたのは純然なる死のにおい。沸きあがってきたのは恐怖。

すっと、ナーダが視線を動かした。フィロと目を合わせる。一瞬前とは全く違う、優しい色。

「すまない、きみを利用するようなまねをして」

「いいえ。気にしないわ」

 少しだけ安堵して、フィロは視線を戻した。利用されているとしてもいい。あの人を送ることさえできれば、フィロはそれで満足だ。

「っ! 何も奪わせはしない!」

 壁の黒い箱が開き、そこから死者が現れた。額に紫色の文様が浮かび上がっている。死者が二人を取り囲んだ。コルニクスはあーあ、とでも言いたげに死者達を見た。

 コルニクスの魔法によってよみがえった死者は、動いているが、正確には生きているわけではない。さらに、肉体は死んだ時のままだ。死んだ肉体に魂を閉じ込めても、本当にその人が帰ってくるわけではない。多くの場合、生き返ってもまともな精神を持っていない。だから、町の人々は隠した。ただ生きているだけの屍を人に見せられなかったのだ。

それでも、そんな姿になっても生きていて欲しいと願う。その気持ちをフィロは理解できなかった。

 最後に開いた一つの中から出てきた人物に、フィロは目を大きく見開いた。

 青年はゆっくりと目を開けた。不思議そうに、こきりと首を鳴らす。それから、フィロに気がついてにやりと笑った。彼の額に紫色の文様はない。

「よう、フィロ。生き残れたみたいだな」

 青年が名を呼ぶ。頷いて、フィロは笑った。怒りと喜びがない交ぜになって、フィロを高ぶらせる。

「あいつはだめだったか。……って、俺も死んだんだよな。なさけねー。その上、こんな風に戻されるなんて」

 苦く笑いながら自分の身体を確認するように、青年は手足を動かした。

 他の何も目に入らない。フィロの頭の中が青年でいっぱいになる。見つけた。ちゃんと見つけられた。これでこの人を送ってあげられる。嬉しい。

「……なぁ、フィロ。そのまま逃げちまってよかったんだぜ。自由なんだから」

「あなたを送らないと。それが、私の選んだ自由」

「そっか」

 嬉しそうに、悲しそうに、青年は呟くと、腰に下げた片刃剣を抜いた。フィロが氷の片刃剣を作る時に参考にしたものだ。フィロのものよりも大きいそれを、青年は軽々と振り回す。

「お前なら、俺を殺せるよな?」

「もちろん、そのつもり」

 フィロは純白のドレスを脱ぎ捨てる。その下には着慣れたいつもの戦闘服。

 しかし、死者は彼だけではない。少しだけ気持ちを落ち着かせたフィロは周囲を見渡した。死者達が距離を測るようにして周囲で構えている。死者だけではなく、コルニクスが呼び込んだ生者も混ざっていた。その輪の中には、フィロと、ナーダ。

 フィロは少し考えてから、長めの旋律を唱える。透明に近い氷の檻がナーダをとらえた。厚い氷は刃をも通さない。

「ナーダ。少しだけ待って。そこにいて」

「はい」

 ナーダは檻の中で素直に頷いた。

 まだ送ることはできない。決着をつけるまで、ナーダには無事でいてもらわなければならない。死者にナーダを傷付けられるとは思えなかったが、生者もいる。守りながら戦う余裕はない。何よりも、ナーダには戦いは似合わない、とフィロは思う。人を送る彼に、人を傷付けて欲しくなかった。

 今度は耳慣れた旋律。フィロの手の中に氷の片刃剣が現れる。

 青年の目から光が消えた。胸に下げた赤い魔法石が輝き、炎の玉が青年を囲む。彼の魔法だ。

 そして二人は戦った。遠慮も、容赦もなく。他の死者達が入り込む隙はない。

「コルニクス!」

 勝手に行動する死者の扱いに困った領主はすがるように、コルニクスを呼ぶ。

「どちらかが倒れてからでいいだろう。手を出すなよ。無駄遣いにしかならねぇから」

 そう言う間も、コルニクスはじっと青年を見ている。正気のまま生き返った数少ない人間。青年は今、術者の意思を無視している。だが、それでいい。下手に術者の意識を入れれば弱くなる。戦いだしたのは想定外だったが、面白い結果だ。

 フィロは一度も青年に勝ったことはない。それでも、やらなければならなかった。いくつもの傷が刻まれる。青年はいくら傷つけても痛みを感じないが、フィロは違う。傷はどんどん蓄積されていく。

 フィロの額を汗が滑り落ちる。

 フィロに剣を、魔法を、生きることを教えてくれたのは全部この青年だ。遊ぶように剣を交えた。いつも勝てなかった。でも、少しずつ近付いていった。そして今。

 とん、と青年の背が壁に触れた。どうにか部屋の隅に追い詰めることに成功したフィロは、氷の片刃剣を作り出せる限り宙に浮かべた。その切っ先全てを青年に向ける。それはまるで氷の翼のようだ。

 青年も直ぐさま炎の玉を呼び出すが、数が追いつかなかった。一斉に、氷の刃が降り注ぐ。あるものは炎の玉に溶かされ、あるものは炎の玉を貫いた。壁に、青年に刃が突き立つ。青年を縫い止めた。水と蒸気を厭いもせず駆け寄ると、フィロは青年の首に刃を振り下ろす。

「ついに、負けちまったな」

 そう言って、青年は笑った。胸が締め付けられる。一度だけ、フィロは強く目を閉じた。覚悟を決めるように。

「お願い、ナーダ」

「えぇ」

 たん、と檻の中でナーダが杖を突いた。

「骨肉は空に。血は大地に。魂は心に」

死食鳥が羽ばたく。ただの肉片となった死体に、どこからか入り込んできた猛禽が群がる。一瞬にして骨に変わり、骨を風がさらう。血液は大地を求めて床を流れていった。

全てを見守っていたフィロは、残された青年の魔法石を拾い上げた。主のいなくなった魔法石は、何の力も持たない硝子玉に変わる。

 ナーダを囲っていた氷が砕けた。きらり、きらりと輝きながら床に散らばる。

「肉体は灰に。灰は大地に。魂は空に」

 続けざまに葬送士はつむぐ。歌うように。朗々とした声が空気を震わせる。ぽう、と彼の髪に編み込まれた硝子玉が赤く光った。

 死者達は炎に包まれ、あっという間に灰の山となる。ぱきん、と音を立てて髪の赤い魔石が砕けた。魔力を使い果たしたのだ。

「死にたくない」

 一人の小さなつぶやきがフィロの耳に残った。

 嘆きの声。慟哭。城のあちらこちらから、悲しみの声がこだまする。生きた兵士は戦意を失って座り込んだ。

「ついでに、全ての人を送らせてもらったよ。数が多くて大変だった」

 何でもないことのように言うと、ナーダは一歩踏み出した。その視線の先には寝台がある。領主は守ろうとするように寝台の前に立ちふさがった。

「いやだ。奪わないで。せっかく取り返したのに。みんな喜んでいたじゃないか! どうして壊すんだ!」

 細い腕が領主の肩を叩いた。重ねられた薄布が掻き分けられ、中まで光が入り込む。

「こんないびつな世界は終わりにしましょう」

 女は笑う。ただただやさしく。

「いやだ。いかないで」

「あなたまで時を止めてはだめよ」

 領主は女の腕にすがりつく。女の顔は影になってよく見えないが、死者のにおいが広がった。

 ナーダが杖を突く。硝子玉が深い緑色に光る。

「その全ては、花に」

 寝台から、植物が芽を出した。みるみるうちに茎を伸ばし、女の身体にまとわりつく。つぼみが膨らみ、女の身体を、花が覆い尽くす。もはや女の肉体はどこにも見えず、寝台は花畑と化した。

「ああああああ」

 領主の嘆きが空気を震わせる。花の中に顔を埋めて泣きわめく。

 フィロは不思議そうに一歩踏み出した。湿った髪から水滴がこぼれ落ちる。

「肉体がなくなっても、消えてしまうわけではないでしょう。だって、魂は心にあるもの」

「それはきみの法則だ。彼の法則は、また違う」

 ナーダの静かな声に、フィロは困惑した。

 フィロには嘆きがわからない。

 弔いとは、死者のためにある。死者が死後も安らかであれるように。死後の世界へ送り出す儀式。送り出された魂は、また新たな命となってこの世界に戻ってくる。

 送られた死者は安らかであるはずだ。なのに、どうして嘆くのか。ナーダの外套の裾を引き、男の名を呼ぶ。

「ナーダ。どうしてあなたは送るの?」

「それが、私の役目だから」

 ナーダは笑う。人形のように。透明で空っぽだとフィロは思う。どうしてか胸が詰まった。身体が震える。しめった衣服が体温を奪う。

「きみは面白い人間だ。さぁ、疲れただろう。少し、おやすみ」

 待って。フィロが手を伸ばすが、ナーダには届かなかった。硝子玉が光る。部屋は真っ白な光に包み込まれた。



 そうして、その場に立つ者は葬送士と死人使いだけとなった。命を巡らせるものと留めるもの。相反する二人。

「おれを殺さなくていいのか」

 コルニクスが皮肉気に笑う。ナーダは横たわる少女を己の外套で包んだ。

「私は人間に手出しできない。だから、きみを止めることはできない」

「だったら、その小娘にでもやらせればいいじゃないか。またずいぶん可愛らしい護衛を見つけたもんだな」

 ナーダは顔色一つ変えない。死人使いを見ることもせず、フィロを抱え上げる。

「私は与えられた役目を果たすだけ。きみを殺すことは私の役目ではない」

「その小娘に目をかけるのも役目なのか?」

 半ばからかうようなコルニクスの言葉に、ナーダは初めて顔を上げた。不思議なものでも見るようなナーダの眼差しに、コルニクスの方が視線をそらす。

「おれは何度だってよみがえらせるぜ」

「ならば、私は送るだけ」

「ふぅん。じゃあ、おれは行かせてもらうぜ」

 堂々と出て行く死人使いを見送るでもなく、葬送士はぼんやりと辺りを見渡した。

「さて、最後の仕上げだ」

 たん、と杖で大地を突く。たん、たん。滑らかに大地を踏む。その度にまとう布がひらりと揺れる。

 杖の先で宙に円を描いた。杖の軌跡が光を放つ。

 杖の先の宝石が仄白く光った。仄白い光は細い筋となって円の中に飲み込まれていく。全ての魂を送り終えると、光の輪は消えた。

 こつん、と小さく音を立てて魔石が転がった。燃えるような赤色だ。ナーダはそれを拾い上げると髪に取り付けた。

「大丈夫だよ。あなたの大切な娘は傷付けないから」


        +   +   +


 目を覚ますと、フィロはナーダの膝の上で抱きかかえられていた。

 雪が舞っている。辺り一面が白い。吐き出す息も、白く(こご)った。城の中ではない。ナーダと出会った森の中だと、フィロはすぐに分かった。

「おはよう」

 ナーダが笑う。彼の膝の上はとても温かい。そのことになぜか安心した。

「ひどいわ」

 口に出してみるものの、それほど強く思っているわけではない。目が覚めたらナーダがいなくなっているような気がして、それがいやだったのだと気付いた。何より、まだ礼を言っていない。

「ありがとう、ナーダ。あの人を送ってくれて」

「だから礼など要らないと言っているだろう。私は私の役目を果たしただけ」

 変わらない淡々とした答えに、フィロは小さく笑った。手の中に硝子玉があることを確認し、ぎゅっと握り込む。

「……最後にね、お頭ともう一度話せたことは、嬉しかったの。死者を生き返らせることはだめだって思っているのに、嬉しかったの。変かしら」

 独り言のように呟くフィロに、ナーダは目を細める。

「どう、だろう。私にはわからないけれども。人間としては、変ではないのだと思うよ」

 歯切れの悪い言葉。フィロはナーダを見上げた。笑みでも、無表情でもない、曖昧な表情。ナーダの胸に背中を預ける。

「不思議な人」

「不思議なのはきみの方だろう」

 心外な、とでも言いたげにナーダは目を見開き、それからまた、そっと目を細める。

「まだ、きみを送る時ではない」

 淡々としたナーダの声に、フィロはどきりとする。

 あの人をきちんと送ったら、フィロはそのまま消えるつもりでいた。自由になったところで、何をしていいのかわからない。だが、ナーダが言うのならばそうなのだろうという、わけのわからない理屈にフィロは納得してしまった。

 濡れていた服はいつの間にか乾いている。傷の手当てもしてあった。あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。

「ねぇ、あの国はどうなったの?」

「さぁ。わからない。すこし騒がしかったので、面倒になる前に抜け出してきたからね」

 あの領主はどうなったのだろう、とフィロは思いを巡らせる。大切な人を二度失った領主の気持ちは、フィロにはわからない。

「どうして、あの女の人は花になったの?」

「それが、彼女の信仰だからさ。彼女はこことは違う遠い国からやってきた。信じるものが違えば、送り方も変わってくる。私は彼女が最も望む葬送を行っただけだよ」

 少しだけ饒舌に、ナーダは語る。

「愛する人がいても、葬送は変わらないのね」

「そうだ」

 遠い目をして呟いたフィロに、ナーダは相槌を打った。

「死人使いは、どうなったの?」

「それは、逃げられてしまったよ」

 何でもないような顔をして、ナーダは嘘をつく。フィロはそれを信じたのか信じていないのか、ただそう、とだけ呟いた。

 聞きたいことを聞き尽くし、会話が途切れる。静かに時は流れていく。

 これからどうしようかと考えてみる。この仕事の依頼主の所へ戻るつもりはない。仕事なんてもうどうでもよかった。ただあの人がいたから。あの人の役に立ちたかったから、一緒にいただけだ。あの人のためなら何でもできた。

あの人のいない世界で何をすればいいのか、フィロにはわからない。

「ねぇ、次はどこへ行くの?」

「さて、どこへ行こう」

 ナーダは少しだけ遠い目をした。まるで死を探すかのように。

 ナーダの長い髪がフィロの頬に触れる。何となくそれをつかむと眺めた。淡い金色の髪には変わらずいくつもの硝子玉が輝いている。

 その中の一つがどこか懐かしいように思えて、フィロはまばたいた。赤色の魔石は砕けたはずだ。他にも持っていたのだろうか。

「長い髪も素敵だったね。ドレス姿も似合っていたのに、勿体ない」

「だって、ドレスでは戦えないもの」

 付け髪もドレスもナーダが選んだものだ。ナーダの言葉はからかっているようにも、それでいて本気にも聞こえてむずがゆい気持ちになる。

 フィロは静かに立ち上がった。その後ろ姿を、ナーダは少しだけ眩しそうに見上げる。

「きみはどこへ行くんだい?」

「決まっていないわ。でも、ここに居る理由はないから」

 動き出さなければならない。動けなくなる前に。

「ねぇ、フィロ。私の仕事はどこにでもある。行き先は決まっていない旅だけれど。一緒に来るかい?」

 ナーダが手を差し出した。どこか戸惑っているようにも見える。フィロは少しだけ悩んでから、その手を取った。

「しばらくは。もう少し暖かい場所がいいわ」



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